第3話 婚約破棄? 望むところだね

 瘴気の奈落渦の浄化の効果は遠く離れていた城周辺まで及んだらしく、無事に生還したマルティカとレツァードは盛大な歓迎を受けることになった。


「聖女様、聖女様ァー!」

「城外を彷徨いていた魔物もいなくなりました! 聖女様のおかげです! ありがとうございます!」


 これまでも幾度となく討伐を繰り返してきたが、ここまで目に見える結果を得たのは初めてだった。やはりきちんと魔物を殲滅し、浄化する必要があったのだろう。

 今回はレツァードがいてくれたおかげで、それが叶ったのだ。彼がいなければ成し得なかった偉業だ。


 ———とは言いつつ、いつまでこの体勢なのだろう?


 浄化を終えて気を失ってからずっと、マルティカは抱かれたまま連れられていた。目を覚ましてからも、城内に入ってからもずっとだ。


「へ、兵士様。自分で歩けるので、その……降ろしてください!」

「何を言ってるんですか、聖女様。気を失うほど力を使い果たしたんですから、無理は禁物です」


 いつもに比べると有り余っているくらいだ。むしろ浄化された湖で魔力を補充したので、満ち溢れているくらいだ。


「無理したらダメです。俺が医務室まで運びますので、それまで我慢して下さい。それと俺は兵士様じゃない。レツァードです」

「れ、レツァード様……」


 とはいえ、異性とピッタリと密着した体勢は生まれて初めての体験で、極度の緊張で心臓が壊れそうだった。


「しっかり掴まっていないと落ちますよ? ちゃんと腕を回してください」


 より一層身体がくっついて「はわわわーっ!」と情けない声が漏れてしまった。



 だが城内に入った瞬間、嫌悪に満ちた酷い視線がマルティカに絡みついた。その先にいたのはロザック王子とクリスティーヌだった。


「まぁ、お姉様。嫁入り前のレディーが殿方に抱き着くなんてお恥ずかしい。しかもゴリラみたいな強面。お姉様ったらそのようなケダモノがお好みだったのですね」

「な、アンタ……何様だ? 聖女様に向かって」

「アンタこそ何よ? 私は聖女の妹のクリスティーヌ。そして、この国の王子の婚約者よ」


 予め耳にしていたとはいえ、ハッキリと断言されたマルティカは、ショックのあまり顔を背けるように胸元に埋めた。そんな震える指先に気付いたのは、側にいるレツァードだけだった。


「この際だからマルティカにも伝えておこう。私は君との婚約を破棄し、妹であるクリスティーヌと正式に婚儀を契ろうと思っている。そもそも討伐ばかりしている君には、私の子を産む責務を果たせないだろう? 彼女なら聖女の血筋も引いているし、国民も納得してくれると思うんだ」


 なんて勝手な言い分だろう。

 マルティカが命懸けで闘っている中、二人は安全なところで愛を育んでいたと思うと、遣る瀬無い気持ちが込み上がる。


 だが、拒否権なんてない———マルティカは黙って、聖女としての責務を果たすしかないのだと思考と止めた。


「フィガー国っていうのは、随分な国なんだな。民の上に立つ王族がこんな腑抜けだとは思っていなかったよ」


 無礼な口を聞いたのは今回の浄化の貢献者の一人、レツァードだった。彼はマルティカを守るように、強く抱き締めながら言い切った。


「むしろボンクラ王子との婚約破棄、望むところだね。アンタに聖女様は勿体ねぇよ」

「なっ、お前! 下級兵士が何を生意気な!」

「この国では下級だが、ガラドス帝国では将軍補佐に就いて精鋭部隊を率いていたんだけどな。腕っ節なら負ける気はしないけど、試してみるか?」


 大陸随一の大帝国を築き上げたガラドス帝国と小国フィガー王国では、大きな雲泥の差があった。しかも武力国家の精鋭隊だなんて、ロザック護衛の上級騎士でも太刀打ちできないだろう。


「そ、そんな奴が、なんでマルティカの護衛なんかについたんだ? 本来なら王族である私を守るべきだろう⁉︎」

「そりゃ、せっかく生き長らえた命を全うしたくて、自ら聖女様の護衛に志願したんだよ。こんな安全圏に守られた王子の護衛なんて、死んでもゴメンだね」


 憤怒するロザックを嘲笑うレツァード。彼はそんな凄い人だったのだと改めて感心した


「ロザック様、もう放っておきましょう? ほら、マルティカお姉様もいいって言ってくれたんだから、今すぐにでも婚約発表をしましょうよ♡」


 胸元に腕を押し付けて、勝ち誇ったように笑みを浮かべてクリスティーヌは、吐き捨てるように嫌味を残して去った。


「ゴブリン聖女には無礼な脳筋ゴリラがお似合いね。二人してフィガー王国の為に身を粉にして頑張って頂戴……♡」


 あまりの上から目線に、呆気に取られるしかなかった。


「ゴブリン聖女……? こんな綺麗な聖女様に、あの女何を言ってるんだ?」


 綺麗だなんて、とても勿体無い言葉だ。

 お世辞を言うレツァードに、恐縮するように顔を隠した。


「いやいやいや、本当に女神のような美しさだから! 嘘だと思うなら鏡を見てくれ!」


 そう言って差し出された鏡を見た瞬間、マルティカは悲鳴を上げた。


 誰? この人! こんな瑞々しい健康的な美女、見たことがない!

 自分の知るマルティカ自分の顔は、クリスティーヌが言うようにガリガリで醜いゴブリンのような容姿だったのだ。


「これが本来の聖女様の姿なんですよ。やっとポンコツ王子から解放されたんですから、これからは自由に過ごせばいいですよ」


 自由に……?

 物心がついた頃から戦禍の最前線で、討伐しかしてこなかったのに。


「これからは俺が護衛しますから、もう苦労しなくていいですよ。命を懸けて守りますから」


 一人の兵士が誓いを交わしている中、間抜けで愚かな王子と強かな悪女が、婚約を大々的に公にしていた。そんな二人に平和ボケした国民達が、嬉々として祝福の歓声を投げ掛けていた。



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