「……」


目を覚ますと、そこは施設内の病室だった。

身に覚えのある天井と匂い。

すぐに気づいた。

世話になっている病室だと。


「……………………」


たったの一か月ほどで、今回で五度目の入院。

外は清々しく明るかった。

確か、帰ってきたのは夕方だったのに、気絶してからおそらくそれなりの時間が経過しているのだろう。

頭と腹に包帯が巻かれている。

ボーっとして思考が回らず、此処が何処なのかは解っても、何故此処に居るのか、何故このような状況になっているのか、という考えにまでは及ばない。

いつものように、ダンジョン内で怪我をして運ばれて、それでこうしてベッドの上で寝かされているのだろうと、斗真は冴えない思考の中でぼやっとそんなことを考えていた。

身体はまだ動けない。

というか、動かそうという気が起こらない。

今はこうじっとして、意思や思考に関係なく、身体が休息を望んでいる。無理に起き上がろうとすれば頭痛や倦怠感によって、結局はベッドの中に沈むことになる。

それも解っているからこそ、斗真は視線だけを動かして。

いつもベッドの横に居る晴美に。

自分は目を覚ましたよ、と。

いつも心配かけてごめんな、と。

そうした意思を伝えるべく、視界に入ってこない妹の姿を察して。

ベッドの端に突っ伏して眠ってるんだな、と。

右手に力をそっと入れた。


「………………?」


そっと力を入れた——。

ハンターの力に目覚め、二十キロほどの握力が何倍も上がって、身体能力全体が向上したことにより、晴美の手を握りつぶさないようにするための配慮だ。

初めて病院で世話になったときは、目を覚ました直後に力の加減がわからなく、危うく晴美の手を潰してしまいそうになったからだ。


「………………?」


だが晴美の手の感触がしない。

どれだけ愚痴や文句、機嫌を損なる晴美であったとしても、いつも病室に足を運んできては、目を覚ました不甲斐ない兄に向って小さく微笑む。

それだけで。

あの戦場から帰って来れた、と。

居場所に戻って来れた、と——。


「はる……み?」


妙な胸騒ぎを抱きながら。

機械の音だけが聞こえる病室のベッドから、ゆっくりながらも起き上がった。

無理をしてでも。

この胸につかえる、訳のわからない悍ましい感覚を早く捨て去りたいがために。

妹の顔を見て、早く安堵するために。


「………………………………」


居ない。

心臓が跳ねた。

今日は見舞いに来ていないだけかもしれない。

心音が高鳴った。

今回は珍しく寝過ごしてしまったから、家にいるだけかもしれない。

血流が速くなった。

買い出しに行っているだけかもしれない。

汗が出る。

家で寝ているだけかもしれない。

身体が何故か震える。

何故。

何故。

何故。


「………………………………いや違うよ。ちょっとトイレとか、何か用事があっていないだけだよ。うん、そうだ。絶対そうだよ」


そう自分に言い聞かせた。

そう。自分に。

何故か必死になって。

何度も何度も頭の中で、その強迫じみた言い訳を、何度も何度も反芻させて。

反芻して。

繰り返して——ッ。


「はッ……はッ……はッ……ッ!」


部屋の扉から、誰かの声が聞こえた気がした。

頭によぎる記憶。

頭にこびり付いた記憶。

父と母が、無残にも無常にも、ダンジョンから湧いたモンスターによって五体を切り刻まれて喰われたシーンを思い出していた。

いや、思い出したくもないモノだ。

斗真が自らその蓋を開けて引っ張り出したモノでは決してない。

フラッシュバック。

両親が食い殺されていくのを、家の二階の窓から妹と一緒に見ていた。

最初は父が囮になって、家の中のモンスターをおびき出した。しかし、全員を引き連れるのは難しかったらしく、残ったモンスターが三人を襲おうとして、次に母親が買って出た。

運よく二人は外で合流できたが。

自身の子供を守るために犠牲を顧みず、馬鹿みたいに、アホみたいにさらに大声を出して。

家の外に連れ出したのはいいものの、自分たちが逃げることまでは考えていなかったのか、はたまた逃げきれなかったのか——。

四方を囲まれて、生きながらに引き裂かれていくのを、そして痛みを。

人間としての原型が無くなっていき、死んでいくその様を。

けれど、愛されていたことだけは解っていた。

謝罪と感謝、そして後悔。

それらが入り混じった視線を。

斗真は何となく感じていたから。


バタバタと異変に気付いてやってきた馴染みの医師たち。

斗真の様子を見て安心するのと同時に、落ち着かせるために寄り添って介抱した。


「晴美は……晴美はどこ……ですか」


斗真の容態を見る医師や、心配そうに見つめる施設の大人たちに。

純粋にも投げかけた質問。

しんと静まり返る病室。

何となく。

斗真はその静寂の意味を察した。

しかし、否定したくて拒絶したくて仕方なかった。

——だが。

あの時同様、進むほかなかった。


——斗真が案内されたのは、霊安室だった。

病院の地下に設置されている場所——故に、施設の中枢からは少し離れた場所に建設されている病院。

清掃が行き渡って塵一つなく、書類や機器等の整理整頓もしっかりされており、モンスターの魔石や素材を利用した灯りや通気口によって、薄暗く陰湿な空気は微塵も感じられなかった。

良し悪し関係なく表現するならば、仮にそこをホテルとして利用したとすると、正直何の違和感もなく過ごせるくらいには清潔感の整った空間が広がっていた。

だからといって、そういった場所で何も起こらないということはないのだが——。


「……………………」


部屋の一室。

その真ん中で、晴美はねむっていた。


「……………………」


言葉が出なかった。

あの時と同じ。

突然だ。

これまでと。

そして今回も。

あまりにも突飛すぎて。

なぜ晴美が死んだのかさえ。

理解できずに。


「…………………」


訳も分からず自問自答して。

斗真はただ目の前の妹に視線を落として、呆然とする他なかった。

誰かが何かを説明してくれているような、誰かが嘆き悲しんでいるような声が聞こえてきてはいたが、その内容は全く脳の中に入ってはこなかった。

真っ青になった妹の首。

正常な位置に戻された、晴美の首。

何も感じていないような、無表情で寝ていた。

生気の抜けた真っ白な顔だった。

幼少の頃、晴美は母親の化粧道具で遊んだことがあった。チークや口紅、ファンデーション、マスカラ——まともに扱えなくてドロドロになり、口紅なんて根元からぽっきり折ってしまっていた。

——おしろいでも塗ったのかな?

クリームジェルを顔に塗りたくって真っ白になって、まるで舞妓さんみたいって家族で笑い合った記憶を思い出しながら。

——うん、そうだ、そうに違いない。

今度は誰かと誰かの言い争うような声が聞こえた。

何でハンターは、とか。

何でだれも、とか。

斗真にはどうでもよかった。


——五月蠅かった。


「『ポーズ』…………」


カチン、と。

針が止まるような音とともに。

急に静かになった。

まるでその時間だけを切り取ったかのように。

まるで世界そのものを否定するように止めたかのように。


「ねえ、晴美……ほら時間だよ、起きてよ」


晴美の真っ白な頬に手を当てて。

さすった。

冷たかった。

冷蔵庫に入れた肉のように冷たかった。


「もうすぐ学校に行く時間だよ、起きないとダメだよ」


両頬をさすって、頭をなでて、額に手を当てて、額に自分の額を当てて。


「風邪ひいちゃったかな?それなら少し寝ればすぐよくなるよ。お母さんとお父さんを呼んでくるからさ」


と、スルスルと人々の間を抜けて部屋を出ようとして。

振り返った。


「え、寂しいって?しょうがないなあ。じゃあ一緒にいてあげ——パパとママの所に行きたいって?んー、いいのかなあ?」


と、時の止まった人々の間をまた縫って入って、その手を握った。

やっぱり——冷たかった。

熱なんてこれっぽちも籠ってはいなかった。

握り返してくれることも——なかった。


「仕方ないなあ」


白い服を着た妹から手を離すと、そのままの状態で手が止まり、彼女をお姫様のように抱きかかえようとすると、また動き出し——まるでお人形さんのように何の抵抗もなく。

斗真の腕の中にすっぽりはまった。


「じゃあ一緒に行こうか」


連れ出す。

室内の人々に当たらないように。

扉を開けて、通路を進む。

通路で佇む同級生、先生、調理のおばちゃん、部屋の管理人、ハンター——。

全員が晴美の馴染みで、晴美を可愛がってくれた人たちだ。

崩れ落ちたり、泣いたり、唖然としていたり。

晴美を思う人たちがみんな、感情を爆発させて悲しんでいた。


しかし斗真は、そんな彼らには目もくれず。


「お母さんとお父さん、どっか行っちゃってるみたいだねえ。もしかしたらかくれんぼかな?うん、どっちが先に見つけられるか競争しよっか」


通路を抜け、階段を上り、病院内を歩いて外に出る。

曇り空。

もうすぐ雨が降りそうだった。

けれどそんな外の世界も——『世界』も。

氷漬けされたように、すべてが止まっていた。

リアルなジオラマの世界。

リアルなマネキンの世界。

零・零零零零零零零零零零——。

時間が存在しない、世界。


「どこにいるのかなあ、お父さんとお母さん」


病院内を隈なく探して。

訓練場。

寮施設。

食堂。

大浴場。

鍛冶場。

施設内のあらゆる場所を散策した。

晴美の身体に負担をかけないように。

疲れさせないように。

丁寧に優しく持ち上げて、ただひたすらに。

気持ちを紛らわすように、言葉を吐きながら。

歩いて、歩いて、歩いて。

歩き続けた。


「ここかなあ?」


と、最後にやってきたのは自分たちの部屋。

扉を開けて中に入り、キッチンを通って1LKルームに入った。

キッチンの上はロフトとなっており、晴美を壁に寄り添わせて、その梯子を上った。


「いないなあ——じゃあそこかな?」


と、当然ながら誰もいないロフトを確認し終えたのちに、斗真は晴美の部屋をチラリと開けて中を覗いた。


「やっぱいないかあ」


と、キッチン、トイレと押し入れと探してみたが、誰もいなかった。

そう。

何度も言うが、この二人以外にここで暮らしている人間はいない。

管理人であろうと、正当な理由がない限りは部屋に入ることは誰もできない。

今二人を除いて。

当たり前に誰もいないのだ。


「………………」


斗真は晴美の隣に腰かけ、永遠に眠る彼女を肩に抱き寄せる。


「……負けちゃったよ、僕——」


——負けた。

何時何処で誰に何をどうされたのか。

思い出すだけでもぞっとする。


「また負けちゃった。守れなかったよ、僕——」


——守れなかった。

晴美を、世界から。


「僕は弱いなあ……」


ここに来たことでできた友達はたくさんいる。

けど、ここに来るまでに失った友達もたくさんいる。

ほとんどモンスターが原因で死んでしまった。

モンスター。

ダンジョンから溢れ出てきたモンスター。

この世界の何もかもを壊すだけ壊して——何も責任を取らずにハンターに殺されて消えていく。モンスターを殺しても、殺された人間は帰ってこない。賠償を求めても一銭も帰ってこない。

帰ってくるのは——。

命の零れ落ちた大切な何かだった何かだ。

今回もまた突然。

斗真の大切な人が死んだ。

あまりにも単純に、あまりにも呆気なく。


「僕の……せいだ」


浮かれて気分よく帰ったのがよくなかったのかもしれない。

大男に反応して振り返ったのがいけなかったのかもしれない。

門限ギリギリまでダンジョンに潜ってたのがダメだったのかもしれない。

けれど原因なんて。

一つ一つ考えても——それが結果に結びついたなら、すべてが原因で、起こるべくして起こったことなんだと。

一番の原因は。

斗真が弱かったこと。


「僕はいつも弱いなあ……」


と、ひとり呟いて。


「弱い、なあ…………」


と、持っていたキッチンナイフを首元に押し当てて。

——引いた。

鮮血が舞う。

鮮血が飛び散る。

斗真の病院服を。

晴美の真っ白な装束を。

赤く染めた。


「『アップロード』」


斗真の身体が光り輝き、部屋全体を黄金色に染め上げる。

部屋の外にまで漏れて、曇天の街の彼方に伸びていった。


「今度は絶対守るから、二度とそんな苦しい思いをさせないから——本当にごめん、ごめん……ごめんなあ——」


と、意識が薄れ、ナイフを持つ手が床を打った。

晴美の肩を持つ手も、だらりと落ちて、すぐ下の彼女の右手と重なる。


——だから、次こそは必ず、と。

決意を露にして。


斗真の命は散った。

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