第10話 パートナー選び

「どうしよう、やっちゃった……」


 レツァードの家を訪問したあの日だが、マルティカには押し倒されてからの記憶がなかった。気付けば服を着て、自室のベッドに横になっていた。


 だが、確かに記憶が残っている。レツァードの身体の感触も、抱き締められた強さも、胸元に忍ばされた指先の動きも。

 初めての経験に思考が真っ白になったが、あの時の痺れた快感は今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。


 でも、でも……どんな顔をして会えばいいのか分からない。今すぐ会いたいのに、恥ずかし過ぎて無理だ。


「……ううん、逆だ。迷惑を掛けたんだから謝りにいかなきゃ」


 嫌がるレツァードの気持ちを無視してペタペタと身体を弄って楽しんでいたマルティカを、放置せずに送り届けてくれたのだ。

 誠意を込めて謝らなければならない。


 せめてものお詫びにと焼き菓子やマフィンを焼いて、マルティカは騎士宿舎へと向かった。


 ざわめく胸中を宥めながら訓練場を覗くと、仲間達に指導するレツァードの姿が見えた。複数の兵士を相手に木刀を構えて、いつまでも見ていられるほど洗練された動きだ。


「———マルティカ様? どうしたんですか?」


 離れた場所から覗いていたにも関わらず、マルティナに気付いたレツァードは、練習を中断して駆け寄ってくれた。そんな彼に申し訳なく思いつつ、恥ずかしそうにお菓子を差し出した。


「あ、あの……お菓子を焼いたので、皆様で召し上がって下さい」

「マルティカ様が作ってくださったんですか? ありがとうございます。ありがたく頂きます」


 普段キリッと吊り上がった眼がクシャッと細まって、可愛い……。皆は怖いと怯えるけど、この笑顔を見ただけで優しい気持ちになれる。


「あー、聖女様! 遊びに来てくれたんですか? 嬉しいッス!」


 レツァードの後を追うように声を掛けてきたのはリリアンだった。前と変らない明るい声が響き渡った。

 もし彼女が現れなければ、私達はどうなっていたのだろう? あの後のことを想像しただけで、顔が熱くなって蕩けそうだ。


 それに比べてレツァードは、何事もなかったように鍛錬に励んでいる。あの時の出来事は全部夢だったのかと疑いたくなるほど、変わりがなかった。


「あれー、それ何ですか先輩! いい匂いがする! 聖女様が作ったんですか?」


 リリアンは先程渡した焼き菓子を覗き込むように距離を詰めて、どさくさに腕に擦り寄っていた。

 見事に自然な動きは感嘆に値する。鍛えられた張りのある胸元を寄せて押し付けて、何てあざとい。レツァードも満更でもない顔で会話を続けているし、またしてもモヤモヤした気持ちがぶり返してきた。


「あー、私も聖女様みたいにお菓子焼いたり女性らしくなったら、少しはモテますかねー? 先輩はどう思います?」

「どうって、どんなに足掻いてもリリアンがマルティカ様みたいになれるわけがないだろう? 元の出来が違うんだから」

「もう先輩! そこはお世辞でも『お前にはお前の良さがあるんだから気にするな』とか『俺はお前の突き抜けた明るさが好きだぞ♡』って、褒めるところですよ!」


 ———どうしよう。この場にいるのがツラいのに、二人だけの残して離れるのはもっと嫌だった。

 やっぱりレツァードに対して、自分は特別な感情を抱いてるんだろうなと容易く想像できた。それを真っ直ぐに伝えるリリアンが羨ましい。


 よく見れば、お似合いな恋人のように見えなくもない。私といる時よりも自然体で、何よりも楽しそうだ。

 だんだんと自信喪失し始め居た堪れなくなり、強くスカートの裾を握り締めた。

 

「わー、美味そ。そのクッキー貰い」


 ユーエンが籠の中からクッキーを取り出して、ヒョイっと口に運んだ。ボリボリとリズミカルに味わって、二枚、三枚と遠慮なく食べ始めた。


「美味っ! これってマルティカ様が作ったん? お菓子も作れるとか最高じゃん。やっぱ俺と付き合ってよー。大事にするからさー」

「ユーエン様……?」

「うわっ、隊長! 全部食べないで下さいよ? 私も食べたいのに」

「早い者勝ちでしょ。せっかくの焼き立てなんだから、早く食べないと勿体ないよねー」


 すると彼女も負けずとクッキーを食べ始めて、やっとレツァードから離れてくれた。どこまで故意か分からないが、ユーエンに感謝した。


「ユーエン、ちょっと食い過ぎじゃねぇか?」

「他の女の子とイチャイチャしてる奴に言われたくないねー。俺が全部食べるから、そっちのヤリ宿舎でリリアンとイチャイチャしていいよー?」


 ピリピリと険悪な空気が漂う。

 空気を読んでいないリリアンだけが「マジですかー? 行きますー?」と腕を引っ張っていたが、完全にスルーされていた。


「……は? 他に彼女が複数いる男に言われたくないんですけど? それにリリアンなんて他の同僚と何ら変わりねぇし?」

「嘘言うなよ。前に『童貞卒業させてあげますー』って誘われて、デレデレした顔を見てるし。メチャクソ意識してるじゃねーか、クソ童貞」

「はァ? ガキの戯言を本気にするわけねェだろ? 耳が腐ってんじゃねーかテメェ!」

「相変わらず口が悪いな、レツァードは。その生意気な性格を指導してやろうか?」


 何で? 何故クッキーからケンカが勃発し出したの? 流れ弾でショックを受けたリリアンは黙り込んで蹲っているし、マルティカはどうすればいいのか困惑していた。


「あの、ケンカしないで……他の方々も困ってますし」


 必死に宥めたが一向に収まる気配がない。この二人、仲が良かったんじゃないの?


「いやー……実は俺、好きになっちゃったみたいなんだよね、マルティカ様のこと。だから邪魔しないで?」


 背後から声がしたと思ったら、バックハグで爆弾発言を落としてきた。

 こんなに軽々しく好きって言われても、薄っぺらくしか聞こえないのだが?


「えぇ、隊長! 好きって、付き合ってる彼女達はどうするんですか? そんな中途半端な立場で告白なんて、最悪ですよ⁉︎」

「リリアン、今それ言う? もちろんマルティカ様と付き合えるなら、全員別れて一途になるよ? 当たり前じゃん?」

「常に複数の女性とお付き合いしないと死んじゃう発言してる隊長が、一人の女性に一途になるなんて!」

「うん、結構本気だよ? ね、マルティカ様。今度の王子の婚約披露のパーティも出席するじゃん? 流石にパートナー不在とか恥ずかしいし、俺と一緒に行かない?」


 ロザック王子と妹のクリスティーヌの婚約披露パーティー。すっかり忘れていた。

 婚約破棄を言い渡した相手のパーティーなんて行きたくないが、家族の披露パーティーに出席しないわけにはいかないだろう。


 そもそもマルティカはゴブリン聖女と噂が流れている立場だった。他に想い人がいる人とはいえ、同伴を名乗り上げてくれる彼は、有難い存在なのかもしれない。


「———は? 待てよ。それ、本気で言ってるのか?」


 ずっと黙り込んでいた強面の男が、やっと口を開いた。ドスが効いた声に益々迫力が増していた。


「本気って、当たり前だろ? 冗談で告白するほど俺も」


 最後まで聞き終わる前に胸ぐらを掴み、力一杯吊し上げた。とても茶化せる雰囲気じゃない、本気でキレてる表情だ。


「ふざけんなって言ってるだろ? マルティカ様にだけは中途半端なことをすんな!」


 腹の底から怒鳴った声に、ユーエンも周りの兵士も黙り込んだ。折角仲良くなってきたとのに、これでは水の泡だ。

 焦ったマルティカは宥めようと近付いたのだが、逆に引き寄せられて身動きが取れなくなった。必死に足掻いて抵抗したが、ビクともしなかった。


「この人には……っ、マルティカ様には絶対に幸せになってもらいたいんだ! ロザック王子のように蔑ろにする奴も許せねぇし、ユーエンのように他の女にうつつ抜かしてるような奴にも渡さねぇ! テメェらに奪われるくらいなら俺が!」


 思い掛け無い告白を受け、目の前が真っ白になった。聞き間違いじゃないよね? 回された腕に手を添えて、強く握った。


「俺が……何ですか?」


 聞き返されて我に返ったレツァードは、耳まで真っ赤にして慌て出した。ここまで言ってしまったら引き返せない。観念したように胸の内を告白した。


「俺が………マルティカ様と一緒に、同伴したいです。他の人と行って欲しくないです」


 レツァードの告白に辺りはシン……と静まり返ったが、それは一瞬だけですぐに盛り上がって湧き始めた。


「やっと言ったか! 遅過ぎだよ、お前!」

「本当ッスよー! もう歯痒過ぎて、私とユーエン隊長で一芝居打っちゃったじゃないですか!」


 一芝居?

 皆が歓喜に沸く中、当の本人達だけが置いてけぼりを喰らっていた。


「レツァード先輩と聖女様が両想いなのは一目瞭然なのに、二人とも遠慮ばかりで一向に進まないから、痺れを切らして計画したんです。私が強引に迫ったら、逆ギレで告白するかなーって思って」


 ということは、本当は好きじゃないの? 満更でもない様子に見えたが、どこまで信じていいのか分からない。


「途中、ユーエン隊長が嗾けた時は、本気でキレ始めて心配しましたけど、結果オーライでしたね! 良かった良かった♡」

「いや、全然良くねぇよ……。何で公衆の面前でこんな大雑把な公開告白をさせられたんだ? クソ、俺だってちゃんと考えていたのに……」


 ブツブツといじけ出したレツァードの言葉をマルティカだけが聞いていた。考えてたってどういう意味だろう。


「あの、本当に一緒に行ってくれるんですか? 王子達の婚約披露パーティーに」


 売り言葉に買い言葉で咄嗟に出たことなら残念ではある。でもレツァードが同伴してくれるなら、これ以上望むものはない。


「あー……………マルティカ様、申し訳ないですが、今晩俺に時間をくれませんか?」


 力強い抱擁と耳元の囁きに、思考がまともに働かなかった。

 今、彼はどんな表情をしているのだろう? 気になったけれど、自分の顔を見られるのも恥ずかしくて、マルティカも無言で頷いて、そのまま黙り込んだ。

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