2.空巣と善悪と
人間のあらゆる行動は己自身のための行動だと言える
であるならば、その行動の善悪はその人自身が決めるものでは無い
自身にとってみれば全て善行なのである
行動の善悪、これを決め得るのは如何なる時も他者である
顔が引き攣るのを自分でも感じた。警官に顔を見られるのはいつまで経っても慣れない。それも、今すれ違ったのは“あの”警官だったのだから尚更だ。あちらは気づいていないようだったが、男はその職業上、一度見た顔を忘れることは無い。十数年前に仕事をしに行ったあの村のことを思い出す。
夏であった。仕事にも徐々に慣れてきた頃だ。下見の段階で、その村に対してちょっとした違和を感じてはいたが気にするほどでもなかった。普段のように、入る家を決め、ある程度下見をした上でお邪魔する。家に人が居ない時間は把握しているつもりだったので、そこの唯一の居住者を見た時はさすがにぎょっとした。そこに人はいた。が、いなかった。息をしていないのはすぐに分かった。原因などは分からなかったが、椅子に座るその青年の首や腕は明らかに、生きている者のそれではなかった。もう亡くなってから数日は経っているようである。仕事をする気も失せ、そもそも家の中に金目の物がないことは一目瞭然であったので立ち去ろうと決めたが、すぐに家をあとにすることはしなかった。まだ若いのにも関わらず人生を終えた目の前の青年が不憫に思えて、何か自分にできることは無いかと考える。せめてもと思い、持ち合わせた手ぬぐいで青年の体をひととおり拭き、今にも椅子から転げ落ちそうな上体を起こしてやる。これは何かしらの罪になるのだろうか。住居侵入と窃盗は繰り返してきたのに、そんなことが不安になる。
家を出てきた後である。その警官を見たのはその家から数十メートルほど離れた場所であった。サイレンは鳴っているので通報があったのであろうが、その警官は急ぐ素振りもない。家陰から見ていると目が合った気がして慌てて身を隠す。気にする様子はないので安心する。注意して再び覗き見ると、警官が先ほどの家に入っていく姿が目の端に映った。
足を洗うならあの時であった。そんなことを思いながら、男はいつものように郵便局へ向かう。ある家庭に金を送るためである。こうなったのも、十年ほど前にこれまでで唯一と言っていいほどの失敗をしたのが原因であった。
普段のように男が家に入ると、そこの家主と居合わせてしまった。すぐに逃げたが、深追いしてきた家主は男を追って車道に飛び出し、黒のセダンに轢かれて死んだ。残された家には、まだ小さい子供が三人とその母親がいた。
それからというもの、男はあるだけの金をその家庭に送ってきた。罪滅ぼしになどならないことは分かっていた。ただの自己満足に過ぎないことも分かっていたが、男はそうしないではいられなかった。
「自分は悪人だ」というのが、いつも男の考え至るところであった。自分がどんな行動をしても、自分が悪人、罪人であることに変わりは無い。ひとの言う善行も、他人の家から金を盗むことを生業としている自分、悪人というレッテルを貼った自分にとっては偽善でしかない。そう思っていた。金は盗んでも他人を直接傷つけるようなことはせず、居直るくらいなら捕まろうと決めていることも、目の前で死んでいる青年の運命に心を痛めたことも、片親で子供を育てる家庭に金を送り続けていることも、全てである。そんなことをまた思いながら帰宅した男であったが、無意識にも“次の家”に向かう準備を始めている自分に気づき、その哀れさに苦笑をこぼす。
青年と幸福と 井阪 騰一 @Toichi-isaka
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