第14話

「……やれるもんならやってみなさい」


そう言った彼女の顔は、いつになく嬉しそうだった。少しだけ氷が溶けたような気がして、なんだか俺も嬉しくなった―――なんて、平和だったのは束の間のこと。

休む間もなく始まったのは地獄の訓練だった。


「し…紫乃宮!!もう無理!!」

「無理じゃないわ、最大限まで出しなさい!」

「む、無理ーーーッ!!!!!」

「もっと!魔力を出し続けるのよ!!」

「う、うあああああッッッ」

「何も難しいことじゃないわよ!!この水を!!浮かせるだけ!!」

「それが難しいんだよッ!!!」


「はぁ…はぁ…はぁ……!!」

「あなた…思ってたよりダメね。こんな小さなコップに入った水すら持ち上げられないなんて………もっと初歩的なところから始めないとダメね…」

「おい、今まで魔術なんて使ったことなかったんだぞ!?できなくて当たり前だろ!?」

「私は生まれた瞬間に建物自体を浮遊させたわよ」

「ンなことは聞いてねえよ!!」


本当に鬼のようなトレーニングが始まってしまった。三日三晩……というか、もはや何日経ったかすら数えられないほど、俺はずっと魔力のコントロールに集中させられていた。寝る間も惜しんで……必死に、本当に必死に。

時には魔力が暴発して爆発が起こり、自分の保護魔法が発動して助かったこともあったし、暴発した魔力が全て紫乃宮に向かうこともあった。小さなカップに入れた水を空中に浮かせるという実用性のない魔術、泉の水を少量浮かせるという実用性のない魔術に、床の小石を浮かせて手に取るという実用性のない…………魔術ってもしかしたら大半が実用性なんてないのかもしれない。


「なぁ……魔術ってさ、こんな実用性のない魔術ばっかなのか?」

「そうね、一般の魔術師レベルなら すこ〜し生活が楽になる程度の魔術ばかりよ。」

「それって、例えば?」

「魔術で火を出して肉の表面を炙るとか、魔術で肉をカットするとか、10分間空を飛べるとか、足が早くなるとか、落としたものが地面につく前に掴める、とか。」

「実用性あるのかないのかわかんねえな…でも、最後の魔術は3秒ルールとか消えて最高じゃん。」

「3秒ルール…… ?この時代にもその単語が残っているの?」

「え?逆に大昔にもあったのか!?」

「ええ、あったわよ」


そう言うと、彼女は途端に深刻そうな顔になり、床に落ちていた小石を拾い上げた。


「物を落とす…………そして地面スレスレでキャッチする魔術が発動するまで3秒……」

「え?」

「発動するまでの3秒間は、たとえ間に合わずに床についても食べてもいい……そんなルールよ。」

「現代の3秒ルールとなんも変わんねえじゃねえかよ!!!!」


衝撃の3秒ルールを聞いて、笑いが止まらなくなってしまった。そんな俺を、紫乃宮は「何が面白いの」なんて言いたげな顔をして、遠くを見つめていた。


「昔は魔術を込めた宝石や機材……魔具が売れたくらいには魔術が浸透していたのよ。肉炙るくらいしかできない魔術師も、魔具があればある程度魔術で生活できたわ。」

「魔具……そんなものがこの世にあったのか……」

「それこそ、持ってるだけで常に足が早くなる宝石もあったし、魔具のジョウロで水をかけたら即座に花が開花する、みたいなものもあったのよ」

「すっげぇなそりゃ」


紫乃宮の話はとても面白いけれど、現代を生きる俺には全く理解できない話ばかりで、まるでおとぎ話を聞いているような……本を読んでいるような、そんな感覚になる。


「紫乃宮が言う昔……って、どれくらい昔の話なの?」

「……信じられないくらい昔よ。」

「そんな昔からずっと生きてるのか?」

「ええ。」

「魔術師って、長寿なのか??」

「いえ……人間と変わらないわよ。例え魔力で寿命を伸ばしても、自分の中から生まれる魔力より使う魔力の方が多くて、死んでしまうわ」

「じゃあなんで………………」

「それについては、そのうち…話すわよ」


目の奥が暗くなった彼女は、ハッとした顔で俺を見て、言った。


「そろそろコントロールできるようになったんじゃない?」

「…そうか?」

「試しに、この枝の先に火をつけなさい。」


そう言われ、力を調整して体の中の魔力を引き出してみると、枝の先に綺麗に火がついた。


「ほんとだ……」

「この細い枝の先に火をつけるって、結構大変なことなのよ。これができたんだから、この封印も解けると思うわ。」

「やってみるよ……」


グルグルと巻かれた魔力の帯――封印を、ひとつずつ丁寧に紐解いていくように魔力をかけていく。意外と時間がかかりそうだな、なんて思うと焦りが生まれてしまうので、ひたすらに自分に「できる」と念じ続けた。

丁寧に、丁寧に……そう心がけていると、額に汗が滴ってくる。何時間経ったかわからない。3分くらいなようにも、10時間くらいなようにも感じられた。

最後の1枚が解けた瞬間、黒い光が全体に広がった。


「……おめでとう、これであなたは魔術師と人間のキメラよ。」

「それって……喜ばしいことなのかよ」

「えぇ、あなたなら私を越えられるかもしれないわね」

「さすがにそれは無理だろ」

「よくわかってるじゃない」


ニコッと彼女が微笑んでロッドを手にした瞬間、視界が一気に明るくなり、いつもの光景に戻ってきた。


「非常…階段!?」

「さ、授業がそろそろ始まるわよ」

「ちょっと待って……本当に休ませてくれよ……!」

「随分疲れてるのね……って、やっぱり、予想通り。」

「ん?」


紫乃宮はそっと俺の首筋を触って、また微笑んだ。


「グローネフェルトの呪いだから少し焦っていたけど、相手はまだまだ未熟な呪術師みたいよ。」

「……と言うと?」

「あなたの痣、消えてるのよ。きっと呪術が効く範囲に限界があるのね。そして1回範囲外に出たら呪術ごと消えてしまって、なかったことになる……相手は相当弱い呪術師よ。」


そう言って差し出された手鏡で首を見てみると、確かにあざがきえていた。


「はぁあ……良かった……」

「あなたもかなり焦ってたのね」

「そりゃそうだよ……」


久しぶりにスマホを見てみると、やはりあの日から5日ほど過ぎていた。


「ま、だいぶお疲れのようだから……今日のところは休みましょう。自宅まで送ってあげるわ」

「お、おう、ありが―――」


そのまま視界が光り目を開けたら、俺は自宅のリビングに立ち尽くしていた。


「どういうこったよ…………」


猫2匹がお出迎えしてくれて、ふと猫のご飯の皿を見た。盛った形跡がある……ということはトレーニングで帰れない間、紫乃宮が面倒を見に来てくれてたのだろうか。


「はぁ……変な女に捕まっちゃったな」


数日の疲労感がどっと身体を襲い、俺はそのままソファで寝た。

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