第6話


保留ボタンを押した。


リビングを挟んだ、向かいの部屋が父の書斎だ。


春花が死んでから、休みの日には一日中書斎にこもって、狂ったように掃除をしていた。


書斎の扉を開けて、愕然とした。塵ひとつない机も、椅子も、整然と並べられた本棚もなくなり、そこはただの物置になっている。



急いで玄関から外へ出た。表札が柏木になっている。家の外観を確認する。間違いな

く俺の育った家だ。柏木は母の旧姓であることを思い出した。



修正が働いた結果だと理解した。戻って電話に出る。


「変わっている!」


相手は無反応だった。困惑しているのが読める。


「ごめん、変なことを言って。俺と春花は会ったことがないんだ……」


言い聞かせるように呟いた。年頃のせいで俺を嫌がっていた春花はいない。電話の相

手は、まるで別人に思える。


「でも、父のおかげで会えますね。昨日、亡くなりました。腎不全で」


今度は俺が黙る番だった。朝まで父はここにいたのに。

 

春花は淡々と葬儀の日時と場所を言った。父も春花もずっと長野に住んでいたという。春花には、ここで暮らした思い出がなかった。


「お母さんにも伝えてくださいね」


父は犠牲になったのか? 死んだはずの妹を生かした代わりに。胃の奥で、重いものが広がっていくのを感じていた。相槌を打って、電話を切る。



もしかしたら……。俺は淡い期待を抱いた。中学時代の名簿を引っ張り出して、吉田の家に電話をかける。



女性の低い声が聞こえてくる。多分お母さんだろう。俺は瞬時に自分の名簿に目をやった。柏木悠介の名前で卒業したことになっている。


「佐山……いえ、柏木です」

「柏木君? 中学の時の」

「はい。光輝君はいらっしゃいますか」

「ふざけないでちょうだい! うちの息子を侮辱するの!」



怒声が耳元で鳴り響き、思わず耳から受話器を離した。俺は落胆する。


「いえ、失礼しました」


電話を切り、唇をきつく噛みしめた。短絡過ぎたか。吉田のお母さんがいたずらだと思うのも無理はなかった。


吉田はもう何十年も前に死んでいる。妹が生きていたからといって、吉田も生きているわけではない。 



PCを手に入れたことで、少し浮かれている部分もあった。俺が送ったのはあくまで春花を助けるためのメールだ。それにより春花の生い立ちと、俺の家族関係だけが変化したのだ。



おそらく、15歳の俺を取り巻く家族関係も同じように変わっている。俺もびっくり

したけど、15歳の俺もいろいろびっくりしているだろう。なるべく早めにメールをしてやらなきゃ。


そんなことを思いながら、青木の見舞いに向かった。

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