第19話 瘴気の奈落渦と不穏な少年【残酷シーン有】

「だんだん瘴気が漂い出したな……。これからはハイランクの魔物にも警戒が必要だ。ユーエンとリリアンは、くれぐれも警戒を怠ることないように」


 一振りで魔物を蹴散らしていくレツァードを見ながら、一行はどんどん進んだ。警戒もなにも彼がいれば何もする必要がない気がする。


「脳筋……」

「あはは、スゴいっスよねーレツァード先輩」

「なぁ、もっとゆっくり行かないか? 急ぎすぎると疲れるぞ?」


 だが減らず口を叩いていた一行だが、先に進むにつれ次第に口数が減り出した。頭が痛い、割れるような痛みが瞬間的に走る。


 まず最初に音を上げたのはリリアンだった。彼女の顔は真っ青になり、呼吸をするのも一苦労のように伺えた。


「———酷い瘴気だ。こんな濃厚なのは初めてだ」

「今のところ異変がないのはレツァードとマルティカ様かー……。情けないが、俺も今にも吐きそう。すぐに横になりたいくらい身体がキツい」

「俺もだ。同行を願い出ておきながら、情けない」


 マルティカは今までの経験で瘴気慣れしていることと自然治癒の効果があるからだが、自然と抵抗力を身に着けていたレツァードの潜在能力には驚きだ。


「けどこの感じ………いや、気のせいだろう。浄化してしまえば収まるだろうから、皆ももう一踏ん張りしてくれ」


 重い足取りで進む。まるで標高の高い山頂を登っているかのように、頭痛と目眩が止まらない。喉の奥に張り付く嫌悪感に堪えながら、一行は進んだ。


 茂った草木や樹木の葉を切り落とし、視界を確保した瞬間———目の前に広がった光景に絶望した。


 枯れ果てた草木、ヘドロのように黒々と澱んだ液体。腐臭を漂わせた動物の死骸、そして討伐の末の骸が、平然と転がらされてた。


 この世の醜いものが詰め込まれたような、目を覆いたくなる地獄の様な状況に、皆が目を背けた。


 ただ一人、レツァードだけを除いて。


 彼の視線の先にいたのは、瘴気の奈落渦の前で悠然と立っていた少年。黒々とした長い髪の奥には、青白い肌が覗いていた。濁った目色に歯並びの悪い口からは、蛇のように長い舌が這っていた。


「………あ? 何、アンタ達。もしかして俺のトモダチを殺したの、アンタ?」


 姿勢の悪い猫背で指差して。彼の視界に映った瞬間、全身の鳥肌が立って寒気が走った。


 ダメ、アレは………関わったらいけない存在だ。


「もしかして聖女? お前、聖女か? 気持ち悪ィーな、お前がそばにいると俺まで消えそうになる。キシ、キシシシ……だから、死んで?」


 その瞬間、ずっと離れた場所にいたはずの少年が背後に廻ってズルッと腕を回してきた。


 嫌悪も絶望も、嫉妬、焦燥、憤怒……あらゆる負の感情が混ざり合ってこみ上がる。支配された感情のせいで、生きているのが嫌になるくらい———……。


 大きく口を開けて噛みつこうとする少年に、レツァードは大剣を振り翳し、少年の顔面に向かって突き刺した。


「ぐふぁ……ッ! 痛ェ……っ!」


 咄嗟に少年を突き放し、マルティカを抱き寄せ距離を取った。一瞬の出来事にマルティカの脳が激しく揺れた。


「マルティカ様、大丈夫ですか?」

「は、はい……なんとか」


 見たことのない顔で怒りを露わにする彼に、怖さを覚えた。あの少年は何なのだ?


「お前、邪魔。俺は聖女を食う。食う食う、食う食う食う食う……」

「テメェ……っ、俺のことを覚えてねぇのか?」


 剣を構え直したレツァードは、悔しそうな顔で思いの丈を叫んだ。


「俺の国を、ガラドスを滅ぼしたのはテメェだろ! 仲間を貪って、食って、屍体を弄んで……っ!」


 ———ガラドスを壊滅に追い込んだ魔族?

 思わぬ仇の登場に、二人とも冷静を失っていた。


 どうしよう……どうすればいいのだろう?


 国を滅ぼすほどの力を持った魔族。そんな存在に何ができるだろう?

 でも、もしここで何も出来なかったら、この命を賭けても守りたい人レツァードを失うことになるのだろうか?


「へへ、知らない、覚えてない。今の俺はソイツを食いたいだけ。食う食う食う」

「———っ、そんなことさせるわけねぇだろ! もう二度とテメェに大事なものを奪われてたまるか!」


 ぶつかり合う殺意、突風が舞ったと思った次の瞬間には激しい打撃が繰り返され、その動きを目で追うので必死だった。


「食う、食う、食う……」

「テメェの相手は俺だ! 余所見をすんじゃねぇ!」


 今のうちに———、マルティカは祈るように浄化の詠唱を始めた。間違えるわけにはいかない、でも早く……っ!

 攻め続けているレツァードだが、攻撃の度に皮膚が裂け、肉が抉られていった。方や魔族の少年は遊ぶように手足を振り回して、明らかな実力の差が浮き彫りになっていった。


 失いたくない、なくしたくない……、早く、早く、早く‼︎


 眩い光がマルティカから放射され、周りの瘴気が薄れていった。間に合った……?


 マルティカの行動に気づいた少年は、動きを止めてジッと見てきた。レツァードの怒涛の攻撃を受けながらも、カッと目を見開いて疎ましそうにマルティカをねめつける。


「やっぱり邪魔だな、アイツ。———食う」


 蔓のように伸びた手が掴むように、マルティカに向かって何度も蠢いた。だが、そんな少年の身体にレツァードの容赦ない攻撃が繰り返された。何度も突き刺し、動きが鈍くなり、終焉を迎え始めたように見えた。


「食う、食う……食う……くう……って言ってるだろう! 邪魔するな、テメェ!」


 最期の力を振り絞るように発せられた衝撃波を流石のレツァードも避けきれず、脇腹が大きく抉られ致命傷を負ってしまった。


「いやぁぁぁぁぁ! レツァード様、レツァード様ァ‼︎」


 蹲り、苦しく唸る彼に手を伸ばした。だがその視界の端で、諦めの悪い魔族の姿を捉えて心が挫けそうになる。


「マルティカ! 手を伸ばせ!」


 レツァードの声で我に返り、一層の力を込めて手を伸ばした。突進してくる魔族の横を飛び込み、間一髪で避けることに成功した。


「邪魔するなぁぁっー……! クソクソクソ、嫌いだお前……っ、お前のことはいつか殺す」

「それは俺のセリフだ。テメェのことはどれだけ掛かろうと、俺がこの世から消し去ってやる」


 そう言葉を残し、魔族の少年は姿を消し、辺り一帯から瘴気が消え失せた。

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