第9話

 とりあえず今晩は我が家に泊まっていきなさいと、一行は神主の家で夕飯をごちそうになった。


 山菜の天ぷらと猪肉を焼いたもの、玄米が振る舞われた。


 山菜は鹿子村でも食べさせてもらったが、見たことがないものがいくつも出された。


 征司たちの故郷では山菜を食べる習慣がなかったので始めは珍しく思っていた。だが、こうして日常的に食べ続けていたら慣れてきた。山菜特有のほろ苦さや肉のかみ応えがおいしい。


「どれも最高にうまいっス!」


 サスケが口元に米粒をつけて感想を言うと、神主の妻はほほえんだ。


 彼女は作り甲斐がある、と嬉しそうな顔をしておかわりをたくさん持ってきた。


 サスケと征司と京弥はがっつくように食べ、何度も玄米をおかわりした。






「このままでいいのかな……」


「征司?」


 夕飯を食べ終えて風呂を済ませた一行は、貸してもらった平屋に移動した。


 ここは祭りや村での催しで作業をする時に使われる場所らしい。村で一番大きな建物なだけあって、征司たちが広く間を取ってもまだまだ余裕がある。


 布団を敷き、寝間着姿でぐだぐだしていた男三人は、征司のぼやきを合図に近くに集まった。


「このままでって何が」


 長い髪をほどいたままの京弥は、征司の布団の上に寝っ転がった。髪の先から色気がしたたり落ちそうなほど艶っぽい。


 彼は頭の下で腕を組み、征司のことを見上げる。

 

「昼間の話。化け狐だよ。亡くなった男の人の他にも自分の子どもとか、奥さんをさらわれた人がいるんだよな。その人たちは戻ってきてほしいって思ってるんじゃないかな……。俺らに何かできることってないかな」


 征司は神妙な顔つきで腕を組んだ。


 真剣な表情の征司とは対照的に、サスケは震えあがる。征司の布団から離れて首をぶるぶると振った。


「何かって……化け狐相手っスよ? 俺らじゃとても太刀打ちできない相手っスよ~……」


「それはどうかな。俺らには神貴様様がいるからな……。今度の相手は神ではないし、できないことは無いと思うぜ」


「でっでも、ここのご老人たちになんて言われるか」


「そんなもん無視だ無視。老い先短いご老人の言うことに信じる価値ねぇよ」


「京弥の兄貴って見た目に反して、言う時は言うっスねぇ……」


 サスケが苦笑いすると京弥は鼻を鳴らした。


「何を話してるんだ?」


 菊光と小紅が広間の入口から歩いてきた。二人も京弥のように湿った長い髪を下ろしている。


 菊光が三歩先を大股で歩き、その後ろを小紅が遠慮がちについていく。菊光の方が身長は低いのだが、その堂々とした立ち姿で存在が大きく見えた。


「菊光の兄貴……もしかして小紅の姉貴と風呂に入ったっスか?」


 なぜか征司たちとは頑なに風呂に入ろうとしなかった菊光。顔を引くつかせ、全力で首を振って否定した。


「そんなわけあるか! おなごと風呂に入るなんて……」


「じゃあどこで風呂を済ませたっスか?」


「奥方が自宅用の風呂を貸して下さったのだ────ボクの体には火傷の跡があるから。見られたくないんだ……」


 菊光は寝間着の袖を握って顔をそらした。普段はきっちりと分けた前髪が垂れ、菊光の横顔を隠した。


 聞いてはいけないことを話させてしまったことに罪悪感を感じたのか、サスケはきまり悪そうにうつむいた。


「ボクのことはどうでもいい、化け狐のいる山に行くのか?」


 菊光はサスケのそばに立つと、彼の頭をわしわしとなでた。


 征司は一瞬だけ迷ってからうなずいた。


 菊光は勇ましい表情で腕を組むと目を細めた。


「それじゃあ決まりだな。明日の朝、さっそく山に乗り込むか」


「私は割と反対なんだけどな……」


「安心しろ、小紅。お前は置いていくよ。年頃の娘だし。お前までさらわれたら余計な仕事が増える」


 京弥は後ろ手をついて小紅のことを見上げた。その様子にカチンときたらしい彼女は口をとがらせる。











 次の日の朝。早くに目が覚めた一行は神主夫婦に小紅のことをお願いし、例の山へ出発した。


 夫婦には平屋を出る前、握り飯を持たせてくれた。


 征司たちから目的を聞いた神主は逡巡したようだが、くれぐれも気をつけるようにと念を押した。反対されなかったのがありがたかった。


「さーて。行きますかー」


「はいっス!」


 山の麓にたどりつき、彼らは山の頂を見上げた。筋肉神主にこの山についていい話を聞いていないだけあって、不気味な空気で満たされているように見えた。


 山の中に立ち入ると妙な寒気に襲われて身震いをした。


 もしもこの先狐火に追われたり何度も同じ場所に出たり、山の中で迷ってしまったら。


 とんでもない話に首を突っ込んでしまったのでは……と、征司はひそかに後悔した。


 しかし言い出しっぺは自分。弱気なことは言ってられない。


 隣を歩くサスケは警戒しているのか周りを見渡している。


 後ろについて歩く京弥は相変わらず涼しい顔で、菊光も恐れの感情を持っているようには見えない。


 いつの間にか強者揃いになったようだ。征司は前を向き、地を踏みしめた。


 しばらく歩くと額に汗が滲み、次第にこめかみにまで流れていくようになった。休憩を挟んでいるとは言え急斜面が続くとなかなかしんどい。


 喉を潤そうかと征司が振り返ろうとしたら、視界の端に黒い影が走った。


「────兄貴!」


「……俺も見た」


 サスケと京弥の声に征司は頷いた。声を上げずとも菊光も気づいたらしく、刀の柄に手を添えて辺りを見渡してる。先ほどまでのバテた様子はない。


「────なんじゃ、そなたら。物騒な物を持って山に入るとは……不躾なヤツらじゃのう」


 声が降ってきた。


 一斉に見上げると、黒い雲に乗った女が妖艶な笑みを浮かべていた。宙に浮いた彼女は征司たちを見下ろしている。


「────化け狐!?」


「じゃない、女だ」


「人外ではあるみたいだぞ」


 雪のように真っ白な肌、吊り上がった目、赤く染まったまなじり、遊女のように肩をはだけさせた着物。長い白髪は高く結い上げ、かんざしを挿している。


 そのかんざしの数は異常でどれも白い。まっすぐなものや湾曲なもの、先に向かって丸みを帯びているものなど。


 真っ白な手には大きなキセルを持っていた。その大きさも異常で、杖ほどの長さがある。


「お前は誰だ?」


 京弥が冷静に問うと、女はフンとかすかに笑った。


「わらわはこの山のヌシ様の嫁よ」


「おいお前! 村の女性たちをどこにやった!」


 征司は女狐に向かって指を突き付けた。化け狐に仲間がいるというのは初耳だ。


「村の娘なら旦那様が食べてしまったわい」


「なんだと……!?」


 女狐は口の端をつりあげた。


 膨らんだ唇は血の色をしている。夫が食べた女たちの血にまみれたまま、くちづけをしたように。


 征司は歯ぎしりをし、刀に手をかける。


 この人外に話は通じなさそうだ。これは退治するしかないのか。


「ここまで届くのかえ?」


 女狐は挑発的に笑い、細いアゴを持ち上げる。


 征司達が持つ神貴や、京弥と菊光の刀を”物騒な物”と言っていたが、これだけの距離があれば恐ろしくないのだろうか。


(じいちゃん……俺はどうしたら……)


 柄をさわる手が震える。


 これを抜いたところで役に立つだろうか。迷いのせいで柄を握ることもできなかった。






 女狐は鼻で笑い、口元を袖で隠した。


「おやおや。生贄かえ? 自ら山に入るとはのう……」


 菊光が征司の前に出る。


 いつもの凛々しい顔つきで、迷いのない強い瞳で。


 菊光は刀に手をかけると目をとじた。


 不思議な存在は幼い頃から身近に感じていた。まぶたに浮かぶのは子どもの頃のこと。

 

 組紐やちりめん細工、可愛いらしい小物が畳の上に転がっている。


 その真ん中で幼い菊光は寝転がっていた。手にアゴをのせ、両足をパタパタと上下させる。


 白い着物に赤紫の袴。下ろした髪はまっすぐで、綺麗な艶をはなっている。


 散らかった部屋を片付けなさいと注意しにきた老女に、菊光は生えかわったばかりの歯を見せた。


────ばあや、また聞かせてよ。


────まぁ。本当にお好きなんですねぇ。


 老女は腰を下ろすと、周りを片付けながら仕方なさそうに笑った。


 彼女は菊光にいろんな話を聞かせてくれた。征司たちが前の村で会った山姫や精霊はもちろん、妖怪の話も。


 だから、本物を目の前にして恐怖よりも好奇心の方が勝っていた。

 

「女狐覚悟!」


 刀を抜きながら菊光が跳躍した。後ろで征司が驚くのが目の端に写った気がする。


 菊光は体をそらしながら刀を振りかざし、美女に斬りかかる。


 しかし、美女は妖しげな微笑みを浮かべてキセルで雲をつついた。


 黒い雲が分裂し、四匹の黒い狐が生み出される。その内の一匹は空中の菊光に牙を剥き、襲いかかった。


 菊光はその牙を叩き折ってやると言わんばかりに刀を突き出したが、狐の方が早かった。刀身に噛みついて放そうとしない。


「このッ……クソ狐ぇ!」


 もう時間切れだ。


 菊光は地上へ戻っていく己の体を恨んで舌打ちした。あの女狐のように空中にずっととどまることはできない。


 落下しながら恨めしげに見上げると、勝ち誇った目で見下ろされた。


「さらばじゃ、小僧ども。そこで狐と遊んでいるがよい。さっさと山を下りるのじゃ」


「待て!」


 黒い雲に乗った女狐は背を向けると飛んでいき、見えなくなってしまった。


 菊光は着地すると刀を払い、黒い狐を斬りつけた。まるでそれは灰でかたどっただけのもののように、空中で霧散して消えてしまった。


 さっきは確かに刀身に噛みつき、砕こうする力強さがあったのに。狐に化かされるとはこのことだろうか。


「うわぁぁ!?」


「サスケ!?」


 大きな悲鳴に振り返ると、残りの三頭がサスケのことを囲ってうなり声を上げている。今にもとびかかりそうだ。


 彼は涙目で尻もちをつき、小刀を取り出すこともできないでいる。


 征司が代わりに刀を振り下ろすと、狐は灰となって消え失せた。京弥は刀を振り払い、鞘に戻している。


「兄貴たち、かたじけないっス……」


「いいんだよ」


「おいサスケ。こんな体たらくでよくも征司の旅についていくなんて決めたな? 今のは雑魚だったからよかったものの……」


 土を払いながら立ち上がった少年に、京弥が厳しい目を向けた。


「待て京弥、サスケの両親は妖怪に殺されたらしいんだ。しかも今みたいな動物の姿をした妖怪で……トラウマなんだよ」


「兄貴、いいんスよ……俺はこんな自分が嫌だから兄貴の旅に着いて行くことにしたっス。妖怪なんかに怯えない強い自分になって村に帰りたいっス」


 京弥は自分の長い髪を払うと、サスケの髪をかき混ぜた。

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