23

――ハッと目を覚ました斗真。

未踏ダンジョンへの参加希望を申請しようと、指を画面に近づけているところで気づいたのだ。

F級ダンジョン『おもちゃ箱』――。

見知ったタイトルに視線が釘付けされて、斗真は身体が急にガクガクと震えだすのを自覚した。

理由も訳も解らずに、ただ唐突に身体の奥底から恐怖が込みあがってきて、動かしていた脚を止め、その場に尻餅をついていたのだ。

街中でいきなり崩れ落ちたために、歩道を歩く人々からくすりと笑われたり、奇怪な目を向けられたり、バカにされたり、もしくは心配されたりもした。


「大丈夫か?」


と、中年の男性が声をかけてくれたのを、斗真はうすら涙を浮かべて、「大丈夫」と告げて立ち上がった。身体を抑えながら帰路につき、それでも心配してくる中年男性の手を振り払って、斗真は駆けだす。

無我夢中に駆け出す。

走って走って走って。

風の如く走り抜けて、施設の門を抜けた。

寮の部屋へと戻って、扉を開けて、鍵を閉める。


「わッ!? 兄さん、いきなり扉を開けないで、よ……って兄さん?」


トイレから出てきた晴美と鉢合わしたが、斗真はその横をサッと通り抜ける。

ロフトに上っていく兄の姿に、晴美は追いかけて梯子を上った。

布団をかぶり、ガタガタと震える斗真を見て、解りやすいほどに大きなため息をついて。


「……そんなに怖いならハンターなんか辞めればいいのに……」


と、初めてダンジョンに行って病院で震えていた時の姿を思い出し。

晴美は呆れながらも、気を付けて梯子を下りて行った。


「…………」


布団をかぶっても震えが止まらない。

寒さで身体が震えているわけではないと、むしろ熱いくらいに暑い布団の中で、斗真はボロボロと涙を流して声を押し殺していた。

身体を丸めて、強く目をつぶり、頭を抱えて。

震えて震えて、子供のように泣きじゃくって――。

晴美からご飯が出来たことを告げられても、斗真は布団から出てはこなかった。

翌日も。

翌々日も。

斗真はロフトにこもり、日がな一日引きこもり生活を送っていた。

晴美から呆れられたり、施設の人から心配されたりと、斗真を想う人がたくさんいたが、彼は外へ出ることはなかった。

そして『おもちゃ箱』攻略の当日。

斗真は毛布を体に巻いてテレビを眺めていた。

特に見たい番組があるわけでもなく、これといった好きなジャンルがあるわけでもなく、斗真はぼーっとして、画面で流れる天気予報に視線を向けていた。

参加する意思を取りやめて、何故か怖くて一歩が踏み出せない状況に立たされて、ただ部屋に閉じこもって一週間を過ごした。ニートのようにダラダラと過ぎるのを待っている。

無駄とわかりつつ、無為に時間を過ごすことが最善だと、逃げるように部屋の中で留まっていた。


「ねえ兄さん、いつまでそうしているの?」


キッチンから声をかける晴美に、斗真は曖昧な返事をした。

まともに返事する気を感じられない兄に、晴美はため息をつく。

朝昼晩はしっかりご飯は食べるし、睡眠不足に陥っているわけでもない。ただやる気をなくして、巨大な嵐が過ぎ去るのを待っているような印象が見受けられるだけ。


「もう……」


流し台を洗い終えた晴美は、手を拭いてキッチンから自室に戻る。


「買い出しに行ってくるけど、何か欲しいものある?」


「……プリン」


そうした問いかけにはしっかりと応じるあたり、ズルいというか何というか。

子供っぽい甘味を所望する斗真の精神性がよくうかがえる。


「わかった。一時間くらいで帰ってくると思うけど、出かけるときは連絡ちょうだいよ」


「んー……」


そう訊きつつも、斗真が外出する気なんてないことくらい知っている。

あくまで催促を行っただけ。

そうして扉の開閉する音が聞こえなくなると、部屋の中ではテレビの音だけが鳴った。

他の音はしない。

水の落ちる音も、風が吹きつける音も、毛布と服が擦れる音さえも。


「………………」


斗真はコテンと、カーペットの上に寝転がった。

時刻は十時前。

『おもちゃ箱』の攻略が始まる時間だ。

本来なら斗真もそこへ参加しているはずなのに、今は此処に居る。

目の前に机の脚があって、テレビを見ることも耳を傾けることもない。

差し込んでくる光が若干まぶしいのだが、カーテンを引く気力すらない。

やる気がない。

鬱っぽい。

時間が無意味に過ぎる。


「何も――」


――なければいいんだけど。

と、そう呟いた。

直後だった。

街中で突如として凄まじい爆発音が響き、地響きが建物を襲ったのは。


「うわっ!?」


地震。

食器が、小物が、テレビが――。

床に散らばり、倒れてめちゃくちゃになる。


「な、なに?」


窓を開けに行き、外を見た。


「え」


モンスター。

それも大量の干支を模した、獰猛なモンスターたちが街で暴れまわっていた。

建物が崩れ落ち、潰され、破壊され、鮮血が至る所でシミを作っていた。


「え、え」


ほんの数分前とは思えない光景が、目まぐるしく激動していた。

何もかもが突然で、何もかもが突発的な出来事が、この街で繰り広げられている。

それも。

斗真には何故か既視感のある、絶望的なビジュアルを目にして。


「あ……あ」


少女だった。

まるで蜘蛛のように手足を下半身から生やして、身体中の目を駆使して辺りをキョロキョロしていた。建物の下の凄惨な虐殺には見る目を寄せず、何かを探すように、何かを探るようにして、遠くの建物の屋上で。


「あ――」


身体から力が抜けて、尻餅をつく。

何を察したのか、『少女』の目のすべてが斗真を見て、『彼女』も斗真を見た。

じっと。

観察するように。

覗き込むように。


「ひっ」


声にならない悲鳴を発して、斗真は後退る。

ガタガタと身体が震え、身に覚えのない奥底からの恐怖に発狂しそうになった。

その『少女』が。

斗真の方向へ体の向きを変えようとしたとき。

迫ってきたハンターに行く手を阻まれて応戦する。

至極落ち着いて、退屈そうに、襲い掛かってきたハンターたちの相手をしながら、その場から遠のいていく。


「…………」


消えた『少女』。

斗真は一歩も動けずに、窓の外を眺めるばかり。

一分、五分と、無情にも時間だけが過ぎていった。

そして――。


「……晴美ッ」


唐突に我に返り、斗真は晴美の安否に思い至る。

十数分前に出かけた晴美――。

斗真は靴も履かずに、部屋の扉を蹴り破って外に出た。


「……う」


リズミカルな音楽が流れていた。

遊園地で流れるような、愉快なメロディー、そして美しくて儚い、切ない思いを表現しているのが虚しかった。

そして、廊下で行われる卑劣な光景。

機械的な虎が、この寮の住人を弄ぶ、グロテスクな光景。

生きたまま肉を裂き、切り落とし、その部位を見せびらかしては破壊して、肉体的苦痛ともに精神的苦痛までも与える、拷問よりも悍ましい所業。何なら家族や身内を目の前でバラバラにして悲鳴を別の人に聞かせる行為にも反吐が出る。


「くっ……」


斗真の部屋は五階。

一般人からすれば十分高い位置だが、斗真には一階の天井の高さくらいにしか感じられない。ハンターになって向上した身体能力が、そうした一般的な感覚を凌駕していた。

縁を乗り越えて飛び降り、ドンッとコンクリートに着地して。

今も凄惨な光景が広がり続ける街に、斗真は一層焦りを膨らませていた。

大きく脈打つ心臓の音。

斗真は、一気に加速した。

普通の走りではなく、ハンターとしての能力を最大限に活用して発揮させた、目にもとまらぬ速さ。

初めて、斗真はその本来の力を現実的に使用して、晴美のもとへとその脚を動かした。

助けられたであろう人々には、残酷にも目もくれず。

ただ一心に、斗真は晴美の元へと急いだ。

次の角を曲がるとスーパーに着く。

血気に逸り、斗真はその速度をさらに上げ、ドリフトするように身体を傾けて、その角を曲がった。


「…………ッ」


スーパーの敷地に広がる、肉と血。

そのほとんどが人間、勿論中にはハンターのそれらもあった。

どれが誰のかも解らないほどで、駐車場だけでもそんな状態。


「ああああああああッ!」


感覚を広げながら、斗真は店内へと韋駄天の如く走り抜けた。

スーパーにしては結構広い面積。さすが街中で一番大きて栄えた店舗である。

端の通路をぐるりと回るだけでも十分以上はかかるくらいには広いそこを、斗真はものの数秒で走破して。


「……ッ、晴美ッ!」


店の隅。

そこに晴美がいた。

首を絞められ宙刷りにされる妹を。


「晴美を離せえええええッ!」


叫び、斗真に視線を向ける『少女』に。

斗真は渾身の拳を叩き込む。

が。

横から現れた猿のモンスターに襲われて、攻撃を中止させられた。

鞭のようにしなる両手両足によって組み付かれて、斗真は床へ思い切り倒れた。

すぐさま立ち上がろうと手足に力を入れるが、猿モンスターに手足拘束されてそれができない。暴れるも、逃れることはできず、ただ取り押さえられただけの虫の如く。


『……』


『少女』はチラリと斗真を見て、晴美に視線を戻した。


「にい……さ――」


グイっと、その手に力を入れるのを見て。


「やめろおおおおおッ!」


ゴキッ、と。

花を手折るようにして。

晴美の命を軽く摘み取ってしまった。

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