第一章 13 「聖女」
アカリ達が居るフェルロン王国から遠く離れた大陸西方、山脈に囲まれた高地にその都市はあった。
この世界の最大宗教であるダルニア聖教の総本山、バーグ聖域である。
聖教の聖職者と聖騎士、行政職員など教会関係者十五万人とそれを支える信徒が住む一大都市。その中心にそびえ立つのが白亜の神殿、プラトリス大神殿だ。
大神殿の一角にある高位聖職者達の執務室。その一室で若き聖女は溜息を吐く。
美しいブロンドのロングヘアを透き通ったベールで覆い、シルクの聖職衣を纏った美しい女性。
聖女メイア・スティグナーテ。
四年前にその卓越した神聖術の才を認められ、当時十四歳にして歴代最年少で修道女の最高位である聖女に認定された才女だ。
メイアは執務机に置かれた書類に目を落とした。
捜索状況報告書と書かれた書類には上か下まで様々な街の名前と共に、『見つからず』の一文字が並ぶ。
「…一体何処に迷われてしまったの…?」
悲しげな表情を浮かべもう一度溜息を吐いた。
そこに執務室の扉を叩く音が響く。
「…どうぞ」
メイアは直ぐに書類を引き出しにしまい、ノックの主を招いた。
「失礼致します」
入室してきたのはメイアよりも幾齢か下の修道女だ。彼女はメイアの側付きでミーディという少女だ。
彼女は深々と頭を垂れ、用件を告げる。
「スティグナーテ様、オルファリド大祭司様がこちらにお越しになるそうです」
「オルファリド様が?…そうですか」
メイアの表情が曇る。
「…大祭司様にお伝え下さい。大祭司にわざわざお越しいたらなくとも、私の方からお伺いすると…」
そう修道女に伝えようとした時、彼女の背後から野太い声がした。
「それには及ばん」
そこに立っていたのは燻んだブロンドをオールバックに整えた筋肉質な大男、オルファリド大祭司本人だった。
修道女が慌てて横に控える。
「大祭司様…常世おわす神の御心が現世にあらん事を」
聖句を延べ、頭を垂れるメイアをオルファリドは片手で制する。
「世辞はよい」
「申し訳ございません。お呼びだてして頂ければ、お伺いしたものを…」
オルファリドは鼻を鳴らし、メイアを睨みつける。
「スティグナーテ…今、お前が置かれている状況は理解しているのだろうな?」
ーああ、やはりその事か
メイアは歯を噛み締める。
「御神託を賜った聖王猊下の命によってお前が執り行った大召喚の儀…強き者達の召喚に失敗するどころか、それを成功していると言い張るなど目に余る行いぞ?」
「…ッ‼︎…大祭司様。お言葉ですが、儀式は成功しております」
自分が疎ましく思われているのは重々承知だ。だが、事実を捻じ曲げられる事は、正義感の強いメイアにとって堪え難い。
「あの時確かに神門は開かれ、異界との回廊が繋がりました。それは大祭司様もご覧になった筈です」
「なら強き者達は何処だ?門は開かれど、肝心の召喚が失敗しているではないか」
そう。一週間前、勅命を受けたメイアは異世界から強き者を召喚する儀式を執り行ったのだ。
なにぶん百年前に一度だけ成功した奇蹟であり、メイア自身も成功するかは半信半疑であった。だが、神託に応えねばという厚い信仰心から半年に及ぶ事前儀式をやり遂げ、遂に大召喚の儀に臨んだのだった。
「百年間の召喚でも、勇者様方が出たったのは遠く離れたオド海でした。此度も何処か離れた場所に召喚されている筈です!」
「何処とは何処だ?一週間、我ら教会の情報網にも掛からず、名乗りすら無いのだ。これを失敗と言わず何と言う?」
「性急で御座います‼︎きっと召喚された勇者様方は見知らぬこの世界で困っておいでです。召喚した者の責務で私が直接探しに…」
「戯け‼︎」
オルファリドの強い叱責にさすがのメイアも萎縮する。
「貴様が聖域を離れる事は許さん‼︎貴様は此度の責を持つ者だ。それは審問からの逃亡と同意義である‼︎」
「なっ…⁉︎」
「貴様には沙汰があるまで謹慎を命ずる。神殿を出る事は一切許されぬと肝に銘じよ‼︎」
一方的に言い切ると、オルファリドは踵を返した。
「お、お待ちください‼︎」
オルファリドは異議立てしようとするメイアを無視して立ち去ってしまう。
無情にも響く強く閉められたドアの音。残されたのはメイアと、沈痛な面持ちのミーディだけだ。
「……」
「…あの、スティグナーテ様…貴方様は間違っておりません…」
「…いいのよ、ミーディ。これも神の与える試練です」
「で、でも…‼︎」
ミーディは自分が慕うメイアが不当な扱いを受けた事に怒りを覚えていた。そして同時に、なぜメイアはもっと強く怒らないのかとも思ってしまう。
「ミーディ、私何かの為にありがとう」
そこにあったのは怒りを見せるどころか、笑顔で自分を労わるメイアの姿だった。
「ッ⁉︎…いえ、スティグナーテ様。私は貴方の味方ですから」
ミーディは自分の浅はかな考えを恥じた。
彼女は怒りでなく、案じて憂いているのだ。自らと関わるミーディの事、そして自らの行いで異世界より強制的に召喚されてしまったであろう勇者様の事を。
メイアは間違いなく慈愛に満ちた聖女だと、ミーディは改めて畏敬の念を抱いた。
「下がって良いですよ、ミーディ」
「…はい。何か御座いましたら何時でもお呼びください」
そう言ってミーディが退出して行く。
「…強がって…馬鹿ですね、私は…」
メイアは一人になった執務室で独りごちた。
「ミーディの…修道女達の希望でありたい。あの子達の未来の為にと願っても…本当は…」
彼女はふらふらと部屋に置かれているソファーへ歩み、倒れるように伏した。
「本当は怒りたい…泣き出したい…どうして私がこんな目に?猊下の命に応えただけなのに…信仰心が足りないの?どうして誰も認めてくれないの?どうしてこんな不条理な目に合わなければいけないの⁉︎どうして‼︎…どうして…」
それは独白だった。
重責に耐え続け、男性社会の教会において、女性がなれる最高位である聖女に上り詰めた十八歳の少女。その等身大の悲鳴だった。
彼女はその美しい顔を悲痛に歪め、その頬には一筋の涙が流れていた。
しばらくソファーで蹲っていたメイアだったが、少し気が晴れたのか起き上がって自分を鼓舞するように頬を叩く。
「…私は弱い…本当は弱い。でも、戦い続けないといけない」
弱さを認め、それを乗り切ろうとする気概こそが彼女の強みだった。
「…今は勇者様達を探さなければ」
メイアは異世界からの来訪者を探すべく、各地の修道院に向けて協力を要請する書簡を書き始めるのだった。
メイアの執務室から発ったオルファリドの横に小柄だが彼にも負けず筋肉質な男が駆け寄る。
彼はマルシオンといい、オルファリドの側近の一人だ。
「如何でしたかな?スティグナーテの様子は」
「想定内の反応しかしていないな」
「あの女も哀れですな。あの様な奇蹟、元々猊下も成功するとは思っていらっしゃらないと言うのに。素直に赦しを乞えば良いものを」
ケラケラと笑うマルシオン。
だがオルファリドは思いもしない考えを彼に漏らす。
「…いや、儀式は成功しているだろうな」
「ほひっ⁉︎」
「お前は神聖術に疎い故、見えていないだろうが。確かにあの日、神門は開かれ膨大な霊素が世界に流入した」
「何と…」
「数少ない文献を頼りに、自らの努力で奇蹟を成功させる…あの女も大したものだ」
オルファリドの表情が変わる。彼と行動を共にしてきたマルシオンですら畏怖を覚えるオーラを発して、彼はハッキリと言った。
「…だからこそ、あの女には退場してもらう」
「恐ろしや…しかし、神聖術に長けているなら儀式の成功が分かると言うのでしたら、猊下もご存知で?」
「分かっておられるだろうな。要は此度の儀式の成否は意味を成していないのだ」
「ほう。成功しても、あの女は失敗を問われると」
「そうだ。猊下があの女を含め、修道女に求めている役目は政治の道具としてだ。修道女の権威を高めんとするスティグナーテの存在は邪魔でしかない」
「世に蔓延る俗物供への褒美ですな」
その意味を理解して下俾た笑みを浮かべるマルシオンを、オルファリドは不快そうに睨み付けた。
「お前は優秀だが、その笑いは癪に触る。止めよ」
「っひ、失礼致しました。…それで、召喚されし強き者達の処遇は如何なさるおつもりで?」
「…探せ。あの女はこれしきでは諦めぬだろう。奴より先に探し出し、確保せよ」
オルファリドは深々と頭を垂れる。
「御心のままに」
命を受けたマルシオンが下がったあと、オルファリドは窓から聖域を見下ろす。
世界最大宗教、その総本山は白き王国だ。悪しきものを一切排除した美しい街並みを見ながら、彼は思った。
美とは混じりがあってはならぬ。最も美しきは鍛え上げられし男の筋肉であり、この王国はそれを飾り立てる最高の舞台であると。
「優れた肉体を持つ者こそ世界の支配者たるのだ。この世界に力を持つ女などいらぬ」
オルファリドが目指す理想郷。メイアはその最大の障害となっていたのだった。
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オルファリドのイメージはギレン・ザビです。
マッチョイズムが支配する世界って怖いですね。
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