きみがわたしを変えていく

あなたの夜を照らす光は

「まだ待ってんのかよケイ、今日はもう諦めろって」


「……いや、あと5分だけ……」


 公立小園高校教室棟2階、2-Aの教室。

今日もおれは人を待っていた。

ここ最近生徒会の業務で多忙を極めている先輩は、何時になれば業務を切り上げて帰宅することができるのか、当日になってみないと分からないらしい。

今日一緒に帰ることができるのか、否か。

スマホに連絡が来る時もあるし、わざわざ教室まで訪ねてきてくれることもある。

先輩は時折気まぐれで天真爛漫で、空に浮かぶ雲のように自由になる。

そういう所さえ魅力的に思えるから、惚れた欲目とは秀逸なことわざだ。


 うちのクラスのロングホームルームが終わってから既に15分が経過している。

そろそろ決断すべきだと理解していても、霞のような実態のない淡い希望にまだ縋っている。

信じ続ける限り、可能性は消えない。

だからあと5分だけ待たせてくれませんか、5分間なにも無ければ大人しく駅まで一緒に行くからさ……

今も教室で一緒に暇を潰してくれている沓野や雑賀ら友人たちと一緒に帰るのもやぶさかではないんだけど、都合が許すならおれは先輩と帰路を辿りたい。

とはいえ今日の所は諦めた方がいいだろうか……と苦渋の選択をしようとした矢先、声が聞こえた。


「信田 圭くんはいますか~……あっ、こうくん!」


 穏やかな温もりを帯びた、優しい声音。

高すぎず低すぎない落ち着いた響きで、囁くように、詠うように名前を呼ばれた。

おれの姿を確認した途端にニコニコ嬉しそうな笑みを浮かべるの、反則すぎる。

史上最速のスピードで声の主の元へ駆けていく。

さっきまで机に突っ伏して沈み込んでいた友人が顔色を変えて飛び込んでいくのは彼らにとってさぞや滑稽なことだろう。

沓野は口元を覆って笑いを堪えている様子だし、雑賀は指を指して爆笑している。

忠犬じゃん! じゃないんだよ、全部聞こえてるからな、お前ら明日覚えとけよ。


「先輩! てっきり今日もお忙しいのかと……お仕事、大丈夫ですか?」


「ぜ~んぶ来週にまわしちゃった。 遅れちゃってごめんね、かえろ?」


「はい!」


 おれの変わり身にまだ爆笑している友人たちに別れを告げて、先輩と二人でゆっくり歩き出す。

仕方ないだろ、好きな人の前では少しでも格好付けたいものだと彼らもいずれ理解できるようになる筈。

今は大人しく馬鹿にされてやるのだ。


 文部両道、才色兼備。

高身長で鋭い雰囲気の美人なので近寄りがたいと思いきや、喋ると割とおっとりした天然さんで親しみやすい。

俺の隣で歩いている幼馴染み、眞家 怜先輩は皆に愛される憧れの上級生だ。

長年おれが片想いしている大切な人。


「こうくん、お魚……」


「今日の夜の話ですよねそれ、何の魚が一番食べたいですか?」


「……ほっけ?」


「じゃあホッケと……大根も買っていって大根下ろしも付けましょう。スーパー寄りますけど、先輩も来ますか?」


「うん」


「もうお菓子買っちゃダメですよ。 こないだのクッキーまだ大分残ってるので」


 先輩は、少し人見知りする所がある。

早いうちから身長が伸びて怜悧な雰囲気を纏うようになって、ただ喋れないでいるのを周囲がいいように解釈してクールな印象だけが一人歩きしていった。

特に下級生たちは、その多くが先輩のことを誤解している。

流石に同級生ともなると何かの拍子に話す際に誤解が解けて、色眼鏡抜きで判断できるようになるのだろうけど、下級生とは直接話す機会がない。

廊下ですれ違った時の凛とした姿勢、芍薬のような楚々とした佇まいだけを見ると先輩に瀟洒な印象を持つのも理解できる。


 けれど実際の先輩はとてもキュートな人だ。

元々口数が多いタイプではないけど気を許している人の前では普通に喋ってくれるし、辛い物と苦いもの、活字が苦手で癖毛と低血圧をとても気にしている、甘いものに目がない普通の女の子。


「お醤油、買わないとなかった……気がした。 多分」


「お、それも買っておきましょう。 大丈夫です、違ったら納戸に置いておけばいいので」


「生徒会室に置いておく用のクッキーも欲しい。交際費として計上する」


「どこに計上するんですか、もう…… 今日は家計のお財布じゃないので、一つだけなら、まあ」


「愛してる」


「はいはい、おれも愛してますよ」


 今日はいつにも増してテンションが高いな。

先輩は時々こういう風にふざけて振舞ったり、甘えたりして自分の傷を隠す。

人に疲れを、悲しみを見せないように生きるのを美徳だと思っているのかもしれない。

それは過ちだ、おれは身を持って知っている。

だって、こんなにも苦しい。

大切な人が何かを抱えていることが、抱えている荷物を共有してくれないことが、これ程寂しいとは知らなかった。

あなたの夜を照らす光になれたら、他に望むものなんて一つもないのに。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る