14

「………………」


目を覚ますと。

そこは病室だった。

見慣れた天井。

普段からお世話になっている病院。


「…………」


ボーっとする意識。

しかし唐突に覚醒する。


「晴美ッ!」


ガバッと布団を蹴飛ばすように起き上がって、胸中を満たす凄まじい焦燥感と遺憾に身を焦がし——。


「わッ!?」


と、すぐ隣で椅子に座って本を読んでいた晴美が、驚いて椅子から転げ落ちた。


「……ちょ、兄さん……起きてたなら最初から言ってよ……」


お尻を押さえて立ち上がり、椅子を戻して座りなおす晴美。

恨みがましい視線を向けていた。


「ごめんごめん。ちょっと嫌な夢を見ちゃって……」


「嫌な夢?」


「晴美が殺される夢と言うか」


「何それ、怖いなあ」


本に視線を戻す。

『投資家を目指すのはいつ?今でしょッ!』

と、胡散臭いタイトルの本を。

別の椅子に置かれた本の山。

少女漫画や恋愛本、メイクの雑誌等の女子向けの書籍ではなく。

投資や税金、経済といったお金に関する書籍が積まれていたのだった。


「……また難しい本読んでる」


「今はハンターがお金を稼ぐ時代だからね。いろいろ勉強しておかないと。それにそれ」


「……?」


そう言って、晴美は台に置いてあったバスケットからリンゴを取ると、斗真の異次元ポーチから小さなナイフを取り出して皮をむき始める。


「……あ、勝手に触るなよ」


「いいじゃない、減るもんじゃないし。それにカバンの中に入れて持ってくるわけにもいかないでしょ?」


「まあ、そうだけどさ」


「そもそも、兄さんがダンジョンなんて危険な場所に行かず、高校や大学を出て、福利厚生の良い会社に勤めて稼げばそれでオッケーなの、解る?ハンターにこだわる必要はないし、その力強い身体なら肉体労働なんて簡単でしょ?」


小学六年生にしてそう考えられるなら、むしろ晴美の方が将来安泰だろう。


「お父さんとお母さんの復讐のつもり?もっと別の道を選んだ方がいいわよ」


道を選ぶ。

そんな言葉が晴美の口から飛び出てくること自体、その年齢では早すぎる。

けれど正論だ。

危ない橋を渡るよりも、もっと安全で安心できる方法だって当然ある。

わざわざ自分の命を危険にさらすような仕事を、いつ死ぬかも解らない仕事を——ハンターとしての力が目覚めたから流れで行ったなら、考えを改めるべきだ。

斗真の性格ではむしろ、戦闘職よりも支援職や生産職の方が向いている。


「何でそうやってバカばっかりするのよ」


「別に、僕の勝手だ」


「拗ねるなんて、まだまだ子供ね」


「お前に言われたくないよ」


「ならもっと成長することね」


ぐうの音も出なかった。

言っても聞かないのは斗真の悪いところ。

こうと決めたらそうと突っ走る。失敗も多いが、その分気づきも多い。

しかし、ハンターはゲームではない。一度死ねば蘇ることはない。

それがどれだけ恐ろしいことかは斗真だって解っている。


「私は兄さんと一緒に静かに暮らし——」


「それじゃあダメだ」


言葉を遮って、晴美に真っ直ぐ視線を向けた。


「それで幸せに暮らせたとしても、モンスターに襲われてめちゃくちゃにされたら元も子もない。家族を守るために、晴美を守るために」


「じゃあ、そんな無鉄砲な兄さんを誰が守るのよ」


「……」


静まり返って――。


「好きにすればいいけど、生きて帰ってきて。ボロボロになろうがどうなろうが、絶対に生きて帰ってくることだけは約束して」


本から視線を外さずに、晴美は斗真にそう強要した。

頷こうとした斗真。

しかし、その動きが途中で止まる。

頭によぎる死の感覚に、素直に首を縦に振ることが出来なかった。

不審がって視線だけを動かす彼女に、斗真はにこりと笑って了承した。


「当たり前だよ。必ず、無事に帰ってくる、約束だ」


「……うん、約束ね」


晴美は、ハンカチの上に置いた膝のリンゴを一つ摘まんで、口の中に含んだ。


「それはそれとして、今回もどうせ何も考えてなくて、体力が尽きたんでしょ?」


と、からかう晴美に、斗真は慌てる。


「い、いやそんなことはないぞ。モンスターと戦ったのはたったの一体だけだったし」


「でも、この病室に居るってことは、そういうことでしょ?いつものことじゃない。今更言い訳しても何も変わらないわよ?」


ため息をつく晴美に、斗真は居た堪れなくなる。穴があったら入りたい、そんな気持ちで、斗真は耳を塞いだ。聞きたくなーい、と、それ以上言うなー、と。


「そんなの僕が一番解ってるよ。それでも――」


「つよくなるんだー、でしょ?」


「そ、そこまで棒読みじゃないよ」


「寝言でよく聞こえてくるもの。強くなるんだー、強くなるんだ―、って念仏みたいに。うるさくてかなわないわ」


「え、あ、ごめん」


「嘘よ。聞こえるわけないじゃない」


にやりと笑う晴美に、斗真は呆気にとられた。


「兄さんってほんと真っ直ぐよねえ。それだといつか騙されちゃうかも」


「ないない、そんなの」


「あるじゃない。一年前に保険詐欺で引っ掛かりそうになってえー」


「そ、その話はするなよ」


「あははっ」


口元を押さえて笑った。


「お父さんとお母さん、ハンターが社会に定着する前に死んじゃったんだから、保険も何も無いわよ。なのにお金を今すぐ支払えば金額を受け取れるとかってどう聞いても詐欺でしょ?」


「えっと、反省してます、はい」


しゅんとなる斗真を見て、晴美は殊更ニヤニヤ笑った。


「兄さんはほんと、素直というか馬鹿というか」


「ば、バカっていうほうが馬鹿だろうが」


「その発想自体が馬鹿なのよ。子供だねえ」


と、けちょんけちょんである。

行動派の兄と。

慎重派の妹。

似て非なる、全く正反対の兄妹。


「それじゃあ兄さん、これ」


晴美はハンカチに置いたリンゴをそれごと渡した。


「戻ったらちゃんと返してよね。そのリンゴ結構美味しいしから、ちゃんと全部食べるんだよ」


「全部は要らないかなあ」


「絶対だよ、解った?」


と、目が笑っていない笑顔を見て、斗真はこくりと頷く。


「う、うん。解った」


「よろしい」


晴美は立ち上がって、椅子を壁の方へ避けると。


「じゃ、あとでね」


そう言って、病室から出て行った。

扉の向こうから、病院スタッフや寮の人たちへお説教する晴美の声が聞こえてきたが、斗真はそれを聞いてむしろ安心していた。


「あ、そうだ」


思い出して、斗真は外された腕輪端末を台から取って右手に付ける。


「『ステータス』」


そう伝えると、操作をしていないのに一気にその画面がブンと音を立てて現れた。


「……『手刀』スキルがある、けど」


魔力切れ。

魔力をほとんど使うことがない斗真にとってはあり得ないことだった。

有っても、1という絶望的な数値。

魔力が無いこと、スキルを持っていないことにコンプレックスを感じていた。

それがまさか、スキル項目欄に【手刀】のスキルが明記されているなんて。

混乱と同時に歓喜の渦である。

しかし【手刀】を使用する前に魔力が無くなって気絶した。


「え……なに、コレ?」


スキル項目欄にさらに並んでいた一つのスキル。

スキル説明欄に意味不明な単語がズラリと並んでいた。

スキル『ゲイムオウバア』——使用する魔力によって効果が変動する。

・???:『??』を????する。

・???????:『??』を??する。

・??????:??を??する。

・??????:??を????

・????:??を???する

・???:????に戻る。

・?????:????の??を??して、???を??する。

・???:???


「ゲイム……オウバア?」


聞いたこともないスキル名だった。

ランク付けは『レジェンド』。

コモン、ノーマル、レア、ユニーク、エピック、レジェンド。

その六段階のうちの最上位。

だが何故か、その文字を見てゾッとした。

いつどこで、どのタイミングで獲得したスキルなのか、という以前に。

そのスキルから感じとった何かに、斗真は心臓が早鐘のように脈打つのが解った。

残酷で残忍、そして残念で仕方ないあまりにも絶望的な何か。

全身を通り過ぎる恐怖。

思い出したくもない、忘れたくて忘れたくて仕方のない何かが。

なぜ、このタイミングで。


「……僕は、何を——」


頭を押さえて、膝を抱えた。

どうしようもなく涙が溢れ出て、震える身体も抑えられない。

斗真は一人、ベッドの上で。

フラッシュバックする何かを必死に押し殺し。

落ち着くまでの一分間。

ずっとそうして——。


次の瞬間には。


「……あれ?何してたんだっけ?」


不気味なスキルをのぞき込む前の状態にまで戻り。

ケロッとしていた。

もう画面をのぞき込む。


「『手刀』……明日で訓練場に行って試してみないと」


と、他にも表記されているはずの【ゲイムオウバア】の文字には目をくれず。

斗真は天井を見上げて足をバタつかせていた。


——スキル【パージ】。

自身の特定の記憶や感情等を選択して取り除く、ユニーク級スキル。

思い出された感情と感覚を切り離し。

無かったことにしたのだ。

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