17
「おはよう、斗真君、良い朝ね」
と、いきなり扉を開けて入ってきた陽菜乃を斗真は。
リビングで晴美と一緒に、食パンを食べていたその手を止めて、口を開けたままの状態で見ていた。一方、晴美は頬を引きつらせて彼女を睨んでいる。
「あのねえ、これ以上生活の邪魔をするなら本当に通報するわよ?」
と、怒気を露にして、晴美は玄関に向かっていき陽菜乃の前に立ちふさがった。
「用があるのは貴女ではなく、彼なの。家主の斗真君が良しと言えば良しなの、解る?」
「そもそも、なんで渡してもいないカードキーで堂々と入って来れるのよッ、ストーカーよストーカーッ」
「えっと、それは僕が寮長に——」
「脅されたんでしょッ、兄さんは黙っててッ」
ピシャリと妹にそう言われて、斗真はシュンとなって口を閉じる。
——ダンジョンから戻った二人。
協会とは別の、モンスターの素材を買い取ってくれる機関へ赴き精算を終えて、斗真が陽菜乃に別れを告げようとしたとき、陽菜乃がちょっと強引に斗真の宅へお邪魔したのだ。番犬の如く威嚇する晴美を、そよ風のように受け流して、斗真と一緒に買ってきた食材で飯を炊き、宅を三人で囲むというシチュエーション。
普通なら、S級ハンターで、かつ美人な人が訪ねてくれたときは天にも昇るように浮かれるだろうが、その時の部屋の空気——一人は警戒心を、一人は飄々と、一人はおろおろとするカオス。羨ましいどころか、むしろ妬ましいほどに見事な展開に、見る人が見れば飯を旨く感じるだろうか。
そして今。
またも乱入してきた陽菜乃に、晴美は最大限の拒絶を示して、玄関から押し出そうと高身長の陽菜乃の腰を、重たい荷物を押すような姿勢でグイグイ押しているのだが。
それでもビクともしない彼女に晴美が吼える。
「なんで帰らないのよッ、重いのよバカッ」
「……彼に用があるといったでしょう?聞こえなかったかしら、あ、それとも、此処が弱いおバカさんかしら?」
と、晴美の頭を指でツンツンと突いて、にやにや笑う陽菜乃。
売り言葉に買い言葉で、晴美は般若の如く顔を歪ませた。
台所へ向かうとギラリと銀色に鈍く光る凶器を持ち出して。
「ちょ、晴美ッ、それはまずいまずいッ」
気づいた斗真が颯爽と晴美を背後から羽交い絞めにする。
「こいつは私たちの敵なのッ、今すぐ、今すぐにでもおおおッ!」
「誰の敵でもないよッ、僕たちの恩人だからねッ、大男から僕を助けてくれたのがこの人だからねッ!」
と、小学生六年生とは思えない力でズンズン進もうとする晴美を、斗真は必死になって止め——。
「ふふっ、まだまだおこちゃまね」
という陽菜乃の発言に、マジギレした晴美が、ハンターであるはずの斗真の力量を超えて廊下へと進んでいく。
「ちょ、日向さんもやめてくださいよおッ」
そんな平和な時間が、しばらくの間続いたのである。
——そして。
チュートリアルダンジョンの二階へとやってきた二人。
陽菜乃の来場に驚く受付口周辺の一同を意に介することなく、しかし、斗真はそんな彼らに向けられるとんでもない視線に委縮しながらも、それでも陽菜乃がギロリと視線を向けるとひとたびその気配が消え去った。
森のエリア。
鬱葱と生い茂る自然の光景に、斗真は緊張を、陽菜乃はピクニック気分でこの場に臨んでいた。
「あの、何で付いてきてるんですか?」
斗真の後ろを、遠足の引率のような立ち位置で付いてくる陽菜乃に、斗真は何度目かの疑問を投げかけた。
訊いても訊いても、そうねえ、とか、何でかなあ、とか。
そんな曖昧な解答ばかりが返ってくるのだ。
かと言って、斗真も何となく察していることだから強くは言えず、先日の晴美の私物ダンジョンを含め、引率というか子守みたいな、初めてのお使いを見守る親のような目線を向けてくるものだから、心配されているということなのだろう。
そして、そんな斗真を見抜いている陽菜乃。
チラチラとこちらを伺ってくる斗真の視線を、陽菜乃は温かい目で見ていた。
勿論、周囲を観察しながら、である。
「昨日の別れ際に言ったでしょう?また一緒に行こうって」
「言いましたけど、昨日の今日じゃないですか。僕みたいな底辺ハンターと、どうして一緒に居るのか全然解りませんよ」
「んー、気分よ。それに、あまり自分のことをそう卑下したり否定的に考えてはだめよ?せっかくの運や才能も、人もお金も全部逃げてしまうわ」
「それはさすがに——それに、こんなにも良い装備までいただいて、気が引けるといいますか」
と、斗真は自身が纏う装備に目を移した。
どれもがスーパレア級の装備で、そのほとんどがドラゴンを素材にしたものである。
鎧、というよりかはレザーアーマーに近い様相だが、全身を覆う表面には、ドラゴンの鱗が使用され、軟弱な膝や肘の隙間は、ドラゴンの皮を重ね合わせて強度を増した作りになっている。ブーツも同様に頑強、前に突き出た二本の角の兜もそう——全身を覆われているはずなのに、軽装を身に纏うように身軽で動きやすく、かつ通気性もよくて蒸れにくい。
「全然使っていないし、本当ならもっと良い装備を上げても良いんだけど——」
「い、いいです。これでも十分ですからッ。むしろ快適すぎて十分満足しているというかッ」
ドラゴンの威圧的なオーラを醸し出す装備とは正反対に、身に着ける本人があたふたするそのギャップ。
陽菜乃はクスリと笑った。
「そうね。むしろこの階ではオーバーすぎて、弱いモンスターは残らず逃げてしまったわね」
と、『インヴィジブル』も使わず、オーラを抑えてその身の強さをひた隠している陽菜乃とは違い、装備に慣れず、かつ装備から放たれるドラゴンのオーラを抑えられず、あらかた雑魚は寄せ付けない状況となっている。
「一つ落として、レア装備に変更した方がよさそうね」
『アイテムボックス』を覗き込みながら、どの装備が適任かを考える陽菜乃。
一方、斗真は、身に着ける装備の凄さに呑み込まれそうだった。近くに陽菜乃がいるから今は意識を保っていられるだけで、下手をすれば失神していたかもしれない。
それにも気づいていたからこそ、陽菜乃は次の装備への交換を考え、より真剣に吟味した。
しかし、斗真が言う。
「いいえ、これがいいです」
毅然とした目つきで、そう言った。
「……押し付けちゃった私が悪いし、別に無理しなくても」
「今はこれじゃないとダメなんです」
そう、堂々と。
先ほどのあたふたとした雰囲気ではない。
幾つもの修羅場をくぐってきた歴戦のハンターさながらの佇まい。
ほんの二か月ほど前にハンターになったばかりの少年が、そんな気迫を発せられることができるはずもないもないのに。
「……貴方は」
と言いかけた時に。
周囲からおびただしい数の気配を感じとって、陽菜乃は『春の兆し』に手を添えた。
「え?」
しかし、斗真はこれといって気づいていないらしく、陽菜乃の突然の臨戦態勢に困惑して、そして緊張した面持ちで周囲をキョロキョロした。
「あ……」
森の木々の枝に所狭しと密集した、猿モンスターの群れ。
数匹、十数匹という単位ではなく、数百匹以上だ。
全員の目が斗真の方へ向けられており、恨みと怒りのこもった凄まじい殺意が放たれていた。
「貴方——軍隊猿に手を出したの?」
「お、襲われたので、応戦せざるを得なくて……」
「……そう、でも逃げるべきだったわね」
と、『春の兆し』を抜こうとした。
軍隊猿。
その名の通り、軍隊を持つ猿のこと。
仲間意識が極端に強く、一匹でも仲間が殺されれば、その相手を殺し尽くすまで殺す習性を持つ。
彼らを知る駆け出しのハンターは、まず相手にしない。見かけたら隠れるか逃げるのが鉄則——だからこそ、自分たちへの対処を身に着けている駆け出しにちょっかいを出すのも質が悪い。
しかし、猿モンスターが動き出す様子はない。
陽菜乃をチラチラと伺うあたり、自分たちと陽菜乃とはその戦闘力が違うと理解しているのだろう。
斗真に攻撃を加えられないことに憤りを感じているらしく、木々を傷つけ、フラストレーションを別の形で発散していた。
「……日向さん」
『春の兆し』を持つ手がピクリと動く。
振り返り、その目に宿る決意を感じとり、陽菜乃は少しばかり焦りを覚えた。
もっともらしいこと言うならば、危うさ、だろうか。
「今の貴方では無理よ。まともな経験がない上、装備をまともに使いこなせないのに、馬鹿な真似はやめなさい」
「……僕が撒いた種です」
自惚れ。
装備の圧倒的なオーラに充てられて気絶しなかっただけマシだが、しかしその力を感じて自分は強くなったと過信しているのであれば、それは大間違いだ。
「……そう」
『春の兆し』から手を離して、斗真に道を譲る。
逆に、ここで敗北を喫して教訓を得るのもいいかもしれない、と。
陽菜乃は薄く笑った。
「まあ私がいることだし、好きにやりなさい」
陽菜乃の前を通り過ぎていく斗真。
振り返ってにこりと笑って。
「ありがとうございます。行ってきます」
その言葉を皮切りに。
猿モンスターが一斉に襲い掛かってきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます