「あ……」


と、次に目を覚ました時に、この周回が十回目を迎えようとしていた。

はっきり言えば、斗真はその間の記憶をほとんど覚えていない。

二回目を終え、三回目を迎えて朧げな記憶のまま遊園地に入っていったのだが、次は闘技場内でのバトルロワイヤルだった。実力がかけ離れたハンターたちをグループに分け、競わせたのだ。

二回目の記憶がまだ冷めやらぬうちに始まった、仲間割れ——もはや地獄だったの言うまでもない。

そして四回目は、脱出ゲーム。

前回にグループ分けしたメンバーで、なぞ解きや作業分担をしてゴールを目指すものなのだが、それもほとんどが身内への攻撃や裏切りによって、全滅を持ってリセットされた。

五回目、六回目と続いて行くうちに。

ハンターたちの様子がおかしくなっていった。

ぶつぶつと独り言をつぶやいたり、謝罪したり、「兎の赤ちゃんがああああ」と叫んだり、自傷し続けたり、内臓を抉ったり、他人を攻撃したりと——初めの空間に戻ってきても、またすぐに遊園地内へと案内されるため、気持ちの整理すらつけられず、さらに心と精神を破壊されていった。


『はーい皆さん、おかえりなさーいッ』


と、手を振って出迎えてくれる『メアリー』だが、そんな彼女を気にする者はだれ一人としていなかった。

心ここにあらず。

ここにはない何処か遠くへと飛んでしまった心。

本人もその状態を把握できていない。

こわれもののハンターたち。


『それではまず、十回目の入園の前に、皆さんにご報告がありまーすッ』


そんなアナウンスを、どれだけのハンターが耳を傾けていることだろうか。

——零だ。

自分の生き残りをかけて、一切の余裕のない彼らに。

そんな彼女の言葉が届いて居ようはずもない。

しかし、その次の言葉によって、ハンター全員が耳を傾けることになった。


『次の入園を最後に、皆さんはこのダンジョンから解放されることが決まりましたーッ』


全員の耳がピクリと動き、その言葉の真意を求めて脳が活性化される。


『そうなんです。次を最後、私たちの遊園地は閉園することに決まりましたーッ』

パフパフッ。

と、わざとらしくパフパフラッパを奏でて、ハンターたちの視線をより集めていく。


『今までみなさん、たくさんの苦労をされてきたと思われますが、それも次で最後になります。どうか最後まで楽しんでいっていただければと幸いでございまーす』


ハンターたちの目に生気が戻っていく。

それを斗真は——。

どうしようもなく起こる胸のざわつきに、まともな希望を持てなかった。


『ではまず——皆さんは知らないと思いますが、恒例の記憶復元を行いたいと思いまーすッ』


パフパフッと、軽快に響く。

何の事なさっぱりなハンターたちだったが、壮絶なこれまでを一気に知ることとなる。


『三……二……一……零おおーッ』


パチンと鳴らされた指。

直後——。

全員が発狂した。

狂おしいほどに狂いに来るって。

耐え切れずに命を落とす者が続出した。


『あーあ、せっかく次で終わりなのに、残念だなあ』


だが次には復活していた。

記憶が定着した状態のそのハンターたちだったが、その顔に一切の表情はなかった。


『ありゃりゃ、壊れちゃったか——まいっか、ダンジョンが終われば全部なかったことになるし』


と、口笛を吹いて、空間から絵日記を取り出した。

その光景をページに書きなぐっていく。


『あ、そういえば、あの子はどうなったかな?』


直感というか本能というか——生命として非常に優れた能力を持つ少年を。

『メアリー』は探して、次の両開きのページを丸々使うつもりで準備した。


『わああ、すごいね』


呆然として。

その場で膝をついて座り込んでいたが。

周囲と違って発狂していなかった。

九十九回分の超弩級のストレスを見に受けてなお、彼は彼で自身を守る術を身に着けていたわけだ。

——忘却能力。

生命として当たり前にできる能力だが、ここ『おもちゃ箱』に至ってはその脳力はスペック不足だ。

だからこそ『メアリー』は、この一瞬にも満たない時間で無限にも等しい情報量を脳に詰め込まれて、暴発しない人間がいることに歓喜していた。

『彼女』は口角を上げて。


『いいねいいねえ、最高だよお』


絵日記をしまって自由帳を取り出して。

書きなぐる書きなぐる書きなぐる。

黒鉛筆のみで、何ページにも渡って書き記した。


『嗚呼、なんて美しいのかしら……あんな人間がいるなんて、私、感激なんだけど♪』


最初の一ページから真っ白だった自由帳が、ものの数分で半分も埋まってしまった。

模写。

描写。

臨写。

複写。

実写。

速写。

浄写——。


『あ……』


最後の最後で——。

『メアリー』はノートに鼻血を垂らしてしまった。

鼻だけでなく。

目からも。

耳からも。

血を垂れ流しながら、斗真の姿見を描き記していたようだった。


『大変』


パッと。

次の瞬間には、血の付いていないノートに戻っていた。

巻き戻したはずの血がまた垂れようとして、ハンカチでぬぐう。


『これでさいご』


これまでとは一線を画する写生能力で、斗真を最後のページに描き記した。

空の無いこのダンジョンから眩くも神々しい光が彼を照らし出し、その姿は太い線でゾッとするほどに悪魔的な表現で映し出されていた。


『あはっ、完成♪——それじゃあ、限定的アップロードっと』


ギョロリと彼女の身体中から目玉が飛び出て、黄色の瞳が赤く点灯して、次の瞬間には元の色に戻っていた。


『これでよし——』


そう言うと、『メアリー』は立ち上がって、斗真に近づいて行った。

すぐ近くで発狂するハンターたちには一切目もくれず。

斗真の呆然とした姿を目に焼き付けるが如く。


『貴方に——託してみようかなあ』


『メアリー』は斗真の正面に座って。

そっと彼を抱きしめた。

まるで甘えるように。

まるで求めるように。


『期待してもいいかもしれませんよ』


『メアリー』は振り返らずに、牛モンスターの言葉に耳を傾けた。


『彼は実に面白い人間だウッ』


兎のカメラマンが、その身を変えて巨大兎へと変貌した。


『スべてを変えてくれる——ソんな気がしてならないね~』


羊のアシスタントが、『メアリー』の影から出てきて言う。


『うんうん、みんなもそう思うよねえ』


と。

いつの間にか二人を周りを取り囲むようにして。

遊園地内のすべてのモンスターが斗真を見ていた。


『何のとりえもない、動物的でバカな人間に、ほんと驚かされてばかりだったけど』


『メアリー』は斗真から離れると、両手をそっと彼の頭に添えて。

口づけをした。


『貴方に授ける——十二分に活用しなさいよ?』


カチリ、と。

時計の針が止まるような音とともに。

この『世界』から時間が失われた。

全てが凍結されたかのように身動き一つとらない、ハンターを含めたモンスターたち。


——ジジジ。

と。

ぼうっとしたままの斗真は、小さく口ずさむ。


「『アップロード』」


カッと弾ける光。

『世界』全体を覆うすさまじい光が、斗真の身体から放出されていく。


「『ダウンロード』」


空間内を漂う弾けた光が。

斗真の身体めがけて次々飛んでいき。

吸収されていった。

完全に光が消えると——。


「『リトライ』」


ほんの一秒前の時間に戻った。

光が完全に斗真の中へと消えた、その直後の時間に。


「『コンテニュー』」


カチン、と。

時計の針が進みだしたかのような音とともに。

『世界』の時間が動き出す。


『成功ね』


斗真の中に力が行き渡ったのを確認して。

『メアリー』は安堵した。


『このダンジョンはもう終わり——この力を維持できなくなった時点で、ここは永久に閉ざされたの。ここにいる人間はみんなダンジョンの崩壊に巻き込まれて死ぬだけ——だったらこの『世界』を一度壊して、もう一度やり直すの』


何もかもが真っ黒に変質して、何もかもを呑み込んでいく闇が這いずり出た。

【世界】の法則にのっとって。

絶対不可侵のルールを破ったダンジョンボスもろとも。

このダンジョンを完全閉鎖して廃棄するために。


「……『ポーズ』」


もう一度——。

この『世界』のすべてが止まった。

ワンシーンを一時停止するように。

お気に入りの写真に収めるように。

『メアリー』の微笑みが、斗真の目の前にあった。

それを。

斗真は虚ろな瞳で彼女を見た。

そして、興味を無くすようにして上を見て。

真っ黒に染まった天井をじいっと眺めた。


「……『セレクト』」


そう告げた途端。

斗真の目の前が真っ白に移り変わり、無数の羅列したコードとデータが『世界』を覆い尽くす。

無限に匹敵する情報網へとアクセスされて。

一秒単位で記録された画像、音声、感覚、感情——人間一個人が有する情報を一つとっても見方や捉え方によって無量大数に匹敵するその中から。

斗真が見て、聞いて、感じて、考えてきた内容すべてのデータが、斗真の目の前で現存された。

斗真の主観的なものだけではなく、斗真の無意識的領域から観測された自分自身、そして彼を取り巻く環境や関係性さえ——。

そして。

上下に羅列するデータの海を、斗真は下へ下へとスクロールしていく。スマホの画面を手動でするような動きではない。それこそAIによって超高速に選択されるような速度だった。

人間の脳ではまず捉えきれない。


「……これ」


にもかかわらず、斗真はその情報すべてを把握し、その中で欲しいデータをすぐに見つけ出すことができた。


「二〇XX年五月一日——」


その映像が映し出された——。

ダンジョンでのモンスターの素材や採集した魔石、薬草等のアイテムを売って、稼いだ日銭を見てため息をついているシーンだった。

ここから始まった、斗真の悪夢。

そして。

斗真の物語が始まった、祝いの日。


「……『ロード』」


そう宣すると。

下から上へと流れていた電子空間のような『世界』が一時停止し、逆再生するように、巻き戻しするように上から下へと動いて行った。どれだけの文字数が下って行こうとも、その終わりが一向に見えない。永久に続いているんじゃないかと錯覚するほどに、同じような光景が一分程度続いた。

しかし、斗真にとってはほんのコンマ未満秒の感覚で流れ終えた。


——同期完了。


最後に流れたその文字が地面の地平線へと消え失せると。

『世界』が崩壊を始める。

塗装にひびが入り、剥がれるようにその表面がぼろぼろと崩れていった。その奥に見えるのはまたも真っ暗な空間。何も見えず、何も感じない空間が広がっていた。それ以外は何も、存在しない。

真っ白な世界がやがて、真っ黒に塗りつぶされた頃。

存在するのは自分の身体だけになった。

そして一際輝く一等星が目に付く。真っ暗になって初めて認識できた、突如として光りだした一筋の光。まるでそこが、目指すべき目的地を指すようにして、燦々と光り輝いていたのである。

斗真は立ち上がると、そこへ向かって一歩ずつ歩み始めた。

一歩一歩着実に。

これまでの過去を全て置き去りにして、前へ前へと進んでいくように。

歩く速度が少しずつ上がっていき、早歩き、小走り、速足、駆け足と変わっていき、目の前が真っ白になるほどの光を受け止めながら。


斗真は躊躇うことなく、その光の中へと——飛び込んだ。

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