20

エントランスのガラス窓に張り付き、一瞬で突き破って次々となだれ込んでくるゾンビの群れ。

数の暴力で下敷きになったゾンビが絶命していくが、タスクに撃破数がカウントされることはなかった。斗真が何かしらのアクションを起こして、ゾンビを撃退しなければカウントされないのだろう。


「こ、これは無理だあああッ!」


腕輪端末のマップを見て、急いで上階への階段を目指していった。

階段の入り口を壁ごと破壊して、天井に達する物量でのし上がってくる肉壁。

姫を上げられずにはいられない。


一方その頃、陽菜乃はというと——。


「あら、やりすぎちゃったわね」


対面したビルの屋上から、津波のようにやってくるゾンビの群れを確認して、頭を掻きながら笑った。

一割ほどのオーラで微弱に放ったつもりだったが、ゾンビがオーラに敏感に反応することをすっかり忘れていた陽菜乃。ましてやS級ハンターのオーラともなると、こんな大惨事なってもおかしくない。


「でも、これくらいの想定外は、ダンジョン内では日常茶飯事だし」


と、タスクの数字を改めて、陽菜乃はにやりと笑った。


「これを乗り越えられないなら、失望しちゃうかもなあ」


『目標討伐数:ノーマルゾンビ0/100000』

『目標討伐数:ハイ・ゾンビ0/10000』

『目標討伐数:キング・ゾンビ0/1』


A級のハンターですら、そんな数字を見た瞬間には絶望するしかない。

しかし、そんな大軍を容易く蹴散らしてしまうのが、S級ハンター。

それほどまでに、A級とS級には大きな隔たりが存在する。

故に、変態、変人、奇人——鬼人なのだ。


「ふふ、楽しくなりそうね」


コンクリートの壁にあご肘をついて、陽菜乃はニコニコ顔でその光景を眺めていた。


「日向さあああん、これはありえないですってえええッ」


ピロンと通知された、改まったタスクを見て、斗真は絶叫を上げた。

はじめに出された数値から十倍に跳ね上がっている。

つまり、この場にいるゾンビがそれだけの数もいるという意味に他ならない。

階段を駆け上がっていても、フロアから飛び出してくる無数のゾンビで、進路も退路も完全に断たれているのだ。

挟み撃ちにされて万事休すとなった斗真は、一か八か階段を飛び出して、手すりやゾンビを足場して、上へ上へと飛んでいった。

まだ力加減が微妙なこの装備、少しでも気を抜くと——。



「わあっ!」


本来着地するはずだった手すりを大きく超えて壁へと激突してしまう。

その壁に大きなヒビを入れながら、グワングワンする頭を押さえる。

しかし、階段から勢いよく走り込んでくるゾンビたちに。


「やばッ!」


『竜の牙』を雑多に振り回して、ゾンビの身体をバラバラにしてしまった。


「す、すごいなあこの剣」


斬る手ごたえがほとんどなく、腕や体に負担を強いらせることもなく切り刻んでしまったのだ。


「ウアア……」


「わっ」


首を切断して、脳系統を破壊できていないゾンビの首が、不気味な唸り声を上げて、斗真に虚ろな視線を向けていた。歯をガチガチと鳴らして、身体を失ってもなお襲い掛かろうとする執念に、もはや敬意さえ覚える。

ノーマルゾンビのタスクカウントが、0から5に変化していた。自分で数字を打ち込む必要はないらしく、倒せば倒すほど勝手にカウントされていく仕組みらしい。

と、そんなゾンビを観察していた斗真だったが、その下からさらにゾンビの集団がやってきて、斗真は慌てて階段を飛び始めた。

そして何回目かのジャンプを終えて、屋上へと繋がる扉へとたどり着き、それを開けた瞬間だった。

パシャッと液体が飛んできて、それが全身に覆い被さったのだ。

兜で覆われているとはいえ、顔への付着を片手で防ぎ、少し距離を取って確認すると、そこにはノーマルゾンビとは様子の違う、全身が緑色に変色したゾンビがいたのだ。


「ハイ・ゾンビ?」


お腹を膨らませて、次なる攻撃を仕掛けてこようとしたそれに、斗真はすかさず動いてその首をすっ飛ばした。血の代わりに毒が傷口から噴き出てきて、周囲を酸のように溶かしていく。周囲に立ち込める異臭も、それが毒だと気づくとすぐさま距離を取った。

普通ならその場に蹲って、全身の痺れに悶えるのだが、事前にゾンビ毒の解毒ポーションを飲用していた斗真には、そこまでのダメージはない。

そして周囲を見ると、十数体のハイ・ゾンビが、斗真を取り囲んでおり、全員が今度は赤色に変色して毒を吐き出そうとしている。


「ッ!」


四方八方から飛んできた真っ赤に滾る毒液を、『風圧』スキルを使って吹き飛ばした。

コンクリートに触れた瞬間、まるで溶岩のようにドロドロに溶け落ちていくそれらを見て、色によって毒の効果が違うことを冷静に分析した。

青色に変色するハイ・ゾンビだが、斗真はそれよりも早く先手を打ち。

『風圧』スキルを鋭利な刃と変えて、『竜の牙』を振るい、斬撃を飛ばす。

バシャアと飛び散る青色の体液だったが、今回のそれはコンクリートを溶かさずに、スライムのような粘々とした固形物として辺りを真っ青に染めていた。

タスクカウントを確認する暇もなく、屋上の入り口から続々とやってくるのを、斗真は観察した。青色のゲルに足を取られて身動きができないゾンビがほとんど——しかしそんなゾンビを足場にして踏み潰しながら、こちらへ向かってくる大群。

斗真はまだ空いている屋上の端へ向かって走り出し、真っ青のゲル状の液を軽々と飛び越えて、ハイ・ゾンビの死骸に浮いた、『ダウンロード可能』を素早くタップし、『七味毒』を『ダウンロード』する。

一瞬の頭痛。

そして気づく。


「……ッ」


屋上の壁を乗り越えて目の前からやってくるゾンビの群れ。

『竜の牙』を鞘へ戻し、『七味毒』スキルを使用した。

対面のビルの屋上で、陽菜乃が斗真を眺望していたが、今はそれどころではない。

方向転換しながら、両手から青色のゲル状の毒をまき散らして、まだゾンビたちが上ってきていない方面へと加速していく。

ゾンビの頭が見えたギリギリの所で、斗真はスキル使用をやめ、その頭を蹴飛ばしながら、隣のビルへと飛び移った。

距離にして二十メートルを軽々と越えて、少し低い屋上へと着地することができた。


「はあ、はあ、はあ……」


疲れからくる呼吸ではない。

脳裏をよぎる、死の予感。


「まだ、始まったばかりなのにッ」


短剣を抜いて、タスクカウントを確認する。

ノーマルゾンビが5、ハイ・ゾンビが14。


「効率が悪すぎるし、数も多いっ」


斗真めがけてビルの上を飛び降りていくゾンビたち。落下して死ぬ、なんてことはなく、その下のゾンビの海がクッションになって死ぬことはなかった。しかし、その落ちて行ったゾンビが、斗真のいるビルめがけて進むごとに、他のゾンビにその動きが伝播して、瞬く間にそこへ向かって登り始めるのである。


「これじゃあジリ貧だ」


ビルを飛び越えながら、斗真は必死に考える。

まともに正面から向かえば、魔力も体力もすぐに底を尽きる。かといって、各個撃破していてはいつまでたっても終わらない。かといって、エスケープするにも、陽菜乃が見ている時点でそれを選択肢に入れるのは愚の骨頂。


「何か方法は……」


一つ、ゾンビの群れを上回る物量をぶつける。

一つ、圧倒的な破壊力を持つ武器を使用する。

一つ、ゾンビをひとまとめにして、一気に叩く。


「……それらを実行するための手札はッ」


スキルも装備も、対抗するための手段がない。

ましてやこんな大群と戦うのを前提にこの階層に臨んだつもりはなく、まさかこんな無茶ぶりを陽菜乃から課せられるとは思いもよらず。


「どうすれば……」


と、横から飛び出してきたすばしっこいゾンビに気が付かず。

斗真は、飛び掛かられた勢いのまま、頭からビルを落ちていった。

高速で流れていく景色を、だがゆっくりとしたスローモーションの世界で見ていた。

死ぬ。

そうはっきりと直感して、斗真は顔を上げて落下地点を見る。

ゾンビの群れが、こちらに手を上げていた。地獄の亡者が斗真を引きずり込もうとするような光景。

斗真はピクリと反応すると、空中で姿勢を整えて、一緒に落ちたゾンビを下にし、それを足場にして飛んだ。

まだゾンビが這い上がっていないビルの一部へ向かって。

その窓をぶち破って中へ入る。

ごろごろ転がって壁に当たり、ようやく止まったが。

休んでいる暇はない。

その窓から虫のように這いあがってくるゾンビの流れに、斗真は部屋を出て、階段を見つけては駆け上がる。

屋上へ着くと、そのままビルを飛んで次のビルへ。

すぐにその屋上はゾンビでいっぱいになった。


「もうっ」


尋常ではないゾンビの群れ。

この階層のすべてのゾンビがこの場所へ集まっているといっても過言ではないくらいに、下の道路、そして斗真が移動するビルが真っ黒に染まっていく。そしてその移動速度も、陸上選手やクライミング選手の世界記録を優に超えるスピードで走破するのだから、ホラー以外の何物でもない。


「……」


チラリと見た、中央にそびえる巨大なタワー。

高度一キロを誇る超超高層タワー。

足場から天に向かって螺旋状に柱が組み上げられ、その真ん中にタワーが鎮座している。

――それを倒す。


「……やるしかないッ」

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