化け狐の嫁

第8話

 見事な跳躍力で牛車に乗り込んだ不思議な少年。


 頭のてっぺんで長い髪をくくり、前髪を真ん中で分けている。綺麗な御空みそら色だ。


 サスケの次に小柄だが、彼より大人びた顔つきをしている。くちなし色の瞳は丸く、そこからあどけなさが見え隠れしていた。


 まとっているのは白い小袖と紺色の袴。空色のマントを羽織り、金色の紐で留めている。どれも上等な生地で作られており、特にマントに施された細かい刺繍が見事だ。


 少年は腰に下げていた小太刀を外し、座布団の上で正座をした。咳払いをするとまずは、牛車に乗せてもらった礼を言った。


「先ほどは本当に助かった。わ、わた……おっほん。ボクは菊光きくみつ。訳あって追われている身だ」


「訳あって、って……。お前、なんかしたのか?」


「犯罪者だったらお断りっスよ……」


 菊光の言葉に征司とサスケは震えた。しかし、少年は涼しい顔のまま。


「罪に問われることは何も。あまり詳しいことは聞かないでもらえると助かる」


 少年は束ねた髪を払い、離れた位置で腰かけている男に目をやった。


「手助けしてくれたことには感謝しているが……お前は何者だ?」


「俺はしがない旅人さ」


 京弥は前髪を払うと菊光に向かって片目を閉じて見せた。ぱちんと閉じた瞳から星が散る。菊光は露骨に嫌そうな表情で手を振り、星屑を払った。


 そばでは小紅も同じような表情をしている。


「離さないとか言ってた気がするけどなんだったの?」


「いや?」


 京弥は頭の後ろで手を組み、壁にもたれかかって目を閉じた。これ以上は話をする気はないようだ。菊光はそんな彼のことをだまって見ていたが、フイと外へ視線を巡らせた。


 牛車は地上から遠く、浮かぶ雲よりも高い位置をずっと飛んでいる。


 牛車の下では家も人も小さく、豆粒のようにしか見えない。木はまるで畑に植わった野菜のようだ。


 初めて見る景色に菊光は子どものように歓声を上げそうになったがこらえ、少年少女の方へ振り向いた。


「君たちも何者なんだ? 見た所普通の人間みたいだけど……飛ぶ牛車なんて普通じゃないよな」


「ん? 俺ら三人は旅人初心者ってところかな……。この国の伝承をこの目で確かめに行くんだ」


「ほーう?」


 菊光が身を乗り出して興味を示した。


 征司たちは自分の村でのことや、先ほどまで滞在していた鹿子村について話し始めた。


 特に忠之や康親の話に興味津々で、彼は”あぁ”と何かを思い出したような表情になった。


「そうか、あの時の……」


「あの時の?」


 征司のオウム返しに菊光は、遠い目でうなずいた。


「忠之様にはボクの弟の名づけ親になってもらったんだ。ボクの名前も忠之様につけて頂いたものらしい」


「じいちゃんに? いいなぁ、俺もそうしてもらえたらよかったな」


「両親につけてもらったならそれでいいじゃないか」


 彼は顔にわずかな哀愁をにじませた。伏せた目を縁取るまつ毛は長い。


 征司たちが微妙な表情に口をつぐむと、菊光は頭をかいて苦笑いをした。


「あぁ……ごめん。別になんでもないから……気にしないで」


 その後も彼らは目的地にたどりつくまで話し続けた。


 菊光は征司と小紅の一コ上で、鹿子村の近くの町に住んでいると話した。


「町っ子なんスね~。かっこいいっス!」


「そうかな?」


「私たちは田んぼと畑に囲まれて暮らしてるから。菊光君は町のお洒落な店に囲まれてたの?」


 小紅がほほえみかけると菊光は首を振った。


「ボクの家はどちらかというと町外れにあって、周りに林や川があるんだ。おなごが好きそうな店は町の中心部にある……」


「そうなんだ────それにしても菊光って結構可愛い顔してるんだね。本当に男の子?」


「誰が可愛いって? ボクはれっきとした男だ!」


「そんなにムキにならなくてもいいじゃないスか……」


「ごめん……」


 サスケに諌められ、菊光は小紅の驚いた顔にシュンとなってうつむいた。


 菊光は小袖の懐を探って組紐を取り出した。赤、黄、緑、白の長く平たい組紐だ。紐の先には小さな房飾り。片方の端にはそれぞれの紐と同じ色のガラス玉が通されている。


「わぁ……綺麗……」


 美しい物に心惹かれてしまうのはおなごのさがだろうか。小紅は菊光の手元に顔を近づけ、ほほえんだ。


 小紅は菊光に渡されると手に取り、ガラス玉を手の上で転がしたり太陽にかざした。


 菊光は小紅の様子にほほえみながら、残りの組紐を懐に戻す。


「それはトンボ玉というものだよ。気に入ったならあげる」


「いいの?」


「うん。君によく似合いそう」


 そう言いながら菊光は小紅の手首を取った。組紐を何周かさせ、最後に蝶々結びで留めた。手のひらを返すたびに房飾りやガラス玉が揺れてきらめく。


「ありがとう、菊光君!」


「菊光でいいよ、ボクも小紅って呼ぶから」


 菊光は小さくほほえみ、征司に手首を見せて笑う小紅をひそかに羨望した。











 次に向かうのは矢羽根やばね村。


 そこには人外の嫁となった人間の女性がいるらしい。


「それで今、その村に向かっているんだ? おもしろそうだしボクも一緒に行こうかなー」


 菊光が背中を伸ばしながら話すと、サスケが顔を歪ませた。


「え……菊光の兄貴は追われているんスよね……? 動き回って大丈夫なんスか?」


「う、うんまぁ大丈夫なんじゃないかな」


「ちょっと! 俺らが兄貴を匿っていると思われて巻き込まれたらどうしてくれるんですか!?」


 サスケが顔を青くすると、菊光は目をそらして頭の後ろで手を組んだ。その顔は引きつっている。本人もあまりよくない提案なのは承知しているらしい。


 すると、しばらく黙っていた京弥が菊光の肩に腕を回して抱き寄せた。


「な……何をする!」


「いいんじゃね? 俺らと旅をすれば追手から逃げられるだろ。矢羽根村はだいぶ遠いし……追手おってさんは行き先を知らないだろうし」


「そうだが……やめろ! 近づくな!」


 京弥は細めた目を菊光にぐっと近づけた。頬同士がふれあって菊光は押しのけようとしたが、彼がさらに密着するものだから敵わない。


 京弥は口の端を上げると、菊光の染まった頬を人差し指でつついた。


「何をそんなに顔を赤くしているんだ? 男同士なんだからそんなに意識するなよ」


「しておらんわ! そっちこそ気安くふれるのをやめろ!」


 菊光は京弥の腕の中で暴れて彼から離れた。肩で激しく息をし、真っ赤な顔を隠そうと手の甲で口元を押さえている。


 懲りない京弥は再び菊光のそばに寄り、顔をのぞきこんだ。彼が小さく悲鳴を上げたことに気を留めず、彼のあごをなでる。


「やっぱりこうしてよく見ると結構可愛い顔をしてるな……。本当に男か?」


「しつこいな……男だと言ってるだろ! 今度言ったら牛車から突き落とすからな」


「おうおう、やれるもんならやってみろ。このほっそい腕で」


 袖をめくると白くて細い腕が露わになった。白魚のような腕。まるで箸より重たいものを持ったことがなさそうな。


 菊光は全身の毛を逆立てると反対の腕で拳を作って京弥に殴りかかった。


「この野郎! 何度侮辱すれば気が済むんだ!」


「まぁまぁそんな怒んなって────小紅?」


 菊光の拳を受け止めると、反対側の腕を掴まれて振り向いた。小紅が首を振っている。


「どうした?」


「もうやめてあげなって……。菊光が可愛いのは私も分かるけど、かわいそうになってきた……。とりあえず菊光も落ち着こ? ね?」


 小紅の制止に菊光は意外にもあっさりと応じて座り直した。


 不機嫌な顔で京弥のことをにらみつけているが、飛びかかる気配はない。対する京弥は胡散臭い笑顔を浮かべたまま菊光のことを見つめている。


「けっ……」


「そんな顔すんなよ。可愛い顔が台無しじゃないか」


「だからそういうのをやめろと言ってるんだ!」


「もーうまた始まったじゃないっスか! 落ち着くっス!」


 京弥は舌を小さく出して腕を組んだ。


 歯ぎしりをして拳を作った菊光はサスケに抑えられた。






 矢羽根村にある家はどこも、軒先に矢が飾ってある。


 よくある狩猟用や破魔の矢とは違い、真っ黒に塗られていた。荒縄で吊るされ、矢じりが下を向いている様子はしょげて首を曲げているように見える。


「矢羽根村だから矢が飾ってあるのか?」


「そのようですね」


「あれは喪に服している時の飾り矢。普段はもっと色鮮やかな飾り矢を飾ってるんだ」


 牛車を下りた一行はようやく到着した村を見渡した。


 自分の村には無かった物を物珍しそうに眺めている。その中で一人、菊光は何度も見たことがあるかのような口ぶりで話した。


「この村で矢は狩猟用に使われるほか、魔除けとしても飾られる。この黒い矢や紅白の矢は弔事や慶事の時に、軒先にこうして出される」


「詳しいんだ。来たことがあるのか?」


「いいや。この村から家に矢を送られるんだ。元旦とか祝い事があった時に……い?」


 征司に聞かれて答えた菊光は、その内容に別次元の話か……? とポカンとしている彼らの顔を見て慌てて口をつぐんだ。


「あ、家って言っても通りかかっただけの武家屋敷だけどな! 送られているのを見たことがあるだけだ……」


「なんだ、お前がいいとこの坊ちゃんかと思ったぜ」


「そっそんなことはない。もしそうだったらこんな風に旅になんて出られるものか……」


 菊光は征司から視線をそらし、背中を向けた。


 この村の神社を探そうか、と康親を先頭に歩き始めたら一軒の家から男が出てきた。


 長く青い髪を全て後ろに流した中肉中背の男は、黒い袴に黒い着物をまとっていた。


 哀愁とシワが刻まれた顔は老いを感じさせるものの、彼の持つ雰囲気は並の人間とは違う神気が混ざっている。


 彼は征司たちに視線を注がれていることに気づき、ぎょっとした。


「うおぅっ!? 何だね君たちは……」


「あ……ごめんなさい……。実はこの村に今来たばかりで、ここのことについて教えて頂けないかと思いまして……」


「なるほど、そういうことか……。しかし悪い時に来てしまったものだなぁ……。今は葬式を済ませたばかりなのだよ」


「葬式?」






 康親は振り向き、牛車の牛をそっとなでてなめられそうになっている菊光のことを持ち上げた。


「ひゃあ!?」


神牛しんぎゅうが気になるのですか」


「え、うん」


「本当に軽いのですね」


「それはあんたの体が大きいからだろ」


 康親は菊光をそっと下して立たせた。彼は小さな少年のことを見下ろすと首をかしげ、着物の袖に手を入れた。


「私の見立てだと────じゃないような気がするんですがね」


「え? なんだ?」


「いえ、何も。あなたがなぜ、そのような格好をしているのかは聞かないでおきましょう」


「!? おい!」


「では私はこれにて。連絡を受けたらまた参ります」


 菊光の問いには答えず、康親は颯爽と御者台に飛び乗るとたちまち空へ飛び立って行ってしまった。


「あの式神……」


 髪色と同じ色の空を見上げ、そのまぶしさに目を細めた。


 額に手をかざすと、征司たちが歩き出す足音がまばらに響いた。


「菊光? そこで何してんだ。行くぞー」


「神主殿に会いに行くっス!」


「分かったよ!」


 菊光はマントを翻して征司たちの元へ駆け寄った。


 突然できた旅の道連れ。今は彼らと過ごすことを純粋に楽しんでもいいかな……と表情を和らげた。


 先ほどの神牛のさわり心地をサスケに語り、今度撫でてみるといいと勧めた。






 神主の神社は清命の神社の三倍ほどの広さで、神社のすぐそばには大きな平屋が建っている。


 境内の社務所に通されてしばらく待っていると、袖の無い白い着物に深緑の袴姿の神主が戻ってきた。


 清命だったら絶対にしないような格好だ。


 葬式を終えたばかりだから身を清めたいと話していたが、まさかそんな軽装になるとは思わなかった。


 本来袖がある場所からのぞく上腕二頭筋の割れ方が見事だ。男でも惚れ惚れとするたくましさを持つ神主は、手ぬぐいで額を拭いながらほほえんだ。


「お待たせしてすまなんだ。お主らの目的を改めて聞きたいのだが────おや?」


 神主はがっしりと引き締まった腕に注目されていることに気がつき、頭をかいた。小紅なんかは頬を染めてややうつむいている。


「いやはや……照れるな。そんなに珍しいか?」


「こんなに鍛え上げられた人は初めて見たっス……。神主殿は身長はそれほど高くないのに大きく見えて不思議だったんスけど、そういうことなんスね」


 サスケは自分の細い腕をぷにぷにとつまんだ。若干失礼なことを交えているが、筋肉神主は腕を組んで笑った。


「はは、よく言われる。幼き頃より身長がないことを気にしていたから、せめて体つきはたくましくしようと考えていたのだ」


「立派な筋肉だー。俺なんかどんだけ力を入れても力こぶなんてできないのに」


 征司は二の腕まで袖をまくって力を加えて見せたが、平坦な山は何も変わらない。残念そうな様子に神主は笑い飛ばした。


「はっはっは! お主はまだ若い、これからだ。たくさん食べてたくさん動く。これがよい筋肉を作る秘訣ぞ」


「おー。参考にさせて頂くっス!」


 よい体つくりの話はほどほどに、征司たちは例の人外の嫁となった人間の女性の話をした。話をするにつれ、神主の顔がみるみるうちに曇っていく。


 座布団に座って輪を作り、湯吞みを持った。先ほど筋肉神主の妻が運んできたものだ。彼女は夫と違い、線が細くて百合のような女性だった。


 あぐらをかいた筋肉神主、うつむいて手を組んだ。快活に笑う様子と打って変わり、表情に影を落とした。初めて彼を見た時と同じ顔をしている。


「先ほど葬式を終えたばかりだと話しただろう……。人外の嫁となった娘の夫の葬式だったのだよ」


「え……?」


 全員の顔が一斉に凍り付いた。同時に、興味本位でこの村に訪れたことを後悔した。


 筋肉神主は”一年前だ……”と小さくつぶやき、眉根を寄せた。


 この村には化け狐が出る。


 度々山を下りてきては民家に忍び込んでは食べ物を盗んでいた。時には気に入った若い娘を山の棲みかに連れ去ることもあった。だからこの村では昔から、若い娘を一人にするのは御法度になっていた。


 しかし。例の娘は夫と畑で作業をしている時に、一瞬の隙をつかれてしまった。


 化け狐は電光石火のごとき速さで娘を抱えて走り去り、娘が戻ってくることはなかった。


 筋肉神主は膝を手のひらで包み込むと、深く息を吐いた。


「……夫である男はその日以来、心を病んでしまってな。自分が目を離さなければ彼女がさらわれなかったのに、とな。周りの私たちは何もしてやれなかった……。あいつは心底嫁にほれていたから、後添えを迎えることもしなかった」


「そんな……」


「娘を取り戻しに行くこともできなかったよ。化け狐が山のどこにいるかも分からない。踏み入ったのはいいものの、何度も同じ場所に出たり怪しげな狐火に襲われたりするだけで、手がかりすら掴めなかった。それに……」


 神主は身を縮こませて小声になり、征司たちに顔を近づけた。


「ここだけの話、化け狐からさらわれた娘を連れ戻しに行くことを……年寄り連中はいい顔をしない」


「なんでですか? 同じ村の人間なのに」


「化け狐への人身御供だと言うのだ。娘がさらわれても黙っていれば化け狐の悪さの回数がしばらくは減る。……自分たちさえ良ければ若者がどんな目に遭っても構わないのだ────」


 葬式を終えたばかりの村では客をもてなす活気はないから、次の目的地へ向かった方がいいと筋肉神主に勧められた。

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