パートナー
@kkym73
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きっかけは母から誘われたことだった。地域の広報誌を片手に、「これに参加してみない?」と。見せられたものは「日本語で外国の方と話してみよう!」英語を勉強している身としては、ちょっと反応が遅れてしまう。外国人と、日本語で、話す……。毎日必死に英語を勉強している意味とは。まぁ、やってみるか。
好奇心は人より旺盛な方だと思う。高校2年の夏休み。チャレンジする夏になるだろう、な。たぶん。研修会があるらしい。人と話すのに研修が必要な世界って、どんなだ?これを受けたらコミュニケーションのプロにでもなれるのだろうか。そう思うと俄然興味が湧いてきた。自分も臆せずに話せるようになるかもしれない。実際、人と話すのに億している感覚はないが、たまに、忘れていたころになって「無視された」だの「クールだよね」だの友達に言われることがあるのだ。そんな自覚は全くないが、相手にしてみたら失礼な奴だと思われているのだろう。そうしたら信頼がなくなってしまう。それはなるべく避けたい。よし、話し方を学んでみるか。この研修会とやらで。
どたばた。擬音語で表すとこんな感じだろう。カタカナではなくひらがなで、どたばた。
「パソコンつけた?」「今!」「お昼できてるよ!」「分かったー!」 7月15日、午後0時45分。研修会の準備をしている。いよいよ第1回目の研修会が始まる。部活は早めに切り上げてきたし、シャワーを浴びてすっきりしている。が、オンラインでの研修会に、パソコンの設置が必要だったなんて、肝心なことを忘れていた。しかも、なにやら前もって書いておくプリントと、切っておくカードがあるらしい。まずい…。間に合わないかも。
「みなさーん、こんにちはー。今日はご参加いただきありがとうございまーす。」
語尾が伸びた声で柔和な女性が話し出した。研修会のスタートだ。
「地域日本語教室のパートナーさん、初めましてー!」
地域日本語教室?パートナー?なんだろう、それは。
「地域日本語教室は、市区町村ごとに行われている、地域に住む人たちが交流する場でーす。地域の外国人が生活の悩みを話したり、日本語を学んだり、しゃべったりする場ですが、外国人とか、日本人とかの区別のない場を目指していまーす。みなさんは、教室に来る外国人学習者さん・参加者さんと区別して、パートナーさんと呼ばれまーす。」
地域にすむ外国の方が、同じ地域に住む自分たち日本人の「パートナー」と日本語でしゃべる、その空間が地域日本語教室、ということか。うん、おもしろそうだな。
自分が日本で暮らしていて、日本人以外の人と関わることは、かなり限られている。しかも、日本語で話すことはもっと少ない。学校のALTの先生とは英語でやりとりをする。町を歩いている外国の方に見える人とは、こんにちは、と言うだけだ。小・中学生のときに母に連れられて行った教会では、宣教師の人に英語で英語を教わった。英語の講義は全然分からなかったけど、1回だけあったハロウィンパーティは楽しかった。わざわざ家に教えに来てくれたこともあったな。母と話している横で自分は遊んでいたっけ。つまり、こんな機会は初めてだ。外国の人と日本語で話す、というのは。
「ではまず、パートナーさんどうしで自己紹介をしてください。事前に書いていただいた紙を、こう見せながら。では、いってらっしゃーい。」
今日の講師の先生がそう言って、グループが分かれた。オンラインだと簡単に分かれて便利だが、初対面の人といきなり少人数になって話すのは、めっちゃ緊張する。
「あー、緊張するな。」「はは、大丈夫だよ。」
パソコンが1台しか繋げないので、母と横に並んで座っている。まぁ、大人の母にはなんてこともないのかもしれない。ただ自分が子供なだけだ。
「あ。」
4人か。ちょうどいい人数かもしれない。でも。
「………………」
この空気感。だれもなにも言い出さない。気まずい。一言だけだ。一言。
「こんにちはー。」やはり我が母が先陣を切ったか。誇らしいと共に、どこか悔しい。
「自己紹介ですよねー。」
「そうですねー。」
「どなたから始めますー?」
「では私から、良いですかー。」
「あ、どうぞー。」
「私は……」
一言、こんにちは、と挨拶をすれば、ここまで会話ができる。そして、ここから始まった会話は、合いの手によってどんどん広がっていくのだ。一言。その重みが垣間見れた気がした。
自分の番になって、自分の趣味、地域の好きな点、研修会への期待と目標など、書いたことを言った。
「この研修会で、コミュニケーションのとり方を学んでいきたいです。」
高2の人見知りな自分が掲げられる、最大限の目標だ。たぶん。
「みなさん、お話はできましたか。それでは次に、身近にどんな多言語・多文化な状況がありますか。書いていただいたプリントを基に、またグループで話し合ってください。」
近所で。街中で。職場や学校で。メディアを通して。この4つの状況で、多言語・多文化か。難しいな。例えば…
近所で:散歩で会う方々。それぞれの家庭状況。ファストフード店。方言。
街中で:インド料理店。人々の服装。若者が集まりやすい場所。
学校で:英語。色々な地域から生徒が集まっている。異なるコミュニケーションのとり方。
メディアを通して:各国の首相や大臣が発信するSNS。海外で流行しているダンスや歌。こんな感じだろうか。
「グループで話し合いはできましたか。では何人かに聞いてみたいと思います。」
!!!げっ。気が気ではない。どうか当たりませんように。
「近所には、外国人のママ友がいて、その方が日本語が読めない時があるので、たまに教えてあげたりします。」
「街中では、アルバイトの店員が外国人なのを見かけます。」
「学校では、子供は日本語ができるんだけど、親御さんが日本語ができないために、面談が難しいときがあります。」
なるほどな。そういう状況もあるんだ。自分では気がつかなかったことに他の人が気づいてシェアしてくれるのって良いな。
「そうですね。地域にいる外国人の姿を踏まえて、初めに地域日本語教室の教室参加者の背景についてお話していきます。」
講師の先生の話を聞いて驚いたことがある。それは自分が思っているよりもはるかに多くの外国人が日本に在留していることだ。さらに、外国人労働者数は、自分の地域が全国でトップに入るほどだったことにも驚いた。地域日本語教室は、「教える・教えられる場」を越えた、多文化共生の地域社会形成を目指す場であり、教室参加者の背景を理解する=ニーズに寄り添うことが、地域でパートナー活動を行う意義になるんだそうだ。つまり、最初に柔和な女性が言っていた「区別のない場」をつくり、地域住民として関わり合っていこう、ということだな。やっぱり、おもしろそうだ。
でも、多文化共生ってなんだ?どうやって実現できる?
「ここで、グループワークをやってみましょう。『レヌカの学び』を聞いたことがありますか。レヌカさんは、ネパールの女性でろう学校の校長先生です。彼女が日本のろう学校に学びに来たときに体験した、日本での異文化体験が『レヌカの学び』です。みなさんには18枚のカードを切ってもらいました。今から、ネパールにいたときにレヌカさんの考えと、日本に来たときのレヌカさんの考えを分けてもらいます。なぜ、そう判断したのかも考えながら分けて下さいね。」
レヌカの学び。初めて聞いた。やってみよう。
どれどれ、まずは「私の夢は主婦になることなの」?対になりそうなのは、「私の夢は歌手・ダンサーになることよ」か。ネパールでは男尊女卑の考えがあるのだろうか。偏見で申し訳ないが、ネパールでは女性が家事をしているイメージがあるから、母親などを見て育って、「主婦になりたい」と思うのかな。そこから離れて日本の自由な空気を感じて「歌手・ダンサーになりたい」と思ったのかな。難しいぞ、これ。次は、「私はご飯を食べる前にかならず手を洗うよ」?これは日本だ。昔からずっと手を洗い続けてきたんだから。…どんな人生だ。次。「子どもたちはめったに遅刻はしません」と「子どもたちはよく遅刻してくるわ」。これは日本が「遅刻しない」だろう。遅刻している人を見たことはあるけど、よくという頻度でもないから。次は……。
「グループでは話し合いができましたか。また何人かに聞いていこうと思います。どんな話しがでましたか。」
自分のグループでは、「日本人は忙しいから朝ごはんは食べない」と言う人や「ネパールの自由な発想で歌手やダンサーの夢を持っていたのでは」と言う人など、色々な意見が出た。
「一つずつ解説していきますね。まず、『私の夢は主婦になることなの』は日本に来てからのレヌカさんです。ネパールでの家事は、薪を運ぶなどの重労働があるんです。一方日本では、電化製品が発展していることから、家事がとても楽に行えます。レヌカさんはそれを知って、『主婦になりたい』と思ったそうです。」
「『私はご飯を食べる前にかならず手を洗うよ』はネパールでのレヌカさんです。ネパールでは、食事を手で食べます。そのため、手は清潔でなければなりません。逆に、日本ははしで食べるのに、なぜ手を洗う習慣があるのかとレヌカさんは不思議に思ったそうです。」
「ネパールでは『子供たちはよく遅刻して来るわ』という様子だそうです。ネパールでは、10分や20分の遅れは遅刻に入りません。それは、来て会えたことが幸せだと思う文化がネパールにはあるからなんです。」
先生はたくさん解説してくれた。どれも、自分の常識やイメージをひっくり返すものだった。自分は、国という大きなまとまりに目が行って、そこに住む一人ひとりの生活を見ようとしていなかったんだな、と思った。それが悪いとかではないけれど、レヌカさんという人の考え方を見るときには、その人の生活などを見なければならなかったのかもしれない。
「思い込みや偏見、ステレオタイプというのは、国や〇〇人という枠組みで捉えてしまうから起きるものです。レヌカの学びから、その人の文化を理解することは、固定的ではなく動的な視点でその人を理解することだ、と言えます。〇〇人ではなく、~~さん、として理解することが重要なのです。」
あれ、先生も同じことを言ってる。自分は良いところに気付けたのだろう。
「最後に、それぞれの『私』の中にどのような多文化があるか、考えてみましょう。『多文化な私』というプリントに書いてくださいね。」
多文化な私。そうか、自分と全く同じ人がいない、というのは、一人ひとり異なる文化を持っている、多文化な中で育ってきたから違う人間になる、そういうことなんだ。きっと。おもしろいな。人と話して、理解することができたら、その人の持っている多文化を、少しなのかもしれないけど、自分が受け取ることができる、ということだ。文化を共有しているけど、違う人間。違う人間だから、文化を共有できる。その連鎖が、多文化共生を実現していくのだろう。
「私たち一人ひとりは多文化な存在で、様々な文化の要素でできています。多文化共生は、目の前のその人を見ること。相互に影響し合い、調節して新たな文化を創造していく。この繰り返しが原動力になるのです。」
午後の1時から4時という時間だったけど、あっという間に感じた。この研修会ではコミュニケーションのコアが学べる、と確信した。まずは目の前のその人と向き合うことから、日常生活で活かしていこう。次は多文化共生のツールである対話についてだそうだ。どんな研修になるのか。そして、研修を終えたとき、自分がどうなっているのか。楽しみだ。
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