「絶対、絶対そんな簡単なわけない……」


と、戦況を見る限りはハンターたちが明らかに優勢であるのは解りきっているのに。

斗真はあの場から颯爽と逃げ出して、こんなじめっとした狭い場所の中で蹲っていた。

ハンターとして実に——。


『ネエ、ココデ、ナニシテル、ノ?』


「ッ……」


木箱のふたが開けられて、巨人兎がこちらを覗き込んできたのだ。

動物園にいるような可愛らしい顔、赤い目、鼻をヒクヒクさせて髭を動かしている様は何とも愛らしかった。

愛らしかっ——た?

そのムキムキの巨体で、そんな可愛らしい顔をしておいて。

全く異質な——不気味でおどろおどろしい声が発せられた。


「え、話せ——」


『ネエ、キイテ?ココデナニ、シテル、ノ?』


メキイッと、掴んでいた木の縁を握りつぶした。

ひっと叫び声を上げる中、巨大兎は斗真を見つめ続ける。

木箱の板がどんどんなくなっていく。


「きゅ、休憩ッ。ちょっと疲れたから休憩してるんだよッ!」


ピタッと、板を剥がしていく手が止まった。

赤い瞳が、斗真を捉えて離さない。


『フウ、ウン?ソウナノ?ジャア、コレハナ、ニ?』


と、すぐそばにやってきた、ビデオカメラを手にしたぽっちゃりした兎が、薄暗い部屋の中にスクリーン画面を映した。

そこには、一番にその場から離れていく、恐怖に染まった顔をした斗真がいた。


「え、あ……」


『ウソハ、ダメダヨオオ?』


そう言って、巨大兎は斗真に腕を向けて——。

モリモリモリッと肥大化したその身体以上に大きな掌を斗真に見せて、握りつぶそうとその空間を狭めていく。


「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいッ!」


『ウサちゃーん、ちょっと待ってもらっていい?』


通路の奥からやってきた蜘蛛のような少女『メアリー』。

腕を後ろに回して、多脚を器用に動かしながら、ニコニコ笑って近づいてくる。

遠くから見ればとても愛らしい雰囲気を持つ笑顔なのに、向けてくる視線は毎度ぞっとする。


『殺すのはいいけど、その子は後で即死してあげてね』


助けに来たわけでなく、単純に殺し方を伝えに来ただけのようだ。


『その子、いい子ねえ——何で解ったの?』


そう問われて、恐る恐る唇を動かして返事する。


「な、何となく。あの兎たちは、いや、君は――」


『あ、もういいよ。ただの直感なら、何を訊いても意味ないし』


関心を寄せいた視線から、色が無くなった。

この世界は『メアリー』の都合で何もかもが動いている。

ただおもちゃにされて、殺されていくだけだと、そう斗真は感じていた。


『せっかくだし、特等席で見させてあげるよ』


パチンと指を鳴らすと、その場にいた全員が建物の屋上に転移した。


『ほら見て見て、もうすぐ始まるよ』


と、下では今もハンターたちが巨大兎と戦っている。

そう、今も——。

戦闘が開始して、どれくらいの時間が経っただろうか。

少なく見積もっても三十分くらいは続いているだろう。

敵の数を見ても、減るどころかどんどん増してさえいる。敵は増える一方、味方は疲弊していく一方——壁際に寄って、ローテーションを組んで休憩しながら戦闘を繰り返している。

あれは本当に——壁際まで引いたのだろうか。

引かされた、の間違いではないか?

一体、また一体と倒れていく巨大兎だが、その消化ペースが明らかに落ちている。

体力が、魔力が落ちたから、という味方の問題だけではなさそうな気がする。


「あ……あ……」


それを、斗真は震えながら見つめた。

軍団のように後ろに控える大量の巨大兎——まるで波。

その一個体の戦闘力も見るからに上がっていた。

同じ威力のスキルや物理攻撃を受けているのに、少しの痣や擦り傷を作るだけで平然としていた。


彼らが異変を感じ始めたのは、ほんの少し前。徐々に数を増やし、力を高めていく巨大兎に、ハンターたちは焦りを見せ始めたのだ。強力なスキルや物理攻撃、バフやデバフ効果を重ね掛けして畳みかけても、それでも通用しない——。


「こ……これはあんまりじゃないかッ!」


不意に出た叫び声。

あんまりだ。

あんまりなのだ。

——最後に待ち受けるのは蹂躙である。


『ちなみに、あそこにいるウサちゃんたちは、全員男でーす』


「え?」


言っている意味が解らず、斗真は呆けた声を上げた。


『ウフフ、じきに解るよ』


そして——始まった。

魔力が底をつき、身体強化やバフを持たない状態へなり下がり、ズシリとやってきた疲労感に。

傷を負って動けない者は四隅で固まって治癒系のハンターたちに治療を施されていた。

それを守るように立ちふさがるハンター——主に男性ハンターが。

手始めに犠牲になっていったのが、その壁役を務める一人の男性ハンターだった。


足を掴まれ、波の中へと引きずり込まれていった彼。

叫び散らすが、巨大兎の陰から舞う血液や内臓、そして手足と、頭——うつろな目をして、残った彼らに何かを訴えかけているようだが、次の瞬間には、口裂け女のように大口を開けた白い兎に丸ごと呑み込まれてグチャグチャと咀嚼されていった。


「ひっ・・・・・・」


と、小さく悲鳴を上げる治癒支援系女性ハンター——キレた時の豹変ぶりと打って変わって、借りてきた猫のように縮こまって涙をためていた。

一斉に襲い掛かるのではなく一人ずつ目標にして、残った者たちにより深い絶望を与えるために、敢えて時間を作ってやるという狂気。


「や、やめろおおおおおおおっ!」


また一人、腕を掴まれて集団に引き込まれていった。三体ほどの巨大兎たちが肩車をして、彼はその一番上の巨大兎に胴体を掴まれていた。まるで見せつけるようにして——彼の身体を少しずつ千切っていくのだ。

まずは右腕。


「いいいいいい!」


摘まんで、虫の触覚や足をゆっくりと引き抜くように、ミチミチと音を鳴らして、その男の右腕を取った。


「あ、ああ……アアアアアアアアあああッ!」


痛みからの叫び。

そして錯乱。

五体満足で生まれた自身の身体、長年連れ添ってきた自慢の身体が、その骨や筋肉をむき出しにして、見たこともない量の血液を吹き出して——ついに気が触れてしまった。


「いやだあああああ、やめろおおおおやめてくれええええああああいああひああああっ!」


彼はここで、大声で叫ぶべきではなかった。


「ああ、あああああ……」


そういった状況そのものが、次に狙われるハンターたちの恐怖をより大きく呼び起こし、続々とその空気が伝播していく。


「やだやだやだやだやだあああッ」

「いやああ、いやああああああッ」

「ふざけんな、ふざけんじゃねええよおおおおおお」

「死にたくねえ死にたくねえ死にたくねえ死にたくねえ——」


残ったハンターはまだ多い。

ここへやってきた人数から数人が、ある意味バカやって死んだだけに過ぎす、ほぼ全員がその隅へと追いやられているといってもいい。

今度は五人が引き込まれた。いずれも男性ハンターだ。

五人は宙へ放り投げられると、トランポリンのように仲間を足場にして宙へ飛んだ五体の巨大兎によって、まるで達人さながらのその手刀によって五人は細切れにされたのである。

吹き荒れる悲鳴悲鳴悲鳴。

中には自殺しようとして舌を噛み切ったハンターもいたが、巨人兎が治癒を発動してみるみる治してしまった。


「あ……あ……」


屋上からその光景を眺める斗真。

少しずつその人数を減らしていく男性ハンターたち。

女性ハンターは隅で肩を寄せ合って、ただただ震えながら固まりに固まっているだけだった。


『ね、すごいでしょ?楽しいでしょ?綺麗でしょ?芸術でしょう?あの人間たちは馬鹿にも意気揚々と戦闘を始めて、最後には無残な死を遂げるという流れ——なんて美しい流れなのか、あなたに理解できて?』


と、最後の男性ハンターが処刑されたのを皮切りに、巨大兎たちの様子が変わる。

何というか、先の獰猛で残虐だった印象から、発情期を拗らせた、まさにメスを求める兎のような——。

突然、巨大兎たちは金切り声を上げて鳴いた。

ダンッダンッとリズムよく足踏みもはじめている。


「そんな…………」


そこからは悲惨という他なかった。

一思いに殺されたほうがまだマシだろう。


「あ…………」


先ほど『メアリー』の言った言葉を思い出し、その意味を理解する。

こういうことだったのか、と。

こんな——人間の尊厳をぶち壊すような最低最悪な行為。

許されるわけがない。

直視することができない。


『ね、最高のフィナーレでしょ?』


「うおええッ……」


吐いた。吐き出した。胃の中の物を全部。また。


「こんな……こんなのって……」


『ウフフッ』


そうして——彼女たちの瞳から色を奪っていき。

最期に行われた、食事。

血が床を濡らしていた。


「…………」


『それじゃあ最後は、デザートに決めた君だね』


嗚咽を漏らして、えずいて。


『でも、もう君を楽には殺さないの』


「……え」


——だって、さっきは即死とかどうとかって。


『これはプレゼントだよ』


人差し指をクルンと弧を描く。

途端に、斗真の姿が変化した。

胸と臀部が大きくなり、筋肉と、そして男性の局部が失われていく。


「え……え?」


困惑。

声も男性的ではなく女性的な透き通るような声へと変わっていった。


『ほら見てよ、かわいいでしょう?』


いつの間にかもっていた立鏡によって、斗真は自身の変化を目にして声を上げた。

尻餅をついて、足をガクガクと震わせる。


『君は、男の子としての屈辱や侮辱を、これまで存分に味わってきたと思うけど、せっかくだし、女の子のそういうのを味わうのも人生だと思うんだよね』


と、元気ハツラツに手を振り上げる『メアリー』。


「じゃ——いって・らっ・しゃい」


悪魔のような笑顔。

斗真は巨大兎に掴まれて、そのまま屋上から放り投げられた。


——その後のことは。

次の『世界』に戻されても、斗真は覚えていなかった。

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