第10話
小紅は征司たちが山に入っている間、筋肉神主夫婦と共に平屋の掃除をしていた。
一晩泊めさせてもらった上に食事までごちそうになった。しかも征司は化け狐退治をすると言っている。
夫婦はその間、ここに滞在するといいと申し出てくれた。そのお礼として、小紅は家事を手伝うことにした。
「おぉ、鹿子村に行っていたのか。あそこは元気なお年寄りが多かっただろう」
筋肉神主は燭台の煤を払いながら笑った。
小紅は縁側の板の間を水拭きしながら、ここに来る前の出来事を話していた。
山姫のこと、サスケの聴力が奪われたこと、山で出会った女装神主のこと。まだ一週間も経っていなのに随分懐かしく感じた。
またあの村に行くことはあるだろうか。お年寄りだらけの村だが、若者が移住してきて活気が生まれたらいい。
「山姫かぁ。お年寄りは戦よりも山姫の方が怖いと、子どもの頃によく聞かされたものだ」
「鹿子村でもそんな感じでした」
「だろうなぁ。でも、一説によると山姫はナメクジが苦手らしい。こう聞くと普通のおなごのようで少しかわいらしいだろう」
「本当ですね。私もナメクジは嫌いです……」
筋肉神主は特に、二人の精霊に出会った話を興味深そうに聞いていた。
「精霊は清い水と美しい森が好きなのよ」
そこに筋肉神主の妻が現れた。その手にはお菓子とお茶をのせたお盆。
彼女は窓枠を拭いていたがいつからか姿がなかった。お茶の準備をしていたらしい。
縁側に腰かけ、三人でお茶をすする。
小紅は桜色をした砂糖衣のお菓子をつまんだ。ザクザクとした食感と優しい甘みが口の中に広がる。
人見知りの自分がこうして知らない人に囲まれても緊張していない。ありのままでいられるのが不思議だったが、理由が分かった気がする。
この筋肉神主は父親によく似ている。落ち着いているところが特に。
彼の妻の静かな空気は、一緒に過ごしていて落ち着ける。
筋肉質で大きな神主と、線の細い妻がどうして一緒になったのか不思議だ。
「お二人はどうして結婚なさったのですか?」
気づいたら踏み入ったことを聞いてしまっていた。
家にいる頃はよく、両親になれそめを聞いては自分もそうなりたいと憧れを抱いたものだ。
目の前の二人がポカンとしているのを見て、小紅は慌てて頭を下げた。
「ご、ごめんなさい! つい……お二人が仲良くしていらっしゃるので……」
口の中でもごもごと言い訳を並べていると、二人は顔を見合わせて笑いあった。妻は白い手を口元に当ててほほえんでいる。
「私は長いこと独身だったのだ。こんな見た目だ、近寄ってくるのは遊んでほしい子どもばかりで。両親にも結婚をあきらめられて、いつしか見合い話を持ってこなくなった。そんな時に出会ったのが妻だよ」
「旦那殿はたくまし過ぎる見た目からは考えられないほど優しい人なの。絶対にこの人と結婚したかったのよ」
妻は夫にそっとよりそって瞳を優しく細めた。そんな彼女の肩を抱き寄せた筋肉神主は、照れくさそうだが嬉しそうだ。
「歳の差で周りからは反対されたこともあったが、妻と結ばれて幸せだよ────って、のろけ過ぎてしまったかな」
「いっいえ! ごちそうさまです……」
小紅は板の間で三つ指をついた。
幸せそうな二人からおすそ分けをもらった。
小紅は想い人と結ばれたことがないのでうらやましいという気持ちが溢れ出る。
いつかは征司とこうなる日が来るといいな、と思う。
しかし、彼の鈍感さと自分のちっぽけな勇気では……と切なくなった。
征司とサスケは先に帰り、菊光と京弥は町へ来た。
女狐が生み出した黒い狐によって刃こぼれしてしまったのだ。菊光は刀の鞘を見ながら顔をしかめた。
「鍛冶屋に相談してみよう。なんとかしてくれるさ」
「あ、あぁ……って、なんでお前がついてくるんだよ」
菊光は隣を歩く男のことを見上げてさらに顔をしかめる。何かと菊光の近くに来るこの男を警戒していた。
しかし、京弥は菊光の鋭い視線をものともせずに優しい顔を向けている。
「同じく刀を武器にしている者同士なんだから仲良くしようぜ?」
「それなら征司のサスケもそうだろ」
「アイツらのは神貴なんだから一緒にするなよ。俺のは町で買ったヤツ。たまたま入ったところで一番いいヤツを選んだ」
京弥は自分の刀を指さしながら片目を閉じた。
神貴がいかにすごい物なのかは聞かされているが、菊光のもいい刀だ。
鍔には美しい模様が施され、柄との間には組紐が結び付けられている。組紐の先には、異国で作られたジービーズという穴のあいた細長い石が通されていた。
組紐とジービーズが邪魔ではないかと言われる時もあるが、菊光はこの装飾品を気に入っていた。
他の誰もやっていないと思う。ちょっとした工夫が好きだ。それに異国ではジービーズはお守りとして扱われるそうだ。
「お前は筋はいいが勢いに任せ過ぎている時がある。俺が稽古をつけてやろうか」
「はぁ……?」
ジービーズを指先ではじいて揺らすと、京弥がそう申し出た。
幼い頃から剣道の稽古をつけてもらっているが、実戦はこの旅が初めてだ。
この男がどれだけの腕前なのかまだよく知らないが、菊光の腕前を見抜いてるらしい。
「気が向いたらな……」
「いつでもいいぜ」
そう言ってまた片目を閉じる。菊光は鼻白んで目の下をヒクヒクと動かした。
「お前のそれ……なんとかならないのか。寒気がする」
「そうか? おなごにやると”キャー!”とか言われるんだが。ほら」
京弥は通りすがりの町娘に目から星を散らし、釘付けにさせた。
町娘は赤い顔で京弥に声をかけようとしたが、彼はスタスタと歩き去ってしまう。その気にさせた自分の行動なんて忘れてしまったように。
「男のボクにやってもしょうがないだろ!」
「お、鍛冶屋あったぞ。早くお前の刀を見てもらえよ」
「あ、あぁ……」
「刃こぼれなんてしてない!?」
「ほら、この通りだ。ウチに持ってくる必要なんざねぇよ」
鍛冶屋の主人に刀を返され、菊光は彼と刀を交互に見た。
こじんまりとした店だが立派な道具がそろっている。どれもよく使い込まれていた。
一仕事を終えたばかりなのか、店内には熱気がこもっていた。職人たちは手拭いで汗を拭き、談笑したりお茶をすすっていた。
対応してくれたのはキセルを持った店主。
キセルを持った女狐と対峙したばかりなので、勝ち逃げした人外を思い出してなんとなく嫌な気分になった。
彼は木でできた椅子、というより箱に座ってキセルをふかしている。
長い髪を後ろで無造作に束ね、右目を眼帯で覆っていた。
店主はキセルを真っ黒な指で持つと、菊光のことを見上げて片頬を上げた。
「兄ちゃん、こんなちっこいのにいい刀だな。本当に持ち主か?」
「誰がおつかいの子どもだ!」
「こんな細っこい腕だがまぁまぁ筋肉質だ。刀を扱うだけあるぞ」
菊光が激昂すると、京弥は着物の裾を上げて二の腕をさらした。菊光はその手をはたき、腕を隠す。
「兄ちゃんたち、化け狐のいる山から帰ってきたところかい?」
「そうですけど……なんで分かったのですか?」
「ウチに来て何もなかった客は大体同じ理由だ。また何かあったらいつでも来な」
用事は一瞬で済んでしまった。京弥と菊光はのれんをくぐると、筋肉神主の家へ向かった。
ちゃんと確認せずにここへ来て何もなかったのが恥ずかしい。
菊光は頬をぐにぐにと揉み、恥ずかしさで緩む口元をごまかした。
「明日も山に行くか。今度は本命の化け狐を見つけられるといいな」
「あ……あぁ!」
京弥はもう、明日のことを考えているらしい。何を考えているのか読めない男だが、切り替えの早さは見習いたい。
菊光は頬をぴしゃりと叩くと顔を上げた。
前を向き、意識を向けると様々な音が集まってくる。
道の脇には商店が立ち並び、商人たちが活気よく商品を売っていた。
野菜、魚と食品以外に生地、かんざしなどの小物。ここには生活に必要な物がほとんどそろっている。
菊光はそれらに目移りしながら闊歩した。
元気な町だ。菊光のように様々な商品に目移りしている者やテキパキと必要な物を買って行く者がいるが、皆一様に表情が明るい。
こういう町にずっと住めたらな。菊光は夫婦で仲良さげに歩く二人を見てしみじみと思った。
「いたぞォ!」
「……く……まぁ!」
「うわっ……」
感傷に浸り始めたところで二人の男の怒号が響いた。周りの人々も何事かと周囲に目を向けている。
菊光は声の主を振り返ることなく、その場から駆け出した。
小さな子どもを抱いた母親、歩いて商品を売る男、かわら版配り、夫婦などを一気に抜かしていく。
「おい菊光! 黙って走っていくヤツがあるか」
「うわあぁ!?」
後ろから菊光に追いついた男に度肝を抜かされた。
脚力が自慢の菊光は、幼い頃から誰よりも足が速かった。こんな簡単に追いつかれたことはない。距離を縮められたとしても、涼しい顔で話すことができる人間はいなかった。
「待てぇ!」
「うぉっ、ヤツら根性あるな」
後ろの男二人は俊足の二人に追いついてないものの、まだ追いかけてきている。
菊光はその場から飛び立つと屋根の上に着地した。ここで初めて振り返って見下ろすと、京弥と二人の男がにらみ合っていた。
ここからは彼らの声を聞き取れないが、何か会話しているように見える。
菊光がいぶかしげに目を鋭くさせると、京弥がほほえんだ。その横顔は優しく、まるで好きなおなごに向けるもののような。
しかし、反対に男たちは歯ぎしりをして頬をゆがめた。片方は驚いたようで、腰から外した十手を取り落とした。
(一体何を……)
男たちは何かを叫び、京弥に飛びかかったが彼はあざやかに交わしてしまった。
ひらりひらりと紙切れのように先の読めない動き。翻弄された男たちは額をぶつけ合い、目を回して倒れてしまった。
京弥は菊光のように屋根の上めがけて飛び立つと、涼しい顔で菊光の横に並んだ。
「待たせたな、帰るか」
「い……一体今のはなんだったんだ?」
菊光がぎこちなく問うと、京弥は前髪を払って鼻で笑った。
「さぁ? なんでもいいけど、追ってくるなら女がいいよな」
小紅からうっすら聞いたが、この男は女好きで女たらし……らしい。
先ほど町娘に取った態度で察したが、これで確信した。
甘い顔に涼やかな瞳。見た目は一級品なのにロクな活かし方をしていない。
菊光は半目で低く息を吐いた。
「しょうもない……」
「お前だってそう思うだろ。むさくるしい男に追われてもうざってーだけじゃねぇか────あ、それとも お前は男に追われたい方か?」
「……うるさい!」
試すような口ぶりとおもしろがった表情。
菊光は先に飛び下りようと屋根を蹴った。
着地した時に追手の男たちを踏んづけてしまったが起きる気配がない。
(当分眠っているといいけど……)
まだ町人たちは何事かと好奇心を向けている。菊光はマントの襟で口元を隠すと、足早にその場から歩き去った。
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