第6話 何よりも優先したいもの
王子の新たな婚約発表がされて、数日が経とうとしていた。
しばらくは魔物も大人しく目立たなかった報告はなかったが、早朝に伐採していた木こりから瘴気の雨霧を目撃したと連絡を受け、早速マルティカに出撃の命が下された。
「なので、聖女様に浄化をお願いしたいのですが……」
討伐はいつものことだ。これがマルティカの責務なので遠慮なく頼ってほしい。
だが普段と違い、護衛の兵士の姿がどこにも見当たらなかった。尋ねてみると大臣は苦虫を噛み潰したような表情で口を開いた。
「婚約の準備で労力が必要らしく、今回の討伐はマルティカ様お一人で出向いてほしいとの事付でした」
「———え?」
先日の討伐でマルティカの国民の評判が上がったのが面白くなかったのか、久々に受けたロザック王子の嫌がらせに、冷や汗が流れた。
下級といえど護衛の兵士のお陰で魔物を撃退してこれたのに、一人でだなんて無謀だ。王子は分かっているのだろうか? 浄化することができるのは
「———けんなっ! そんな命令、願い下げだ!」
「ですがレツァード様! 貴方様ほどの方が、わざわざ危険を犯す必要は!」
「一番危ない目に遭っているのはマルティカ様だろう! そんな方一人を危険な目に合わせて、情けなくないのか‼︎」
勢いよくドアを開けたのは憤ったレツァードと、制止しようと足掻いた気の毒な兵士だった。
「大臣、聖女様一人で行かせるなんて言語無用! 誰がなんと言おうと俺はついて行くからな!」
「レツァード様……!」
「レツァード殿! いや、しかし魔物襲撃の危険がある今、貴殿にはロザック王子とクリスティーヌ様の護衛をして頂かなければ」
「俺は聖女様に従うと決めたんだ。何ならフィガー王国との雇用を解雇してくれてもいい。俺の命はマルティカ様に捧げるんだ」
今までもこんな嫌がらせはザラだった。
聖女である以上はあからさまに蔑ろに出来ないが、醜い女と結婚したくないと思ったロザックは、討伐の際に敢えて危険になるよう仕向けていたのかもしれない。
聖女と婚約破棄をした事実に不満を持つ国民や従者も少なくないだろう。だから邪魔になったマルティカを排除しようと、安易な思いつきを繰り出してきたのかもしれない。
しかし腐ってもこの国の王子。逆らえる人間はおらず、命じられるままに受け入れていたが、レツァードだけは違った。彼は何よりもマルティカを優先してくれたのだ。
「さぁ、行きましょう。瘴気が大きくなる前に浄化したほうがいい」
呆然と立ち竦んだマルティカの腕を取って城外へと歩き出した。普段は徒歩で出向いているのに、今回は馬まで用意されていた。
「これは俺の愛馬でグリーです。賢い馬なので、頼りになりますよ」
「初めて見ました。大きな馬ですね」
飼い主と同様、逞しくて凛とした佇まいだ。けれど強そうな見た目だけではなく、優しい目をしているところまでレツァードにそっくりだった。
マルティカをヒョイっと抱き上げると、その背後を覆うように乗馬してゆっくりと動き始めた。
———分かっていたけど、この距離感。
スゴく近い。レツァード様の胸筋が、骨格が、腰が密着して心を掻き乱す。
「マルティカ様、あまり動かないで下さい。ちゃんと支えているとはいえ、落下すると怪我しますよ?」
「は、はい!」
少し振り向いただけで彼の吐息が耳を掠めて、心臓がバクバクする。
自分ばかり取り乱して情けない。レツァードは真面目に業務に取り組んでいるというのに。
「そういや討伐の際は仮面を外すって言っていたのに、今日は付けているんですね」
「え、あ……はい!」
以前とは全く違う顔になった為、鏡に映る度に驚いてしまう自分がいた。
当の本人ですらそんな始末なのだから、他の人が見ればもっと驚愕するかもしれないと、外すタイミングを逃してしまったのだ。
「残念。討伐に参加すれば見れると思って、楽しみにしていたのに」
「な、何でですか?」
こんな顔を楽しみにするなんて、変わった人だ。化粧もしていない面白味のない顔を見るよりも、顔も体付きも最高級のクリスティーヌを眺めている方がずっと有意義だろう。
「えー……? あのケバケバっすか? 全く興味がないですね。胸も大きけりゃいいってもんじゃないし、どっちかというと俺はマルティカ様のような———」
チラッと感じた卑猥な視線。すぐに逸らされたのだが、即座に凝視直された。
「あれ? え、アレ? 俺の記憶違い……? マルティカ様、胸が大きくなっていませんか?」
レツァードに聞かれるまで意識していなかったが、胸……確かに大きくなっているかもしれない。
というよりも、以前は生命力を魔力に変換し過ぎた為、身体が貧疎になっていたのだ。まな板だった胸も、今は大きく豊かに育っていた。
「クリスティーヌに比べれば、まだまだ小さいけど、少しは女性らしくなってきたかもしれないですね」
「なり過ぎですよ。エロいな、その手つき。俺の目の前で手ブラで揉まないで下さい。オカズにしますよ?」
「オカズですか?」
純粋無垢な瞳で見つめるマルティカに、レツァードはタジタジだった。無自覚なのが、また罪深い。
分かっているのだろうか? 瘴気が漂う状況とはいえ、男女二人きりなんだぞ? 自分が紳士だから辛うじて一線を越えずにいるが、普通の男なら即座に押し倒しているだろうとレツァードは耐え忍んでいた。
大体、身体が揺れる度に柔肌にぶつかって———無理! 二人乗りでの乗馬なんて卑猥にも程がある!
『俺、いいお仕事してるだろう、レツァードの旦那ァ』と、笑っているグリーが目に浮かんだ。
あーあー、いい仕事っぷりだよ、お前は。戻ったら大好物のニンジンをたらふく食わせてやるよ。
「あそこ……! レツァード様、あの辺りに瘴気が見えます」
指差した先には数体のモンスターが
「このレベルなら浄化も容易いし、魔物も駆除しやすいですね。ちゃっちゃと済ませますか」
レツァードに手を差し伸べられて降りたマルティカは、早速浄化の詠唱を紡ぎ始めた。この程度なら一人でも問題なかったが、それでも一緒に来てくれたことが嬉しかった。
「今日は……ご一緒して下さって、ありがとうございました」
「ん? 当然ですよ。これが俺の仕事ですから」
とはいえ、上官である大臣に背いてまで同行を決してくれたのだ。城に戻ったらタダでは済まないだろう。
「私に何かできることはありませんか? 勿論、大臣や王子には私の方から異議を申し上げる所存です。けど、それとは別に」
この優しい人に、何か返して上げたかった。
少しなら蓄えもある。恩礼が欲しいなら、上乗せも可能だ。
だがレツァードの要求は予想外なものだった。彼はマルティカの前に立つと、そのまま仮面に指を掛けてきた。
「それならマルティカ様の笑顔を見せて欲しいです。仮面越しではなくて、ちゃんと」
「私の顔ですか?」
まるで幼子に向けるような穏やかな表情に、マルティカの胸中は慌しく焦り出した。
素顔を見られるのは初めてではないし、勿体ぶるものでもないけれども……!
「———すいません、生意気言いましたね、俺。嫌なら無理には言いませんから、気にしないで下さい」
そっぽを向いてグリーの元へ向かったレツァードに対して、寂しい気持ちが芽生えた。
嫌じゃない、ただ恥ずかしいだけで。
引き止めたい一心で彼の背中に抱きつき、そのまま顔を埋めた。
「行かないで……、嫌じゃないんです。でも私、自信がなくて」
「自信がない? なんで? そんなに綺麗なのに」
ずっとゴブリンみたいだと蔑まれてきた。顔が変わった今でも、自信なんて皆無だ。
こんなにも良くしてくれる彼だからこそ、レツァードに嫌われたくないからこそ、勇気が持てなかった。
「………すいません、俺、生気が満ちる前からマルティカ様のことは可愛いと思っていましたよ?」
「え、嘘……?」
「嘘じゃないです。だって国を守るために戦う聖女なんて、まず尊敬です。そして実際にお会いして、子供みたいな小さな身体で頑張る姿を見たら愛らしくて。しかも痩せこけてるだけで目鼻立ちは整っていたし、目も大きくて可愛いと思っていました」
や、やめてください、不意打ちのお世辞!
余計にハードルを上げられている気がする。見せるのが恐い。
「けど、本来の姿を取り戻したマルティカ様は、どんな女性よりも美しいです。少なくても俺にとっては世界一です」
きっと、レツァードに愛される人は幸せになるだろうと、マルティカは羨ましくなった。
こんなに真っ直ぐで信念を持った人なんて、そうそういない。
自分みたいな婚約破棄を言い渡された女なんかじゃ、きっと相手にされないだろう。でも今だけは、自分だけを見て欲しい。
「レツァード様、ありがとうございます」
眩い笑顔を浮かべながら、マルティカは仮面を外した。記憶の中の顔よりも、ずっと美しかった表情にレツァードも息を飲んだが、直ぐに笑みを浮かべて応えた。
「いつか、あなたが心から笑顔になれる日が来ることを、願い続けています」
今でも十分に幸せなのだけれども……、チクっと感じた胸の痛みを誤魔化すように、マルティカは頷いた。
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