第3話 ―僕と喧嘩と先生の―

 03 ―僕と喧嘩と先生の―



 五月のはじめは、まだ少し肌寒い夜であるはずなのに、真夏のような熱気が漂う。

 それが、集うバイクの排気ガスなのか、まだかまだかと沸き立つ人たちの悪意なのかは定かではないが、閑静なこの場所で、ここまで騒ぎ立てるほどに高熱を発生させる、熱狂的な何かが今から始まるのは間違いない。

 根拠は、周りを見渡すと一目瞭然だ。

 僕を笑って見ている人、憐憫の目で見ている人、興味があると言わんばかりに見ている人、白けた目で見ている人。

 そして、殺気立つバイク乗り数十名とニヤける大石さんとやらの姿。

 そんな状況、高みの見物で来ていると思われる野次馬と、大石一同。おまけに西澤の言葉で、何が起こるのかは大体見当がつく。

 これは俗に言う公開処刑で、羊は僕なのだろう。と・・・・


 あと一押しのきっかけがあれば破裂する爆弾のような張り詰めた空気の中で、西澤は僕を連れて中央へと歩き出し、突然のこの状況に言葉も出ない僕をよそに、彼女は大石へ声をかけた。


「約束通り、彼を連れてきたわ」

「間違いねぇな。こいつだ。よし、さっさと始めよう」

 大石は僕の顔を確認すると、顎をしゃくって周囲に合図を送った。

 恐ろしく手早いやり取りだと思う。こいつら、予めから計画していたな?

 そんな推測をしていると、大石は僕を睨んできた。

「あの時はよくもやってくれたな、岩谷くんよぉ。不意打ちとは言え、坊ちゃん学校の生徒に負けたとなったら俺の箔が落ちる。一応ファンを呼んだが、お前だけは確実に殺すためにもフクロにする。チップは期待できねぇがな」

 大石の言葉に、周囲からバットだの鉄パイプだの凶器を持った奴らが続々と現れる。

その光景に、慌てて大石に抗議と説得を試みる。

「ちょっ、ちょっと待て!!これはやりすぎだろ!?なぁ、あの日は悪かったよ!だから許してくれないか!?喧嘩はやめて、話し合いをしよう!そうしよう!!」

「逆らったお前が悪いんだよ、死ね」


 僕の抗議と説得は空しくも大石には届かず、これから身に降りかかるであろう不幸に驚愕していると、横にいた西澤はわくわくとした表情で囁く。

「さてさて、面白くなってきたわね」

 意味不明な娯楽を見いだすその感性に戦慄を覚える。

「おい!察しはついていたけど、なんだよこれは!説明し―――

「説明はあと。さて、期待しているわ、岩谷くん。あなたの喧嘩を」

 またもや遮り、身勝手な期待押しつけてくる。

 そして、ポケットから取り出したコインを高くあげると、西澤はそそくさと僕のそばを離れて、野次馬の側へ駆けていく。

 その素早さにしばし唖然としたあと、まるで合図ともいえるその行動に、危機感はさらに膨れ上がる。

 あのコイン、とてつもなく嫌な予感がする。というか、見てわかる。あれが落ちたら・・・


 キンッ、と落下したコインが音を立てた瞬間。

 外野の大きな歓声で、嫌な予感が当たったことがわかった。

 大勢の凶器持ちたちが僕を目掛けて走ってきたのだ。


 なんとかしろよと恨みがましく西澤を一瞥すると、事の元凶だと無自覚な彼女は手を振って答えた。応援していると言わんばかりの純粋な笑顔で。

 期待はしていないが、周囲の野次馬たちも警察に通報する気配はなく、喧騒の雰囲気に熱狂していた。


 だめだ、あの気狂い共の様子を見るに、もう当てにはできない。

 まずい、喧嘩を回避できる活路が見いだせない。心が焦る。どうする?どうしたらいい?


 喧嘩が嫌いだし、殴るのは過去の事を思い出すからしたくもない。

 だけど、あの凶器にあの数。無抵抗でいると、盛岡たちのいじめのように無事で終わるとは思えない。そうなれば、家族や友達に心配をかけてしまう。

 僕は殴ることができない。だが、無抵抗はまずい。

 どうする?どうする?どうする?


 やっぱり、あの日つい手を出したのが原因なのか?

 あの日、僕が喧嘩を買ってしまったからこうなったのか?

 でも、それって僕の責任なのか?

 あのときは正当防衛じゃないか。

 こんなの逆恨みじゃないか。

 自問自答の中、沸々と何かがこみ上げてきた。


 だったら叩きのめしてもいいのではないか?

 あの時とは違うし、殴り飛ばしてもいいのではないか?

 そうだよ。僕は悪くないし、売られた喧嘩を買うだけだ。

 こみ上げた感情に心が支配されていく。


 でも喧嘩は嫌いだ。いや降りかかる火の粉を払うだけだ。しかし殴ったらいけないだろ。けどやり返さないとまずいだろ。だって仕方ないだろ。まてまだ何かあるはずだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なんか・・・・あれこれ考えるのは面倒くさくなってきた・・・・

 硬く拳を握って、迫る奴らを見る。

もういいや、こいつら全員―――

 拳を振るおうと思った瞬間、ふと、頭の中で声が聞こえた。


『君が何をしても、どんな事をしても、私はいつだって君の先生だ!だから―――』


 僕が誰よりも尊敬する人、姉ちゃん先生の声だ。


冷や水を頭からかぶったように、怒りの熱は冷めていく。

心にあったどす黒い感情は浄化され、気持ちは穏やかになっていく。

 今何を考えていた?何をするって?この拳は何だ?

そうじゃないだろう、姉ちゃん先生は僕に何を教えてくれた?


落ち着け。焦るな。もう一度冷静によく考えろ。

 一つ、喧嘩を避けることはもうできない。

 二つ、怪我をするわけにはいかない。

 三つ、殴るわけにはいかない。

早く結論を出せ。脅威はもう目前だ。

 一つ、ならば立ち向かえばいい。

 二つ、ならば避ければいい。

 三つ、ならば技術を使えばいい。

結論、まともに戦わずに負けなければいいんだ。

方向性は定まった。荒れた心も静まった。

あとは覚悟だけだ。


「―――行きます、姉ちゃん先生!!!」


慟哭を響かせ、襲い来る嵐へ目を向ける。


―――まずは避けるんだ。

バットが風をきる音がした。まだ来る。

―――そのまま後ろに回れ。

見失って慌てている。だが油断するな。

—――敵の攻撃を読め。

後ろから攻撃がきた。避けろ。

―――僕の流れに持ち込め。

敵が調子を乱す。いいぞ。

—――敵を動揺させろ。

大振りの攻撃。受け流して巻き込め。

—――隙を作れ。

同士討ちで体制が崩れた。よし。


—――ここだ。








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