8
「…………はあ」
その手にある日銭を眺めて、斗真はため息をついた。
最低のF級ハンターが出入りできるダンジョンは、その日暮らしでも危ういほどの金銭しか稼げない。
最高のS級ハンターなんて夢のまた夢。
治りの早い少し頑丈なだけの身体であっても、最下級ダンジョンのゴブリンを命がけで倒すのが精いっぱい。
何のスキルも持たない斗真には、その手に乗っている金額分がお似合いであった。
「…………」
数年前のゲート出現によって両親を失い、施設で暮らす妹を守るためにも、ハンターという過酷な環境へと足を踏み入れた。
しかし、想像以上に地獄だと悟った。
一瞬の判断による人の生き死に。
それは、これまで施設で守られてきた斗真には考えもしなったこと。
ほんのかすり傷でも死に至るこの世界では、上を目指すよりも今を生き残ることしか考えられない。
「…………——」
街の歩道を歩く人々は、そういった死をどれだけ体験してきただろうか。
今の街々は、日本ハンター協会のハンターたちによって安全を確保されている。
田舎町で生活する人はいなくなり、各県の都市部周辺に移り住む人が増えた。
今ではダンジョンビジネスが世界中で流行している。
「…………——?」
——中学を卒業したばかりだというのに、むしろすぐに強くなると考えている方が甘い。
何十何百と戦場を駆け巡り、その中で培った経験や技術を高めて初めて強くなるという感覚を得るのに、新米にはまだその厳しさを理解するには難しい。
登録時に支給されたハンター用の腕輪型端末を起動して、今現在募集されているレイド募集欄を眺めている。
目当ては、難易度F級の未踏ダンジョン。
ダンジョンは突然に現れる。それは市街地であろうと関係ない。
最低難易度であろうと、一般市民にとっては災厄以外の何物でもないため、慈善活動や駆け出しハンターたちが、そういったダンジョンに集まることがある。
「…………これだ、な?」
報酬内に稀に、ハンターにダンジョンの私物化を許されることもある。
公共化できない小さなダンジョンほど顕著だが、斗真が目を付けたのがまさしくそれだ。
公共化されたダンジョンは入場料が必要になるが、私物化されたダンジョンは、死亡または譲渡しない限り永久的に本人のものとなり、固定資産税等の税金も取られないため、そこを拠点に活動するハンターも少なくない。
「…………これで少しは稼ぎが良くなる……かも……」
はっきりとしない独り言を呟いて、周囲から不思議な目を向けられる斗真だが、その報酬に意識が向いていて全く気付いていない。
なんならニヤニヤとした不気味な笑みを浮かべる彼に、道を譲って離れるほどだった。
「……少しでも、強くならない、と——ってあれ?」
と、斗真が不意に首を傾げた。
——この光景、この流れ……なぜか身に覚えが有るような気がしてならなかった。
夕日が傾いて空が暗くなってきたこの時間。
ハンター協会の窓口で売却して、その金銭を眺めて憂鬱になり、そして未踏ダンジョンのレイドに参加申請する。
そして、さっきから違和感だらけの言葉を発して街の中を歩いている。
なぜ。
なぜ——初めての光景に既視感を抱いているのだろうか、と。
「……何でだろう?」
周囲が訝しげに彼を見る中で、斗真自身が一番困惑していた。
自身でも何を言っているのか、何を考えているのか理解できない。
「……?」
握りしめていたはずの金銭をポケットの中にしまい込んで、斗真はまたも首を傾げた。考え続けた。
なぜ、どうして?
施設への帰路。
前から歩いてくるスーツの男性。
——確か。鳥の糞が肩に落ちて?あれ?
と、考えた矢先、鳥の糞がまさしくその男性の肩に落ちたのである。
飛び去っていく鳩に、男は遅れて罵声を上げて、ハンカチでそれを拭った。上着を脱いで折り畳み、ダッシュして何処かへと走り去っていくのである。
「……ああ、うん——確かこんな感じだった……かな?」
怒って拭って畳んで走り去る。
間違いないような気がしたが、何故か見たこと聞いたことある感覚に。
斗真はお金やレイド参加どころの考えではなくなった。
「……ん?んん?」
何かが曖昧だ。何かがおかしい。
知っているような知らないような感覚。
その感覚さえなぜ抱いているのか。そもそも感じているのかさえ疑問。
「……?」
腕を組み、ときたま道行く人にチラリと向けられる視線。
気にも留めなかった。
気にもならなかった。
そんな敵意も殺意も悪意もないただのモノ——。
ただの興味本位で向けただけの視線なんて。
「……あれ?」
そうした視線さえ、どうして気にもしなくなったんだ、と。
数分前は、ただ人に見られただけでも、何かしたかなとか、何か迷惑をとか考えたのに、今では何ともないほどに——気持ちに余裕がある?
「んん?もしかして、僕には予知能力があった?」
と、そう根拠もないことを言って一人で笑った。
「あ、それなら占いをしてみるのもいいかもね」
と、これまでとは打って変わった浮足立った気持ちで。
斗真は早足になって施設へと足を運んだ——。
「————到着っと」
そして門限ギリギリで到着した施設。
協会が運営しているということもあって、その規模は日本ではかなり大規模であった。
他の企業やギルドと比較しても、非常に快適で安心できる場所だった。
チラリと見た、外の受付窓口に列をなしている人々を。
普段と違って関心もなく、通り過ぎようとしていた。
「——おい、てめえッ!」
「?」
入口へ颯爽と、楽しそうに嬉しそうに進んでいこうとする斗真に。
列の後ろ側で並んでいた大男が斗真を大声で呼び止めたのだ。
「何ですか?」
「……何ですか、じゃねえんだよッ!」
列から飛び出して、大男は斗真へズンズンと進んでいく。
「てめえ、ここで暮らしてんのかッ!」
「え……あ、はい。そうですけど?」
と、すんなり返事をしていた。
何気なく、悪気もなく、斗真は聞かれたことに素直に答えてしまった。
それが余計に腹が立ったのだろう。
大男は、協会が運営する施設の前だというのに、何の躊躇いもなく、斗真の胸元につかみかかったのである。
大男と斗真の身長差は、斗真の一・五倍ほど。
しかも、筋肉というより脂肪の塊のような身体つきだ。
斗真のひょろひょろした身体を、いとも容易く、ひょいと持ち上げてしまったのである。
大男よりも高い位置へとぶら下げられる斗真。
運悪く首が締まってしまい、まともに息が出来なくなる。
「だったらよお、ちょいと部屋あ譲ってくんねえか、ああッ?」
鼻息と声を荒げる大男に、だが斗真は返事ができない。
ざわつき出す列の人々、そして通行人。
事態を把握した警備員たちが、急いで無線を使って連絡を取った。
大男のその力量、その図々しさに、斗真が打ち勝てる道理がなかった。
「てめえみたいな貧弱な奴が、ハンターなんて務まるかよ。代わりにE級ハンターの俺が使ってやるからよお、さっさと渡せや、な?」
顔と腹に一発ずつ、拳がめり込んだ。
カハッと息を吐く斗真——息苦しさと腹の激痛に、だが身動きを取れずに宙づりにされるばかり。
協会の施設を利用するための審査。
これまで何度も落ちてきた理由が、まさにそうした素行の悪さであるというのに——。
「なんか騒がしいなあ……どうしたの?」
ひょこっと、門から顔を出す晴美。
小学六年生にしては大人びた印象。
短い髪に、短パンを履いて。
斗真が締め上げられている状況を見て、言葉を失った。
「ちょ、兄さんッ!?——兄さんに何してるのよッ!」
叫んだ。
怒りをあらわにして、晴美は大声を上げた。
「……あ?」
頭に血が上った大男。
脇から突然現れた、斗真よりも少し小さい女の子を見つけて。
大男の目の色が明確に変わった。
汚らしくもニヤアアと笑って。
斗真をポイッと軽々しくも後ろへ放り投げた。
「俺あ、君みたいなちっちゃくて、かわいい女のが大好きなんだよねえ……」
「えっ……」
「かああああああわういいいいい♪」
「ひっ……あ……」
悪意。
絶対なる悪意
本人にすらその自覚のない、天然物の悪意、狂気。
ガクガクと、凄まじい恐怖に襲われて脚が震えた。小刻みに震えるなんてレベルではなく、誰もが見て震えていると認識できるほどの動きに。
大男は悪魔のような笑みを浮かべた。
「君みたいな人間を、いたぶって殺すのがだあああいすきなんだよねええ」
門の奥から駆けつけてきたベテランハンター。
事態を収束するためには。
——一歩遅すぎた。
「うひっ♪」
大男が振るった拳。
力加減を謝らない、殺意の拳。
愉しめる時間がほとんどない。
ならここで一思いにやってしまおうと。
「や、やめろッ!」
うつ伏せに倒れる斗真。
叫び。
その目に焼き付いたのは——。
晴美の首が後ろを向いて、その身体が地面に転がるシーンだった。
大男を取り押さえるハンターたち。
何故——どうして——助——遅——。
大男の下品な笑い声。
息絶えた妹の身体。
気を失うときに見た、妹の絶望に染まった表情が、頭にこびり付いて離れなかった。
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