第12話 幸せの後の不穏の足音

 大きな窓から入り込んできた朝日を浴びてマルティカは目を覚ました。すぐ隣には無防備に寝息を立てた愛しい人。

 五指を絡ませて、もう片方の腕を枕にして、包まれるように眠った昨晩は、本当に幸せで満たされていた。


 頭が浮ついて、まともに思考が働かない。しかし、このままでは彼の朝の鍛錬に遅れてしまうのではないかと心配になってしまう。


「レツァード様、おはようございます。朝ですよ?」


 肩を揺すっても起きる気配がない。眠たそうに歪めた顔が子供のようで可愛いけれど、心を鬼にしなければ。


「もう、起きてください! 起きないと……悪戯しちゃいますよ?」

「———マルティカ様の悪戯ですか? むしろ興味があるんだけど」


 いつの間に目を覚ましていたのだろう? ジッと見つめるレツァードと目が合い、心臓が大きく跳ね上がった。


「お、起きていたなら言ってください! もう、鍛錬の時間が始まってしまいますよ?」

「今日は休みを貰ったんで、気にしなくて良かったのに。こんな幸せな朝にバタバタする方が勿体無いじゃないですか」


 大きな欠伸をしながら、マルティカに覆い被さるように抱きついてギュー……と力を込めてきた。


「夢じゃない。良かった、全部妄想だったら、どうしようかと思った」


 その気持ち、分かる。

 あまりにも幸せ過ぎて、どこまでが現実で、どこまでが願望なのか曖昧になってしまう。でもこの温もりは、嘘じゃない。


「………マルティカ様、そんな欲しそうな顔で見られたら、俺も我慢できなくなるんですけど」


 ほ、欲しそう⁉︎

 いや、彼のことを見ていただけなのに、そんな物欲しそうな顔をしていたのだろうか?

 急いで顔を覆ったが、もう手遅れ。レツァードの手が頬に添えられ、そのまま唇を重ねてきた。チュッ、チュ……と甘美な音が身体の芯をほてらせる。こんなに明るい時間から疾しい気持ちになるなんて———……。


 ———コンコン


 ドアをノックする音が響いた。この部屋にいることは限られた人間しかいないと言うのに。

 二人は動きを止めて警戒しながら衣服を纏った。


「申し訳ございません、マルティカ様。ロザック王子から取り急ぎ会議室へと言付けを預かりました」


 この声は侍女のルウル。気心の知れた者と分かり、二人は胸を撫で下ろした。だが王子が何故? 嫌な予感がする。


「本当に、本当に申し訳ないです……っ! こんな大事な時にマルティカ様を呼び出すなんて、あのクソ王子……っ! 何様のつもりなんでしょうか? ◯ねばいい、滅びてしまえばいいのに!」


 ドアの向こうから凄まじい怨念が湧き上がった。いや、国に仕えるのが聖女であるマルティカの役割だから気を使う必要はない。それに雇主である王子をなじるのは、身を滅ぼしかねないので謹んで欲しい。


「俺もルウルと同じ気持ち。あの野郎、マルティカ様を顎で使いやがって……」


 自分の為に怒ってくれる人がいる———その事実だけで、満たされるものを感じた。二人とも口は悪いけれど、それだけマルティカのことを思ってくれている証拠だ。


「ありがとうございます。私は大丈夫なので、安心してください。ルウル、支度をしますので、手を貸してくださいますか?」


 名残惜しいけれど、仕方ない。マルティカは啄むだけの短いキスを残した。


「いってきます、レツァード様」

「———気をつけて、マルティカ様」


 こうしてマルティカは、婚約破棄をされてから初めて、王子の元を訪れる運びになった。

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