この優しさがそうやって続けばいい
食器用洗剤を買い足して帰ったら、なんかスポンジの隣に真新しいものが既にあった。
こうくんに訊いてみたら、今日こうくんも買い足してさっき詰め替えてくれたらしい。
普段私がずっと洗い物してるのによく気付いたね。
「先輩お皿洗いながら呟いてたじゃないですか、『買い足さなきゃ』って」
「……ぇ、それ昨日の話、ダヨネ……?」
「はい」
「その時こうくん、本読んでなかった……?」
「本読んでても周りの音は聞こえます。 先輩のかわいい鼻歌いつも聞いてますし」
それ早く言ってよ!
音楽聴きながらお皿洗ったりするから時々口ずさんだりもするさ。
小声だし聞かれてないと思ってたのに恥ずかしいじゃん……
ともかく洗剤被っちゃったね、私が買ったのは納戸のどっか分かりやすい所に置いときます。
夕食のパスタはそこそこ好評だった。
こうくんは気遣いの人なのでなんでも美味しいって言ってくれるけど、心から美味しいと思ってるかどうかは完食するまでのスピード感で分かる。
お皿空っぽにして、いつもの笑顔で手を合わせてご馳走様でしたって言ってくれるこうくんが愛おしくて胸が苦しいんですけど、どこの病院に行ったら解決しますか。
私の作った料理を好きな人が笑顔で完食してくれることでしか摂取できない栄養素が、ぎゅんぎゅんに満たされたことを感じる。
さて、夕食も食べたしここからが本番。
私たちは殆どの時間、リビングで二人揃って互いに思い思いの時間を過ごしている。
時々イヤホン片耳ずつ合わせて好きな音楽を共有したり、急に耳かきがしたい欲が湧いて膝枕して耳かきしてあげたり、逆にしてもらったり、寂しくなったら手を繋いでもらったりしてのんびり過ごすのだ。
「こうくんもご存知の通り、安眠の奴はとても効果がありました」
「ハハッ、先輩のお役に立てて何よりです」
なんと眩しい無償の善意か。
私の好きな人、善人すぎ。
今日はもう寝るだけだし前髪くしゃくしゃにしちゃいます。
愛い奴め、うりうり。
「くすぐったいですよ先輩……もう、どうしたんですか」
特に理由という理由はないんだけど、なんか愛しさがこみ上げてきてしまって……
私がこうして甘える時、こうくんは困ったふりをして割と嬉しそうな笑みを浮かべるから罪深い。
もっとしたくなっちゃうじゃん。
両手を広げて見つめると、仕方ないなあって優しくふわりと抱き締めてくれる。
清潔なシトラスミントの香りが鼻孔をくすぐる。
こうくんってなんでいつでもこんな良い香りするんだろう。
私もこうくんも香水は使わないし、今こうくんのお家の玄関に置いてあるルームフレグランスはホワイトサボンの香りがする、違う香りだ。
訊くと、自分じゃわからないですよって困った笑みを浮かべてあなたは笑うのだ。
最近こうくんの吸い込まれてしまいそうな大きな瞳の、その深淵には沼があるんじゃないかと思う時がある。
深く甘やかな沼。
今は私のためだけの牢獄。
戻れないぐらい引き込まれて、どっぷり浸かってしまった私はきっともう手遅れだから、このままどこまでも沈んでいく。
快速で、二人きりの地獄へ。
「安眠の。 とっても良かったから、こうくんにもやってあげたくて」
「え、おれに……ですか?」
気持ち良くてそのまま眠ってしまいそうだったので、満足いくまでこうくんに甘えてから本当に伝えたかったことを切り出す。
こうくんは今の発言自体が全くの想定外だったみたいでぽかんとしてる。
鳩が豆鉄砲を食ったよう、みたいな表現よく使われるけど、唖然としてるこうくんもかわいいんだよね。
こういう時、こうくんは花が咲いたように笑う。
人によく親切にするのに、翻って自分が誰かの厚意に触れた時、嬉しそうにニコニコするの本当に無防備。
心のまだ責められたことない場所をザクザク突かれるような感覚があってドキドキしてしまう。
ズルだよ。
可愛すぎ罪適用。
早速、こうくんのお部屋に移動。
効果の程がどれぐらいかは分からないけど、私の時みたいにちゃんと効果覿面でそのまま眠っちゃったら、非力な私ではこうくんをベッドまで運んであげることができないからです。
今日は元々こうくんのお家でご飯食べたから、そのままお部屋まで行くだけ。
こうくんのお部屋、久々に入ったな。
あぁ、こうくんの香りがする……極楽浄土。
相変わらず整頓されてるし、あんまり生活感がない。
こうくんはグッズとか、そういう形に残るファンアイテム的なアイコンにはあまり興味を示さないので、結果としてお部屋には最低限機能的な家具だけが揃っているような状態になる。
こうくんは割と無趣味側の人で、それをいいことに音楽もファッションも食の嗜好も、殆ど私好みに染めてしまった。
このお部屋に来る度にそのことを思い出す。
お部屋には、その人の本質が表れる。
こうくんのお家に訪れる時、その時間の殆どを私はリビングで過ごす。
だからリビングはいつの間にか私の私物(ゆるキャラのぬいぐるみとか肌寒くなった時用のタオルケット、モアイのティッシュケース等)がどんどん浸食していき、こうくんのお家なのに私好みの部屋になっている。
その逆は、あんまりない。
こうくんが私のお家に残していくものは、別にこうくんの嗜好が出たものじゃない。
私が特別美味しいと伝えた料理に必要な常備菜とか、私が好きなブランドが出した新作のニット、水を入れるとお洒落な絵柄が浮き出るコップ。
全部全部、私と二人でいる時に買った、私のためだけのもので溢れてる。
だから、この部屋こそがこうくんの本質なんだ。
「……じゃあ、お願いしてもいいですか。 ……これ、なんか恥ずかしいですね……!」
「私はもっと恥ずかしかった」
「……すみません……」
反省せい、全く。
例の本にも書かれていたけど、催眠術というのはそもそも相手との信頼ありきだというのは尤も。
こうくんなんて既に本で変なことはされないと学習してるんだから幾分マシだ。
今思えばあの日の私は本当に恥ずかしい。
こうくんが私の意思を確認することなくなにかする筈ないのに。
いや、されてもいいと思ってた私も大概だけども!
結論からいえば、こうくんの催眠耐性はほぼ無いようなものでした。
こうくんを暗示に掛けるのには糸に吊るした五円玉みたいな小道具さえ必要ありません。
ただ、例の本を片手に安眠に必要な誘導文を少しアレンジして唱えてあげるだけ。
私よりチョロいじゃない、君。
ちょっと緊張してたのに拍子抜けだよ。
指まで絡めてしっかり繋がれた左手を、起こしてしまわないように少しずつほどいていく。
えへへ、恋人繋ぎ。
私がしてもらった時、なんとなくずっと手を繋いでもらっていたような感覚があった。
心象風景の中の海でこうくんと手を繋いでいたのは、その温かな体温を感知していたからだと疑っている。
単なる思い込みで、実際どうだったのかは分からないんだけどね。
改めてこうくんに訊くのもなんだか恥ずかしいから、ずっとわからないままでいいと思っている。
だから、今日は私から手を繋いだ。
温かな体温に触れると、安心できる。
私はそうだった。
だから、こうくんにもしてあげたくて繋いだ。
私欲ではない。
低血圧で体温も低い私は人より手が冷たいし、それ程温かくないかもしれないけど、断じて私欲ではないのだ。
よく眠っているこうくんを眺める。
小学生の時は私と同じぐらいぽわぽわしてたマイペースな男の子だったのに、精悍な顔つきになったなあ。
とっても凛々しい横顔。
でもあなたが実はとってもかわいい人だということ、私は知ってる。
大好きだよ、他の誰よりも。
「お休みなさい、こうくん。 良い夢を」
額に口付けを一つ落として、私はそっと部屋を去った。
いつまでも眺めていたくて名残惜しいけど、私があの部屋で眠るわけにもいかないから。
音を立てないようにゆっくりと扉を閉める時、妙にそわそわしてしまった。
サンタさんを夢見る私に両親がプレゼントを渡してくれた時も、こんな思いを抱えていたのだろうか。
遠い未来で私の子どもにも同じことをしてあげたいと、この優しさがそうやって続けばいいと、そんなことを思った。
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