10

ハッと目を覚ますと。

斗真はうつ伏せになって倒れていた。

ズキリと痛む頭の出血、そして腹部。

目の前が二重に見える上、意識がはっきりとしない感覚。そして血の味がした。

状況をはっきりと呑み込めないまま、周囲を見渡した。

身に覚えのある街路樹が並び立ち、春になると桜、夏になると金木犀、秋になると紅葉、冬になると椿が咲き乱れるようにセットされている。

車道に突き出た、法定規則を示す看板がいつものように光っていた。なのに、その速度を超えて走り去っていく自走車は少なくない。

斗真が倒れていたのは施設の前の歩道。

——ダンジョンの帰り。

恐れや焦りに染まった通行人たち。

その様子を伺う、ハンターたち。


「俺あ、君みたいなちっちゃくて、かわいい女のが大好きなんだよねえ……」


下卑た目で——晴美を上から下まで観察する大男、の声。


「……に、兄さんに何してるのって聞いてるのッ!」


目つきを吊り上げて、大男を睨みつける晴美だが、それが余計に彼を刺激する。


「嗚呼、嗚呼、いいねいいね最高じゃん——殺したくなる」


「……ひっ」


攻撃的な姿勢だった晴美だが、大男と対面してからずっと震えさせていたその身体。

我慢して、大切な家族を傷つける相手に食って掛かったのは、また失うかもしれないという恐怖故だろう。しかしそれももう限界だ。

膝が震え、足がすくみ、胸が締め付けられ、息が出来なくなる。

今回はまずかった。

助けを呼ぶべきだった。

喰ってかかる相手が悪かった。


「かああああああわういいいいい♪」


「やっ……あ……」


全身に襲い来る恐怖——理不尽な存在。


「君みたいな人間を、いたぶって殺すのがだあああいすきなんだよねええ」


と、ハンター受付窓口から駆け寄ってくる気配を察して、大男は舌打ちをし。

だが悦びに溢れた笑顔で拳を構えた。


「うひ♪」


力加減は誤らない。

一撃だ。

何度も弄ってからとどめを刺すのが面白いのだが、今回はそれができないことに心残りだった。だからこそ、たったの一発で仕留めるのも一興だと、大男は拳を放ち――。

晴美の首をへし折る柔な感覚ではなく。

大男の横をすり抜けて晴美を奥へと突き飛ばした斗真の、その後頭部に、拳は吸い込まれていったのである。

鈍い音とともに、斗真の頭蓋骨、そして後頭葉は容易く破壊され——。


斗真の意識は一瞬にして、その身体から切り離されていった。


カチン、と。

何かが切り替わるような音が、死んだはずの斗真の耳に響いて。


——そしてハッと目を覚ますと。

斗真はうつ伏せになって倒れていた。

ズキリと痛む頭の出血、そして腹部。

目の前が二重に見える上、意識がはっきりとしない感覚。そして血の味がした。


「あ……あれ?」


どこか見覚えのある光景。

施設前の歩道、そして街路樹。

車道の道路標識。

通行人の表情、ハンターの様子見した姿勢。


そして——。


「俺あ、君みたいなちっちゃくて、かわいい女のが大好きなんだよねえ……」


下卑た目で——晴美を上から下まで観察する大男、の声。

と聞いて。

何かが頭の中にストンと落ちるのが解った。


「……に、兄さんに何してるのって聞いてるのッ!」


目つきを吊り上げて、大男を睨みつける晴美。

そんなデジャヴのようなシーンを、斗真はクラクラした視界の中でしかと捉えて——それ以上何も言うな、と無意識に小さく呟いていた。


「嗚呼、嗚呼、嗚呼、いいねいいね最高じゃん——殺したくなる」


「……ひっ」


攻撃的な姿勢だった晴美だが、大男と対面してからずっと震えさせたその身体。

斗真は叫ぶ。


「そこのハンターッ——今すぐあいつを止めてくれッ」


と、何故かズキリとした後頭部の痛みに耐えながら。

傍にいたハンターに呼び掛けた。


「っちッ!」


と、大男は舌打ちをして。

すぐさま拳を構えて振り抜いた。

パンチングマシーンを殴った後のように、首がへし折れて背中にくっついた晴美を。


「あ……アアッ!」


——そんな……違う、そうじゃない……こんな結末じゃないッ。


カチリ、と。

時計が止まるような音とともに『世界』が静止し、斗真は『アップロード』『ロード』と二言を早口で述べた。


ブツン、と。

ゲームの電源がコンセントから無理やり落とされるような音とともに。

『世界』が消えて。

『世界』が始まる。


——そしてハッと目を覚ました斗真。

斗真はうつ伏せになって倒れていた。

ズキリと痛む頭の出血、そして腹部。

目の前が二重に見える上、意識がはっきりとしない感覚。そして血の味がした。


「…………」


そして知らない後頭部の痛み——のような感覚。

第六感のようなものが告げる、この後に起こるであろう何かを察知して。

斗真は無理やりに身体を動かして、立ち上がる。


「俺あ、君みたいなちっちゃくて、かわいい女のが大好きなんだよねえ……」


体が震えた。

足が震えた。

目の前にいる敵が、モンスターと同類に見えた。

人の命を平然と奪い取るクズだと。


「は……晴美に……晴美に手を、出すな……」


声が震えた。

頭が響いた。

恐怖と傷害のせいで、相手をまともに見ることができない。

しかし。

晴美から意識を逸らすだけでいい、と。

とにかく、時間を稼ぐことに集中して、と。

考えていたところで。


「ッ……兄さんは私のたった一人の家族なのッ、絶対に、絶対に私が守るんだからあッ」


「なっ」


と、大男の足元にへばりついたのだ。


「あ?お前ら兄妹なのか?」


と、大男は晴美の服を掴んで脚から引っぺがすと、片手だけで晴美を持ち上げて、車道方面へチラリと視線をやった。

そしてヘラヘラ嗤って斗真に振り返り。


「良い兄妹愛じゃねえか、なあ?お兄ちゃん?」


ポイッと、晴美を軽々と車道へと投げ捨てた。

迫りくる巨大なトラックを見つめる晴美。

ダンッと、斗真はアスファルトを蹴った。

晴美がトラックと衝突するまで——一秒。

全力で、斗真は晴美に腕を伸ばして、晴美の腕を掴む。

ぐっと手繰り寄せて、自身の身体を盾にするようにトラックへと背中を向けて。

ゴシャッ、と。

トラックの前面を少しへこませながら、斗真の意識は途絶えた。


カチン、と。

時計の針が動き出す。


——ハッと目を覚ました斗真。

斗真はうつ伏せになって倒れていた。

ズキリと痛む頭の出血、そして腹部。

目の前が二重に見える上、意識がはっきりとしない感覚。そして血の味がした。


「————……」


後頭部と背中の激痛、そして腕の中のぬくもり——のような感覚。

やり切れない後悔と無力さ——という知らない感情。

だが斗真は、その傷ついた身体を動かして、無理やりに立ち上がる。


「俺あ、君みたいなちっちゃくて、かわいい女のが大好きなんだよね——」


と、大男の横をすり抜けて。

斗真は、震える晴美をその腕の中にすっぽりと抱えた。

全速力で、その場から離脱することを選んだ。


「え、あ、に、兄さん!?」


「黙っててッ!」


「ッ!?」


と、斗真の切羽詰まった気迫に押されて。

晴美は口元をぱっと押さえて喋るのをやめた。


「……あ?」


と、呆然とする大男。

目の前から忽然と消えた少女と、そしてその遠くへ走り去っていく斗真を見据えて。


「……ざけんじゃねえよ、アアッ!?」


即ブチギレた大男が、走る構えを取り、一瞬でその場から消えた。


「はあっ……はあっ……はあっ!」


万全でないその身体。

全速力のつもりなのに、だるくて、重くて、押しつぶされそうで、背後からの殺気で震える身体を、斗真は必死に動かしていた。

晴美の心配する顔、恐怖する顔、謝るような顔——。

それに対して、斗真はにこりと笑った。

ぎゅっと抱きしめて、晴美のその顔を胸の中に押し付けて。


すぐ後ろから感じる凄まじいオーラと魔力に。


「ごめん晴美」


と、壁の向こうの施設の敷地へ、晴美を放り投げた。


「弱くて、守れなくて、ほんとに——」


と、涙を流して斗真に手を伸ばす晴美の姿を最後に。

振り下ろされる拳。


カチン、と。

またも『世界』が動き出す。

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