第4話 死が二人を分かつまで

 ◇◇◇


 執務室まで押し掛けてきた図々しい親族達の前で、俺は一人ため息をついていた。


「最近公爵家に没落貴族の娘が入り浸っているとか!どういうことですか!」


「お遊びはそのぐらいにしてそろそろ身を固めてくださらないと。跡取りはどうするおつもりですか」


「ぜひ我が一族の中から公爵夫人にふさわしい娘をお選びください」


 口々に勝手なことを言う連中に反吐が出そうだ。莫大な公爵家の財産をどうにかして手に入れようとするハイエナ連中が、マリベルのことを聞きつけたらしい。金目当ての悪女だの、愛人を囲うのは世間体が悪いだの好き勝手に言ってくれる。


「マリベルは愛人などではない。私の恋人だ。お互い成人しているのだからお前たちにとやかく言われる覚えはない」


「あの女は財産目当てに決まっています!シリル閣下にふさわしくありませんわ!」


 キツイ香水の香りをまき散らし、頭に派手なリボンを付けた令嬢がキーキーと喚く。自分の方がよほど金に目がないだろうに。


 まあ、実際俺が彼女を金で縛っているのは間違いないのだが。


 そのことでちくりと胸が痛んだ。一緒にいるのが当たり前となった生活の中で、彼女と俺は金で繋がっている関係に過ぎないことを忘れかけていた。


 伯爵家が落ち着いた今、彼女を家に帰そう。


「今、何とおっしゃいましたか」


「マリベル、君との契約は無効にしよう。君はもう伯爵家に戻ったほうがいい」


 その日の夜マリベルに告げると、彼女は動揺を隠せないようだった。


「私、何かしてしまったのでしょうか。まだなんのお役にも立てていません」


 不安そうな顔に心が痛む。


「いや、そのことはもういいんだ。君が財産目当ての愛人だと噂になっている。君の名誉のためにも、実家に帰りたまえ。この話はこれでおしまいだ」


「……わかり、ました」


 翌日マリベルは来たときと同じように身一つで出ていってしまった。


「閣下、本当によろしいのですか?」


 ロイズが静かに問い掛けてくるが、俺は黙って頷いた。


 昼寝から目醒めた子猫が不安そうに鳴き声を上げると、部屋の中をウロウロと彷徨う。きっとマリベルを探しているのだろう。


「あるべき姿に戻るだけだ」


 ◇◇◇



「ねぇ聞きました?あの方、カリスト公爵に捨てられたらしいわよ」


「愛人だったんですって?穢らわしいわ」


「家のために身売りするなんてお気の毒ですこと」


 くすくすと聞くに堪えない嘲笑がそこかしこから聞こえてくる。それは全て、マリベルに向けられたものだった。


 社交界に戻った彼女を待っていたのは、酷い誹謗中傷だった。面白おかしく俺との関係を吹聴した奴がいたらしい。大方彼女に袖にされた男達か、財産目当てに俺に近付いた女達だろう。


 俺は自分の考えのなさがほとほと嫌になっていた。彼女の名誉を守るために家に帰したのに、逆に彼女の名誉を傷つけてしまう結果となった。


「なあ、カリスト公爵に捨てられたなら今度は俺の愛人にならないか?中古だから安くしてくれよ?」


 令息の一人が彼女に下卑た言葉を吐き、カッとなった俺は声をあげようとした。


 が、それより先に彼女が手に持っていたワインを思い切り男の顔に浴びせる。


「あらごめんなさい。手が滑ってしまったわ」


「なっ……」


「残念ながら、あなたごときじゃ私を満足させられないわね」


 しんと静まり返る夜会会場。だが俺は、彼女の手が小刻みに震えているのを見逃さなかった。この瞬間も、彼女はたった一人で戦っているのだ。


「このアマ!調子に乗りやがって!」


 激高した男がマリベルに掴み掛かろうとした瞬間、素早く腕をつかむ。


「シリル様……」


「げ、ど、どうしてカリスト公爵閣下がここへ」


 夜会嫌いの俺がこんな小さな夜会に参加するとは思わなかったのだろう。マリベルの様子が気になった俺は、密かに彼女が参加する夜会に行き、目立たぬよう陰から見守る予定だった。


「カリスト公爵よ」


「彼女とは別れたはずじゃなかったの?」


 遠巻きにひそひそと話す声が聞こえてくる。本当に、社交界は煩わしい。


 私は男を突き飛ばすと、マリベルの前に跪いた。


「マリベル、私と新しい契約を結ばないか?」


「契約、ですか」


「ああ。私の妻になってくれ。契約期間は、死が二人を分かつまでだ」


 ◇◇◇


 俺の冴えないプロポーズをマリベルは驚きつつ受けてくれた。


 俺の人生に、愛とか恋とかは無縁だと思っていた。だが、彼女が側にいるだけで満たされる気がする。きっと、この気持ちが愛なのだろう。


 彼女の膝の上で、すっかり大きくなった猫が丸くなっている。ある日ふらりとやってきた母猫と兄弟猫たちと再会を果たしたが、結局全員居ついてしまった。公爵家のあちらこちらでわがもの顔でのさばっているこいつらも、今ではすっかり家族の一員だ。居なくなってしまえば寂しいと感じてしまうだろう。


 あの日、彼女を探して鳴き続ける子猫の声が、自分の声のように思えた。魂を引き裂かれるような痛みを味わうのはもう二度とごめんだ。


「シリル様はとても愛情深いかたですわ。愛する心がないのではなく、愛したものを失うのが怖いのですね」


 そう言って微笑む彼女を眩しく見つめる。


「実はあのとき、シリル様がこの子猫を拾ったのを見ていたんです。この子もきっと、最初からシリル様が優しい人だってわかったのね」


 そう後から聞かされて。結局俺は泣き落としに弱いのかもしれないと思った。必死で鳴き声を上げる子猫も彼女も、結局家に連れて帰ってしまったのだから。


 だがそれは、人生で最も賢い選択だったに違いない。猫と彼女と甘いもの。たまに生意気な少年の訪れるこの日常を、何よりも愛しいと思うのだから。



 おしまい。

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公爵閣下!私の愛人になって下さい!~没落令嬢の期間限定恋人契約~ しましまにゃんこ @manekinekoxxx

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