第122話 鏡像の魔
巨体の怪物を撃破してから数十分後、一行はひたすら道なりに洞窟の奥へと進んでいた。あれ以来、特に襲撃もなく順調に歩を進められたが、まだ出口は見えてこない。まだ、道のりは遠いということだろう。
四人は周囲の警戒をしつつ、ポツポツと話などをして気を紛らわせていた。特に京介は、個人で退魔士として活動している時間が長く、戦い方からちょっとした気構えまで色々と参考になることを教えてくれる、それは得難い経験だった。当然のことながら、狛が普段の鍛錬で習うのは犬神家の流儀に沿ったもので、それらは重要だが、どうしても偏りが出やすい。
特に技術的な面で言うと、ハル爺やナツ婆だけでなく、拍や佐那も含め、犬神家の面々はとても感覚的に術を使う。狛も持ち得ている動物的な勘や直感に優れているせいなのだろう、酷く抽象的な指導が多いので、解らないものは解らないままにしてしまう事が多いのだ。
向いている事はそれが得意な者に任せ、各々が自分の長所を磨いていく。
そうして、個人の弱点は家族という群れ全体が補うという発想は、まさに犬神家らしいものだ。
そうは言っても、仕事となれば群れではなく単独で行動することも少なくないのだから、出来る事は多い方がいい。その意味でも、京介がこの少しの間で教えてくれた事は、とても有意義なものに感じられた。
そうして進んでいく内に、大きな湖にぶつかった。所謂、地底湖である。ランタンの光がギリギリ届く場所では、湖に水が流れ込んでいる。微かに聞こえていた水音はこれだったのだろう。この洞窟はやはり、かなり大きな規模の洞窟と言っていい。地中だけあってここまでは気温は安定していたが、水場が近くなったせいか、かなり気温が下がってきていた。
「しかし、さっきの奴はなんだったんだろうな?あれっきり雑魚も湧いてこなくなったのはいいが、気味が悪いぜ」
川に沿って更に歩く中、猫田は首を傾げながら、改めて先程倒した謎の妖怪を思い出していた。猫田が倒したあの大男の妖怪以降、小型の魑魅魍魎や悪霊すらも、めっきり姿をみせなくなったのだ。進む分には都合がいいので、今の内に外へ出たい所だが、中々外へは辿り着けずにいる。
「どうもあまり現実味がないというか、はっきりしない敵だったな。後続がないところを見ると、あれが小型の物の怪たちを統率していた奴だったんだろうか」
京介も、あの怪物がなんだったのかは気になっているようだ。しかし、いくら妖怪の死体は現世に残らないと言っても、あんなスピードで霧散してしまうのはおかしい。消えてしまった以上、もう調べる手立てはないので、謎は謎のまま受け入れるしかないのだが。
ただ、もしあの怪物が小型の妖怪達を従えていた存在だったのなら、この先はだいぶ楽になるだろう。目下の敵は
そして、地底湖の畔に差し掛かった時だった。見るともなく視界に入った湖の水面に、
(え?)
初めは、目の錯覚だと思った。なにしろここは暗い、今はかろうじて、京介が持っているランタンだけが唯一の灯りなのだ。ただでさえか細い光が反射して、そう見えただけだと、そう思った。
それでも何故か気になった狛は、もう一度少し近づいて湖面を覗き込む、そこには。
「ひっ!?」
自分と並んで同じ顔で覗き込む、
慌てて横を向くと、偽物の狛は全く同じタイミングでこちらを向いた。違ったのは顔の向きと、おぞましい程の笑みを浮かべていることだけである。
「きゃああああっ!?」
狛が気付いた途端、偽物の狛は勢いよく狛の腕を掴み、湖へ投げ飛ばした。その叫びで、猫田と
「狛!?」
「クスクス…うふふ、アハハハ…!」
いつの間に移動したのか、偽物の狛は三人の前方に立ち、奇妙な笑みを浮かべていた。その場の誰もが、その異常に圧倒されて言葉を失った。
「ちっ!」
京介はすぐに身を翻し、ランタンを地面に投げて湖で溺れる狛の元へ飛び込む。かたや、猫田と
(いつからだ?コイツはいつからここにいた…?俺達の誰もが全く気付かない内に、コイツは俺達と行動を共にしていたのか!?)
猫田はもっとも強くその事実に恐怖していた。無理もない、目の前で嗤う偽物の狛は、その声も匂いも、纏う霊気の質さえも本物の狛と瓜二つだったからだ。明らかに異常な様で嗤っている姿を見ていなければ、どちらが本物か、見抜けないかもしれない。それほどに、偽物の狛は完璧であった。
「猫田さん、ご注意を…この狛の偽物は、何かまだ力を隠し持っています」
動揺する猫田に、
「あ?ああ…解った」
ある意味、猫らしい弱点ではあるのだが、滅多にないそれが起きた時は致命的である。
「クスクス…ハハハ…」
その間にも、偽物の狛は猫田達の前で嗤い続けていた。狛を殺して成り代わろうとでもしていたのか、或いは、別の目的があるのかは不明だが、その完璧すぎる外見と行動が伴っていない。これだけの偽装が出来るなら、振る舞いさえ修正すれば、完璧に騙しきれただろうに。
しかし、そんな疑問は、次の瞬間には掻き消えていた。偽物の狛は笑みを絶やさぬまま、猫田の肩に食らいついたのである。
「ぐ…っ!?こ、コイツっ!!」
肩に噛みつかれた猫田は咄嗟に体を捻り、強引に偽物を引き剥がす。偽物の狛は人間とは思えない力で噛みついていた為に、肩の肉を食いちぎられた。引き剥がされた偽物の狛は四つん這いに着地し、低い姿勢のまま笑い続けている。鮮血が溢れ、その口元は猫田の血に染まっていた。
「っの野郎…!」
常軌を逸した行動だったが、これでますます本物との区別はつけやすくなったと猫田は考える。今まではどうしても、狛と偽物の見た目がダブって思い切った行動には出られなかったが、ここまで怪物然としてくれれば話は別だ。もはや、手をこまねく相手ではなくなった、そう思っている。
一方で、
(今の攻撃も、先程の動きも、全く目で追えず反応も出来なかった…私だけじゃない、恐らく
地を砕く怪力を持った巨体の怪物も厄介だったが、あれは動きが緩慢だったことで、比較的容易に猫田が勝利できた。だが、この偽物は違う。力はそれほどでなくとも、反応出来ない程のスピードで動かれては手の打ちようがない。極端な話、気付かぬ間に命を奪われてもおかしくないのだ。
「アハハハァ…ヒヒ!」
狂ったように嗤い続ける偽物の狛に、完璧に偽装していた先程までの面影はもうない。狂気を孕んだ怪物との死闘はまだ、始まったばかりである。
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