第21話 王子の思惑

「王子の婚約者クリスティーヌの誘拐……。全く、フィガー王国の護衛は何をしてるんだか」


 聖獣の手綱を引きながらキドは顔を歪めた。自国の恥だ。俯くように「すいませんと」と謝罪した。


 絶え間なく全身に吹き付ける風、乱れる髪を抑えながらマルティカも身を縮めた。


 それよりもキドには聞きたいことがある。レツァードの容態は? 本当に問題ないのだろうか?


「あぁ、処置は無事に済んだので問題ありません。普通の人間なら死んでただろうに、あいつの生命力には驚かされます」

「よかった、それなら安心しました」


 あの時の、彼の身体から溢れた真っ赤な鮮血。その血の温もりに反して、冷たくなった彼の身体に、ひたすら恐怖を感じていた。対時した死をきっかけに、改めて愛を怖いと思った。


「今まで護衛の兵士が死んでもまたかって、そのくらいにしか思っていなかったんです。死に慣れすぎていたのに、いざ彼に訪れた時には……酷く取り乱して無力でした」

「———無力なんかじゃない。聖女様が太刀打ちできなかったように、きっとレツァード一人でも敵わなかったと思う。二人だから勝てたんだ。そして俺達、いや……テルズニアの人間を救ってくれたんだ。本当に感謝しています」


 とんでもない。むしろ、そう言ってもらえると救われる。


「それに、他の人間と愛する者を同じ立場で見るなんて無理がある。酷い奴だとは誰も責めやしない」

「そんなものですか?」

「分からない。俺は誰かを好きとか、愛しいとか思ったりしたことがないから。ただレツァードと聖女様を見ていて、良いなとは思った。誰かを好きになるって、悪くないですね」


 その辺りから徐々に眠気が襲ってきて、瞼が重くなってきた。寝たらダメ、そう思いつつマルティカはキドの腕の中で眠りについていた。


「———なんて無防備な。けど仕方ないか……死闘の後、数日かけて登った山を一晩で降りてきたんだ。疲れたよな」


 キドはマルティカの身体を支えなおし、満点の空の中、雲を突き抜けるように飛行を続けた。



 一方、クリスティーヌの行方が分からなくなって数日が過ぎたフィガー王国では、ロザックが不機嫌に指で机を叩いていた。


「まだ有力な情報は届いていないのか? お前らは、本当に揃いも揃って無能ばかりだな! クリスティーヌはマルティカの大事な妹なんだぞ! 彼女の安否が分からないと、マルティカが悲しむじゃないか!」


 この間までゴブリンのように醜いと蔑んでいたのに、聖女の素顔を見た時からすっかり手のひらを返したロザックは、事あるごとにマルティカのことばかり口にしていた。


「あぁ、不安だ……。あんな可憐な人が討伐に出ているんて、戻ってきたら手厚くもてなさなければ。あのレツァードとかいう無能は即クビだな。いや、鞭打ちの末に斬首にしてもいいくらいだ。大臣、すぐに手続きを! 彼女が戻り次第、取り掛かるぞ!」

「手続きとは……?」

「まずは私とマルティカの婚儀だ! よくよく考えれば聖女である彼女こそが私の妻に相応しい! 聖女の妹なんかで妥協した私が愚かだった。婚約披露をする前に気付いて良かったぞ」


 また王子の我儘が始まった。大臣は目眩を堪えながら、恐る恐る申し上げた。


「王子、それには些か問題が。もう各国に招待状を配布しておりますので、今更取り消すのは」

「なんだ? 別に日取りを変えるわけじゃない。紹介するものが変わるだけだ。何も問題ないだろう?」


 大いにある。この人は本当に救いようもない莫迦ばかなのか?


「あとはレツァードとユーエンへの処罰だ。忙しくなるなー、全く!」

「その割には、随分と悠長にされているように見えますが?」


 盛大に開けたドアの音と共に姿を見せたのは、憤りを隠しきれないマルティカだった。だが鈍感なロザックは、嬉々と浮かれた表情で近付いてきた。


「おぉ、マルティカ。今日も麗しい! そなたに会えず、寂しかったぞ!」

「そんなことよりクリスティーヌの情報は? 一体どこの賊ですか?」


 一瞥する彼女に大臣達は動揺を隠せなかった。本当に人の顔色を伺ってオドオドしていた、あの聖女なのか? とても同一人物には見えない。堂々とした雰囲気に誰も物申すことができなかった。


「聖女様、この人達がフィガー王国の大臣達ですか? 未来の王妃の一大事だというのに、全く危機感がないですね」

「キド様、申し訳ないですが少し席を外してもらえませんか?」

「申し訳ございませんが、そういうわけにはいかないです。もし聖女様に何かあれば、あいつに合わす顔がない」


 恐ろしいくらいに整った美形に、ロザックは後退りをした。何者だ、コイツは……! 随分とマルティカに馴れ馴れしいが?


「テルズニア王国、第二精鋭部隊団長キド・リューヴィ。今は親友であるレツァードの代わりに、聖女様の護衛を務めております」

「あのテルズニアの?」


 噂だけは聞いたことがある。冷徹無情の凄腕騎士。そんな奴を怒らせればタダでは済まないだろう。


「そういえば、せっかく皆さんがお揃いなので報告だけさせて頂きます。前に聖女の状況確認を求めたら『フィガーの聖女は他の聖女に劣る。もしかしたら紛いモノの可能性があるから、保護は必要ない』と拒否されたことがありましたが、今回のことで正式に大聖教神殿がマルティカ様の保護に動き出しましたので。婚約破棄を言い渡され、一人の国民になった今、フィガー王国にマルティカ様を束縛する権限はなくなりましたので、ご理解を」


 マルティカも知らされていなかった事実に驚いた。特にロザックは「そんなこと、認めない!」と、顔を真っ赤にして怒っていた。


「今までのフィガー王国の聖女様へ対する侮辱は、とてもじゃないけれど擁護できるレベルではない。今回は妹様の件でお連れ致しましたが、その後はマルティカ様の自由です」


 あまりに唐突な上に大事過ぎて、言葉が出ない。しかし今は自分のことよりもクリスティーヌだ。行方不明になり数日が過ぎていると報告を受けたが、この人達は会議室に篭って、何をしているのだろう?

 少しでも手掛かりを得られると思っていたのに、とんだ無駄足だった。

 切羽詰まった状況に、焦り出したマルティカにキドが打開策を提案してくれた。


「もしクリスティーヌ様の持ち物があれば、追跡魔法で追いますが? どうしますか?」

「そんなことができるんですか? 今すぐにでも追跡お願い致します!」


 こうしてクリスティーヌの居場所を突き止めたマルティカ達は、即座に救出に向かうことにした。


「ま、待て! マルティカ、わざわざ君が危険を犯す必要はない! 私と一緒に城で待てば良いだろう?」

「ロザック王子、あなたはクリスティーヌのことが心配ではないんですか? 私にとって彼女は、たった一人の妹。こんなところでジッとしているなんて出来ません」


 踵を返したマルティカに、ロザックは「わ、私も向かう!」と慌てて玉座から降りて剣を取っていた。


「マルティカのことは私が守る! だから、だから待ってくれ、マルティカ!」


 ロザックの声は虚しく、先陣を切った彼女はどんどんと先へ進んだ。

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