第八話

 翌日、大分日が昇ってから目覚めた。

 いつもと違う柔らかいベットで寝たからか、身体が少し重い感じがして背伸びをしかける。そこで、何かに手を握られてる感触があって、横を見ればゼスが平然と寝ていた。一応気を使ってくれたのか、シャツとトラウザースを着ている。

 

 いやいやいやいや、待って。シャツとトラウザース着てるからって、安心しちゃだめよ、あたし! まだ婚前、どころか口約束しかしてないでしょ!! ふぅーふぅー、まずは……。


 状況を整理しようとして、昨夜刃物女に襲われた時のことを思い出した。何もしてないのに、いきなり全く知らない女に殺されかけ、もう駄目だと思ったところで――全裸のゼスが。


 うにゃぁぁぁぁ。鍛え過ぎず、程よい筋肉の付き方した身体でした。って言えればいいけど、他にも色々と見ちゃったし……。あれがいずれ自分の……とか、思っちゃダメだ。今こそ記憶を抹消しなければ!!

 えっと、えーっと、今考えることは……。


 ぷしゅ~と頭から湯気が出しているあたしの耳元でクスクスと楽し気な笑い声が聞こえてくる。その相手を睨むように上を見れば、それもご褒美だと言わんばかりに顔を蕩けさせた。

 紫紺の瞳があたしの何でもない茶色の眼を覗き込む。

 頬に柔らかな唇が押し当てられて、チュっとリップ音が鳴ると離れていった。

 

「おはよう。シア」

「……ぅん。おは、よ、ゼス」

 

 キスされた! と、認識した途端、お腹の辺りが熱くなって顔に熱が集まって来るのが分かった。

 昨日といい、今日といい、どうしてこんなに翻弄してくるのか? 余りの恥ずかしさに、顔をゼスの胸に埋めてぐりぐりとこすりつける。と、またも楽し気な笑い声が上がった。


「もう、ゼスのばかっ」


 色々とやらかした気がして、急いでゼスから離れる。人ひとり分の間を開けて、起き上がったあたしはゼスに腕を引かれて、ぎゅーぎゅーと抱きしめられた。再びゼスの胸に頬を当てる形になったあたしは、何を思ったのか眼を閉じる。

 自分でも良く分からない行動だったけど、なんとなくそうしなきゃいけない気がした。

 規則正しいゼスの鼓動が鼓膜から伝わり、安心感が胸を満たす。


「シア、そのまま聞いてくれ」

「うん?」

「昨夜の賊についてだ。分かった事はみっつ。賊の名前は、タリーナオ。苗字は無い。そして、彼女はディグリュード帝国・男爵家の庶子として登録されている」

「庶子なのに苗字が無い?」

「あぁ。タリーナオは、暗殺者ギルドに所属していた事が判明している」

「暗殺者ギルドって……マジかぁ」

「現在、リカルドたちに調べさせているが、依頼人は不明だ。命を懸けた魔法契約をしているようでな……」


 暗殺者ギルドと聞いて、昨夜対峙したお姫様の顔が浮かんだ。それを消すようにゼスを見上げれば、とても深い皺を眉間に刻んでいる。


 多分、ゼスもお姫様を思い浮かべたんだろうな~。昨日会ったのは数人だしね。その中で、あたしに恨みを持った人となれば……。ま、証拠がないから、絶対に彼女だ! とは言えないけど。


「ところで、聞いていいのか分からないんだけど……、どうやって聞き出したの?」

「あぁ、そんなことか。ドバーネの蜜だ」


 ドバーネの蜜って、確か超強力な自白剤じゃなかったかな? 流石に聞き間違い……じゃないのね。

 

 どや顔を晒すゼスに対して、どう対応すればいいのか悩ましい。この場合、良くやった!! って、褒めるべきなの? それとも……。よし、考えるのやめよう!

 

「我がいる。必ずシアを守る。だから、もう少しだけ……怖い思いをさせて、すまない」

「うん?」


 ゼスの言い方が妙に引っ掛かり、確認しようと顔をあげたところでゼスの方が先に話始めた。


「皇族が使う部屋や客室を含め、全てには少し特殊な結界や魔法が使われている。今回シアが寝たこの部屋も同様でな。城勤めの者でも登録した者、もしくは通された者が招いたもの以外、決して入れない仕組みなのだ。それなのに昨夜、シアが賊に襲われた」

「魔族の中に、裏切り者がいるって言いたいの?」

「あか、そうだ。疑いたくはないが、状況が疑わざるを得ない。シアがそんな顔をする必要はないんだ」


 ゼスだって疑いたくはないはずなのに、あたしのことを気遣ってくれている。

 抱きしることで癒されるなら、いくらでも抱きしめてあげたい。 広い背中に手を回すだけでいいのに、周囲にいる侍女さんたちの存在が気になってできない自分を歯痒くて俯いた。


 ゼスの苦しみを少しでも取り除きたい。そんな想いで言えたのは「ゼス……。あ、あたしに、あたしに何かできる事ないかな?」

って言う陳腐な言葉だけだった。

 情けないと眉尻を下げたあたしに、ゼスはただ「シア」と、名前に愛しい気持ちを乗せて呼んでくれる。そして、ゆっくりと頭を撫でた。何度も何度も、不安を溶かす様に――。


 あたし、侍女の視線が恥ずかしいとか、抱きしめたいって思ったのにゼスに嫌がられたら……とか、言い訳ばっかり考えて行動しないとかバカみたい! 抱きしめたいんだから、抱きしめればいいじゃん!


 ぎゅっと抱き着いたゼスの身体は、見た目に反して大きくて、暖かくて、ものっそい硬かった。


「嬉しいものだな。こうして、抱きしめられるのは……」

「えへへ。……ねぇ、ゼス、……好き」

 

 ポロっと零れた告白の言葉は、紛うこと無き本心で。耳に届いた音に、あぁ、あたしはとっくにゼスが好きだったんだ。と、実感した。



♢ ♢ ♢



 ゼスと抱きしめ合って、自分の気持ちがストンと落ちたのは良かったと思う。いい加減、身支度整えたいのに離して貰えなくてベットから抜け出せた頃には午後のお茶の時間になってたことは予想外だったけども……。

 でだ。

 なんでベットから出た途端、婚約すっ飛ばして結婚証明書にサインしなきゃならんのだ? そこはせめて、桃色思考になりつつ悶えて着替えして、ご飯を食べてからでもいいじゃないか!! ご飯は大事なんだぞ。


「シア、サインはここだ」


 ニコニコと機嫌良く紙に出来た空白地帯を指さすゼスに、ついつい見たらわかるよ、子供でも!! と心の中でツッコミを入れる。


 まぁ、それだけあたしの事を望んでくれてるんだって、思えば可愛く見える……か? いや、可愛く見えてもダメでしょ。一応ってつけちゃダメだろうけど、ゼスはこんな表情してても皇帝な訳だし、しっかり時間をかけて結婚するしないを決めるものじゃないの?

 特に急ぐ理由があるわけでも無いしね? あ、一つ懸念事項があるけど、アレはあたしじゃ相手にできないわ。って!!……考えてる間に、箱に入った捨て子犬がですね、見え隠れしてるんですがっ?!

 

 仕方なく結婚証明書の紙を手元に引き寄せる。すると子犬の残像がサッと姿を消した。それに呆れたあたしは、ひとつため息を吐き出すと、差し出されたインク瓶に羽ペンを付けてサインする。その後は血判を押して――。

 って! 早いわぁぁぁぁ! その黒装束の人、誰? あ、信頼できる影の人なのね。その人があたし達の代わりに神殿に持っていくんですね。どうも、すみません。


 血判を押した途端、乾かす間もなく結婚証明書をゼスに回収された。その紙はゼスからいつの間にか居た黒い人に渡り、その人が消えるととてもいい笑顔で「シア、これで我らは夫婦だな」と言いやがりました。


「あー、うん? そうだね……」

「不満でもあるのか?」


 眉間を揉みながら答えた事が、ゼスのお気に召さなかったらしい。


「いや、不満とかはないんだけどさ。この国では出会った翌日に結婚これが当たり前なの?」

「…………まぁ、人、それぞれだな」


 おい、かなりの間があったぞ? 大事な部分を言い淀むんじゃない!!


 どんだけ無理を押し通したんだと言う目でゼスを見つめる。すると明らかに視線を彷徨わせたゼスが「……そ、そうだった」と、話を変えて来た。


 まったくもう、困ったもんだ……。嘘つかないだけ良い! って思うべきなんだろうなー、これ。


 あたしは、大きく一つ呼吸をすると、ゼスを促す様に見つめ返した。


「そう、シアのポーションを見せて貰いたい」

「見せるのは問題ないけど、使えないよ? 昨日も言ったけど、あたしが作るとポーションで死人がで……いや、流石に本当に死んでないからね??」

「そ、そうか。ひとまず現物が一本欲しいのだが?」

「あー、今は無いなぁ。店になら在庫腐るほどあるよ~」

「分かった。飛ぶぞっ!」

「はっ?」


 またもゼスによって転移させられたあたしは、その後魔力酔いで反省のポーズをとることになるのだった――。

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