第11話
謎の少年たちは諦めて山を下りたようだ。
女狐は大きなキセルで黒い雲をつつき、地上へ近づいた。
雲は土にふれると消え、女狐は裸足で地上に降り立った。同時にキセルが指先で持てる大きさまで縮んだ。
歩くと体の前で締めた帯の先が地面に擦れる。
(忌々しいのう……)
先ほどの少年たちを思い出すと顔が歪んだ。
化け狐退治目的で山に入る人間を見たのは久しぶりだった。しかし、あんな子どもは初めてだ。しかも武装までして。
後ろで髪を結び、能天気そうな少年が持った立派な刀。自分たち人外が見ればすぐに分かる。あれには聖なる力が込められている。
それを持つ少年の清らかな魂が力を増幅させていた。あの場では抜くこともままならなかったようだが。
(よい……そのままあきらめてしまえばよい……)
女狐が草むらをかきわけると、三匹のキツネがお昼寝をしていた。
油揚げのような色をした体とふっくらとした尾。彼女は唇を薄く開くと手を伸ばした。
一匹のキツネが女狐に気づいて瞼を開ける。突然現れた人外に驚き、短く鳴いて仲間を起こした。
キツネたちは怯えながら体を起こしたが、地面から伸びてきた黒い蔓によって手足をとらえられた。
蔓は動こうとするとさらに絡みついてくる。
女狐は悲痛な鳴き声を上げるキツネたちにキセルの煙を吹きかけた。
煙に包まれたキツネたちは体毛が黒くなり、つぶらな瞳は真っ赤に染まった。かわいらしかった鳴き声は獰猛で荒い息遣いに変わっていく。
煙を振り払ったキツネたちは地面から伸びた蔓を引きちぎり、女狐に向かって頭をたれた。
彼女はしゃがみ、一匹の額にふれる。すると、十字型の傷が出来上がった。焼き印を入れたように細い煙が上がっているのに、キツネは痛がる様子を見せない。
「……昼間の小僧たちを探すのじゃ」
女狐は十字傷のキツネの額に人差し指を当てた。キツネはおとなしく彼女のことを見上げている。残りの二匹は付き従うように一歩引いて控えている。
武装した少年たちが気になる。またここへ来るかもしれないが、先回りして調べたくなった。
女狐は獣を操り、その獣を通して景色を見ることができる。この山のヌシから受け継いだ力の一つだ。
彼女は少年たちの人相をキツネの脳内に送り込む。後ろで髪を結んだ少年、狼の尾のように髪を束ねた少年、白髪の少女のような少年、御空色の髪を高い位置で結んだ────
薄く唇を開くとあごをしゃくった。
「たぶんよそ者じゃ。ここを下りた村で滞在しておろう」
行け、と短く命令するとキツネたちはあっという間に走っていった。
────今から甘味でも食べに行かないか? 二人で。
────お前は可愛いよ。
────今だって十分綺麗じゃないですか。旦那さんがうらやましいなぁ。
成長するにつれシュッとしていく細面。切れ長の赤い瞳は皮が弾けた柘榴と同じ色。同年代の少年たちよりも高い背丈。
京弥は幼い頃から甘い顔立ちと高身長を手にし、同年代の少女だけでなく親世代の女も虜にしていた。
外を歩けば京弥に見とれる女ばかり。
────京弥君、好きだな……。
────あんなかっこいい人は他にいない!
────旦那よりいい男だわぁ。
自分の顔の良さは物心ついた時から自覚していた。
男友だちと歩いていれば必ず京弥が注目される。手を振ったり片目をとじてみせれば黄色い声が上がった。恋文も何通渡されたことか。
マセた年上の少女に口づけを迫られたらいくらでも応えた。それからは口づけや抱擁の一つで女を虜にするのが一種の遊戯になった。
中には京弥が誰彼構わず甘い言葉をささやくことを知ると、”私だけじゃなかったの?”と激昂する少女もいた。
”そうだよ?”と返せば泣かれるか火に油を注ぐことになる。それが原因で小紅の友だちを何人も泣かせ、以来彼女には心底嫌われている。
小紅と言えば征司にベタボレだ。村の少女は誰も振り返らない男に。
小紅は母親譲りの美しい桃色の髪を持ち、顔立ちも可愛いらしい。だが、心を開いていない相手には口調がキツくなる。
征司は”小紅は人見知りだから警戒心を抱き過ぎているんだよ”と笑っていた。
そんなんじゃ彼女は嫌われて孤立するだろ、と思ったが征司は小紅の足りない言葉を補っていた。
彼女がもっと多くの人と仲良くなれるように、誤解なく意思を通じ合えるように。
そこが征司のいいところだ。そんな彼を好いてくれる小紅には感謝している。親友には幸せになってほしいから。
────征司はいい男だが……鈍感なのが玉に
────絶対に嫌。あんたなんか大っ嫌い。
口説こうとするといつも、鼻にシワを寄せて拒絶される。
頑なに京弥になびかない彼女をからかうのがおもしろくてやめられなかった。
しかし、それは村を出ることになって終わった。
両親の仕事の関係で村や町を転々とするようになったのだ。
京弥の両親は様々な土地で噂話を収集し、真実かどうかを調べては編纂して本にして出版している。その手が好きな若者たちの間で人気があるようだ。
現在、両親は遠い村で静かに暮らしている。
征司たちと幼少期を過ごした村で両親は、忠之に様々な伝承を取材していたらしい。
京弥は十五で独り立ちしてからは旅を始め、知らない町や村を回っている。
特に目的があるわけではないが、自分が知らない世界を知るのは楽しかった。
旅の間も多くの女に声をかけられた。成長してからはますます見た目の良さに磨きがかかったらしい、と自負するほど。
宿代に困った時は女が切り盛りをしている宿屋を探し、宿代の値引き交渉をした。もちろん自分の顔の良さを使って。
そんなある時、運命的な出会いを果たした。
その日の京弥は鹿子村の近くの町をぶらついていた。
ただ訪れるだけの旅に飽き、短期の仕事をしながら滞在するようになった。
旅費を稼げるし、その土地の話を聞かせてもらえるのが面白い。
いつの間にか両親がやってきたことと同じようなことをしている。ネタが集まったらいつか、旅を記録した本を出すのもありかもなと半分本気で考えるようになった。
この日の仕事は髪飾り売りの手伝いだった。
色とりどりのちりめん、美しい紋様が入った絞り染め、平たく編まれた組紐。それらで蝶々結びや花をかたどった髪飾りは、店主の一押しで流行らせたいらしい。
「君のその顔なら! ぜぇったいにおなごが近寄ってくるはず! 通りすがりのおなごたちにぜおすすめしてくれ!」
癖が強い長い髪、ずり落ちた鼻眼鏡。奇抜な色の着物を変わった着こなしをしている女店主は熱く語った。
この仕事は彼女から誘われて引き受けることになった。仕事を探していたら、”君のような美形を探していたんだ!”と力強く手を握られた。いつも落ち着いている京弥が驚き、曖昧な笑みを浮かべることしかできなかったほど。
店の入り口で呼びかけると、何人もの女が興味を持って近づいてきた。
いくつか見本を持たせてもらっているので、女の頭に当ててやる。”もっと似合うのが他にあるはず”とほほえみかければ百発百中だ。見事に全員、店の中へ吸い込まれていく。
たまには肉体労働じゃないのもいいな。己の見た目の良さを活かした仕事は、悪くないどころかかなりいい。
「人気作家先生の新作だ。どれも一点物だよ」
店先で呼び込んでいたら、美しい少女が通った。
正確には市女笠から垂らした薄布で顔を隠しているが、立ち居振る舞いが美しい。
その後ろには同じく布を垂らした市女笠を被った女が二人。どちらもそれなりに年齢がいっているのだろう。背中がやや曲がっている。
「どうだいお嬢さん。見ていかないかい」
「あなたが持っているのが商品なの?」
「そうだよ。どれもいいだろ、ほら」
髪飾りを差し出し手の平に乗せてやった。白い手だが、所々タコができているのが気になった。
空いた自分の手を見ると、長年の剣道経験によるタコがいくつもある。はじめの頃はヘタクソで何度もマメを作り、それが破れては風呂で熱い湯がしみて泣いたものだ。
この手は今しがた違和感を覚えた彼女のものと似ている。大きさが違うだけで。
箸より重い物を持ったことのなさそうなお姫様に見えるが、よく聞けば凛とした声は勇ましさを秘めている。
「可愛い! いいなぁ……」
だが、髪飾りを見つめる姿と弾んだ声は年頃の娘そのもの。純粋で可愛らしい一面は京弥でも心惹かれるものがある。
「姫様、いけません。先を急がなければ」
「お
後ろに控えていた女たちが戒める。姫様と呼ばれた娘は、いたずらっぽい笑顔で後ろを向いた。
「いいじゃない。父上も分かってくれるはずだ」
京弥は乗り気の彼女に手を伸ばすと、市女笠の布の境目に差し込んだ。
「どうだい、お姫様。店の中にはもっといろいろあるぞ。似合うのを俺が見繕ってやろう────」
布をめくろうとしたら一瞬だけ見えた。秋の空のような薄い青と、くちなしの実のような鮮やかな黄色。
その黄色が鋭くなったかと思ったら手をはたかれた。白くてマメのある、力強い手に。
「何をする!」
気づいたら京弥は地面に尻もちをつき、彼女に見下ろされていた。
一瞬の出来事過ぎて記憶が曖昧だが、彼女にどつかれた感覚がある。肩に鈍い痛みが残っていた。
(何が起きた……?)
お姫様とは思えない力強さに信じられず、呆けてしまった。
「姫様! いくらなんでもやり過ぎです」
京弥の母親よりも年上であろう女二人が、娘の行動を諫めた。
彼女は拳を握って憤慨している。無理もない。京弥が無理やり顔を見ようとしたのだから。
「いや……俺が悪いんだ。すまなかった」
京弥はゆっくりと立ち上がり、頭を下げた。
娘はまだ怒っていたようだが、お付きの二人はすまなさそう眉を落としている。
「お詫びと言ってはなんだが、それはあなたに差し上げる」
京弥は先ほど持たせた髪飾りを指さした。
「別に……よい」
娘がフイッと顔を背け、布がさらりと揺れた。
声に怒りがにじんでいるが、どこか嬉しさももれている。凛々しい娘だが、本当は可愛らしい物に目がないのだろう。髪飾りを離そうとしない。
素直じゃないおなごだな……と京弥はほほえんだ。
娘の手に持たせたのは赤い打紐を蝶々結びにしたものをつけ、色違いの硝子玉を交互に紐に通してぶらさげたかんざし。
お付きの女に本当に良いのかと聞かれ、うなずいた。これの代金を支払えるくらいの手持ちはある。それに、これに心惹かれたようだから彼女に身に着けてほしい。
お付きの女にお礼を言われたが、京弥は娘の一挙手一投足に釘付けになっていた。
「綺麗……」
彼女は日にかざしてかんざしを眺めた。硝子玉は陽光を受けてきらきらと反射する。
かんざしをそっと持ち上げる白い手。無骨な手と言う男がいるかもしれない。しかし、京弥にはどんな白木よりも美しく思えた。
空を見上げた時に一瞬だけ見えた、綺麗な空色の髪。腰まで届く長い髪の一部分をだんご状にし、かんざしを挿せばよく似合うだろう。
(綺麗なのはお前だよ……)
京弥は胸に痛みを感じた気がして手を当てた。ジンジンと脈打つ静かな痛みだったが次第に重く速くなっていく。
「こんなに可愛いかんざしは初めて見たよ」
振り返った彼女と目が合ったような気がした。薄布が邪魔をしているのに。
彼女のことをよく見たくて、布なんて透かしてしまえる能力がほしいとさえ思った。
弾んだ声は出会ったばかりの時よりも愛らしい。甘い響きは京弥の鼓膜をなで、体中に染みていくようだ。
(なんておなごだ……)
心臓を撃ち抜かれる感覚、というのを今この瞬間に初めて知った。重く鈍く、甘さが包みこむ。いつまでも感じていたい。
彼は早鐘を打つ胸のあたりの着流しを掴んだ。
「……あなたの色によく合うと思う。受け取ってもらえるだろうか」
「こんなに素敵な物、
「いいんだ。おなごに失礼なことをしたのは俺だ」
京弥は背を向けると手をひらひらと振り、足早に店へ戻った。
どれだけ甘い言葉をささやいても、とろけそうな表情を向けてもなびかない彼女のことが胸に焼き付いた。
これまで女と付き合うのは一種の遊戯だと考えていた。コイツは可愛いかも、と思っても本気で好きになることなんて一切なかった。
封印してたつもりのない恋心の暴走は、自分なんかじゃ止められやしない。
顔も体も熱い。心臓が口から飛び出そうなほど激しい鼓動を続けている。
京弥は真っ赤な顔を手で覆うと、店の壁にもたれかかった。力が抜け、ズルズルと落ちていく。
戻ってこない京弥を心配した女店主が様子を見にくるまで、彼はずっとへたりこんでいた。
「……俺にだって心から好きになったおなごくらいいるさ」
「はぁ?」
鍛冶屋の帰り、突然そうつぶやいた京弥のことを菊光は不審な顔で見上げる。
「小紅から入れ知恵されているんだろ。汚名は返上しておきたいからさ」
「別にどうでもいいんだが……」
菊光は細目で京弥を見た後、すぐに前を向いた。京弥の話すことに興味がないらしく、関心を示そうともしない。
(誰かを本気で好きになることなんてない、と思っていたんだがな……)
菊光の高く結い上げた髪が、足を踏み出すたびに揺れる。
揺れる髪先にふれたくなって手を伸ばしかけたが、威嚇されるのが目にみえているのでやめておいた。
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