第8話 私の知らない彼の素性
クリスティーヌに初めての抵抗をしてから数日が経ったが、思っていたより報復がなく安心して胸を撫で下ろした。
レツァードの方も一時はどうなるかと心配したが杞憂だった。ユーエンのお陰で他の兵士達とも打ち解け、平穏に過ごしていると噂を耳にした。
そう、せっかく順調に周囲に馴染み出したのだから邪魔をしてはいけない。そう自分に言い聞かせながら、隠れるように鍛錬の様子を見守っていた。
あの強面と怯えられていた彼が、若い剣士相手に指南する様子を見て、感極まって涙が溢れそうになった。
「あれぇー? 聖女様、こんなところで何をしてるんですか?」
「ひゃっ! ご、ごめんなさい!」
周りへの警戒を怠り、不意に肩を叩かれたマルティカはビクビクと怯えて身を縮めた。まさかここまで驚かれると思っていなかった当人も、申し訳なさそうに苦笑を浮かべて手を差し伸べた。
「ビックリさせてごめんねー。レツァードの様子を見にきたのかな?」
そこにいたのは王子直属の護衛隊長ユーエンだった。クリスティーヌとの一件では、何かと助けてもらったと言うのに、面と向かって会話をしたのは初めてだった。
「それにしても聖女様、随分と様変わりしましたよね? フォルムが女性らしくなったというか、色気が漂い出したというか」
彼の目線が顔から下へと移り、そのまま舐め回すように眺めてきた。前にレツァードにも言われた気がするが、そんなに大事なことなのだろうか?
「いやいや大事でしょ? C……いや、Dはあるかな? 腰のラインも引き締まっていて、綺麗だね。ねぇ、聖女様って王子と婚約破棄してフリーなんだよね? 良かったら俺とお付き合いしませんか?」
「え……っ、いや、それは」
「レツァードみたいな童貞臭い奴よりも、俺の方が愉しませるって自信がありますよ?」
男慣れしていないマルティカの隙につけ込むようにグイグイ迫ってくる恐怖を覚えた。助けを求めるように周りを見渡すと、一人の女性兵士が察して一目散に駆けつけてくれた。それはそれは野生の猪の如く、猪突猛進に。
「ユーエン隊長ーっ! まーた美人を口説いてるんですか? ナンパばかりしてるとエナさんやユンファさんにチクリますよ?」
「げっ、リリアン。いいじゃないか、美しい女性を見かけたら口説くのが俺のポリシーだ。そうでないと失礼だろ?」
「うわぁー……やっぱ一度、痛い目に遭った方が良さそうっスね。ここ数ヶ月の隊長の行動を報告させて頂きます」
「止めろ、リリアン。ほんとーにヤメて?」
あの掴みどろこのないユーエンを見事に丸め込んで勝利を収めた少女は、誇らしい表情で振り返った。
「わっ、どこの美女かと思ったら聖女様でしたか! 初めまして、私はリリアン・イースと申します!」
「マルティカ・マリッシュです。助けて頂いてありがとうございます。困っていたので助かりました」
小柄ながらも鍛えられた身体と活発な性格がトレイドマークの健康優良少女リリアンは、物珍しそうに眺めてきた。ジロジロと興味津々に、ユーエンにも負けじ劣らず舐めまわすように。あまりの執拗な目付きは同性でも抵抗を覚える程だった。
「あぁーっ、すいません! ついつい見惚れちゃって。最近、聖女様がエロくなったと噂が広まっていたんですよ。ゆとりのある服で気づかれにくいけど、思っていたよりもパツパツじゃないですか? 身体のラインがくっきりでエッチッチですよ?」
え、エッチッチ⁉︎
以前から愛用していた大きめのローブだったので気に留めていなかったが、そんなに? たしかに胸やお尻の辺りがキツくなったとは思っていたが、気付かなかった。
「おいリリアン! 俺達の密かな楽しみを奪うんじゃない!」
「えー、知らない間にエロい目で見られるなんて可哀想じゃないですか! 自分の知らない所でオカズにされるなんて、私なら嫌ッス!」
オカズ? レツァードも同じことを言っていたが、どういう意味だろうか?
「聖女様でエッチな妄想をして、気持ちのいいことをすることですよ?」
「な———っ!」
「おい、聖女様に変なことを言うな! ドン引きして泣きそうじゃねーか、このバカ!」
世間知らずなマルティカには、刺激的で衝撃的な事実ばかりだった。レツァードも知らないところで、こんな会話をしているのだろうか?
「レツァード先輩はムッツリですねー。皆の下ネタに参加をしたいのに経験がないから入って来れないって感じで。まぁ、そんなレツァード先輩も可愛いんですけどねー♡」
思いがけない告白に、マルティカの胸中は騒めいた。男性兵士達と共に同じ宿舎で生活している彼女が、レツァードに好意を持っているの?
「だってあの肉体美! 隊の中でも断トツに素晴らしいです! この前も触らせてもらったんですけど、素晴らし過ぎて興奮しました!」
———どうしよう。彼が同僚達と上手くいっているのは嬉しいのに、素直に喜べない。モヤモヤした感情が広がって、うまく感情を作れない。
そんなマルティカの心中を察したのか、調子に乗って話し続けるリリアンの頭を、ユーエンは思いっきり小突いた。
「痛っ、何をするんですか隊長!」
「お前がおしゃべりなせいで、皆が帰っちまったじゃねーか。ホラホラ、お前もさっさと行け」
ブーブー文句を垂れながらも、渋々戻ったリリアンを見送り大きな溜息を吐いた。
「ごめんねー、聖女様。本当はレツァードに会いに来たんでしょ? 俺が声を掛けたせいでタイミング逃しちゃって」
「え、いえ……っ、私が勝手に来ただけなので、気になさらないでください」
レツァードの姿を少ししか見れなかったのは残念だけど、またいつでも機会はある。それにこんなモヤモヤした気持ちでは、何をしてもダメな気がする。今日は大人しく帰った方が良さそうだ。
「俺は用事があってレツァードのところに行くんだけど、聖女様も一緒にどう?」
「私も……ですか?」
「うん、きっと奴も喜ぶと思うよー?」
この時のマルティカは、嫉妬でまともな思考ができずにいた。だからつい乗ってしまったのだ。この甘い誘惑に。
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