第7話

 無事に聴力を戻したサスケは、久しぶりに聞く皆の声に安堵した。五感が働くありがたさを身に染みて感じている。


「この山は綺麗な音があふれているっスね……。川のせせらぎも鳥の鳴き声も、俺らの村とは違うように聞こえるっス」


 彼は両耳に手を当て、様々な音を集めるように四方八方へ視線を巡らせた。


 川の流れ、風にそよぐ木、衣擦れ。今まで当たり前に聴こえていた音が突然聞こえなくなり不安になった。


 しかし、こうして元に戻ると騒がしいくらいだ。だが、ひどく懐かしい。


 小紅に”よかったね”とほほえみかけられ、サスケは歯を見せて笑い返した。






「お主らには感謝するぞ」


 蘭丸と蓮丸は楽器を抱え、並んで立った。


 初めこそ偉そうな態度を取っていたが今は、これまで見せたどの表情よりも柔らかい。楽師は四人にほほえみかけた。


「俺らってかサスケに、ね」


「そうじゃな。お主らに旅の神の加護があらんことを……。きっと良い旅になるであろう」


「その旅だが……俺を加えるってのはどうだ?」


「え?」


 征司が振り向くと京弥は片目を閉じた。


「私たちがあんたに頼った時、甘えるなって言ってなかったっけ」


 小紅はあからさまに苦い顔をした。


「ん? 言ったが……お前たちは旅の初心者だ。慣れた者が一緒にいた方がいいと思うんだ」


 京弥は頭の後ろで腕を組んだ。袖が肘の下に落ち、白い肌があらわになる。


 おとなしくしていたサスケは手の平に拳を打った。


「確かにそうっスね」


「そうだなー。神様が通った時とか、京弥がいなかったら全員ダメになっていたかもしれないしなぁ」


 小紅は不服だが、京弥を仲間に加える方向で話がまとまりつつある。


 男三人はかたまって笑い合っていた。まるで兄弟のように。


 征司にとって、再会した幼馴染と共に過ごせるのは嬉しいことだろう。サスケもいつの間にか京弥に懐いている。


 今は嫌な相手でもいつかは慣れるだろうか。


 小紅は長身の男の顔を盗み見、ため息をついた。ただし嫌な空気を吐き出すためではない。


 友だちとは思えなくても、一時的な旅の仲間としてなら。認めてやってもいいかもしれない。


 小紅は幼なじみの明るい笑顔を見て、ほれた弱みとはこういうことも含まれるのかもと苦笑した。






「────静かにっ!」


「な、なんだ?」


 目的も果たしたことだし、と山を下りようとした一行だが、二人の楽師によって止められた。


「神々が……いや、お一人か? すぐそばまで近づいておられる。ここでおとなしく頭を垂れているのじゃぞ。よいな?」


 征司たちは茂みのそばで跪いた。前科持ちのサスケは楽師たちに念入りに言い聞かせられてから。


 頭を下げて三つ指をついた征司たちは、なまぬるい風に包まれた。


 それと同時に楽師たちが曲を奏で始めた。たった二人だと言うのに存在感があってよく響き渡る。初めて聴いた時よりも距離が近いせいか、より一層荘厳に聴こえる気がした。


 なまぬるい風は依然として吹き続け、そばにある小さな草花を揺らす。


 頬に当たる風や誰かが前を通り過ぎる気配。顔を上げて見たい衝動に駆られたがじっと耐えた。


 やがて楽師の二人に”もうよい”と言われ、恐る恐る顔を上げた。


 二人は演奏をやめて楽器を下ろし、優しくほほえんでいた。神が通り過ぎた方向を見つめている。


「どうしたんだ?」


「いや。神が恋人に会いに来ただけのようじゃ」


「恋人……?」


「茂みに隠れよ」


 二人に茂みの中に追いやられた。細かい枝や葉がちくちくと刺さる。小紅は髪が引っかからないようにおさげを握った。


 痛いだの邪魔だのと隣の相手を押しやり、楽師と同じ方向を見つめた。


 その先には式神の康親のような雰囲気をまとった男がいた。


 蔓のような刺繍が施された着物と羽織。緑の長い髪には輝く粒子が星のように散りばめられている。


 その前には十二単姿の色白美人がおり、二人は手を取って見つめ合っていた。


「もしかしてあれが山姫……?」


「山姫様、だろ」


「気付かれない内にどっか行った方がいいか……? 血ぃ吸われるんじゃ……」


「案ずるな、今は完全に御二方の世界におられる。我らの存在など樹木に等しい」


「景色としか思われてないわけね……」


 一行と楽師たちは、恋人たちが長いこと顔を寄せ合ってほほえむ姿を遠くから見守った。






 すると楽師が楽器を持ち直し、小紅に目をやった。


「よし、雰囲気作りに一曲やるかの。そこの娘御、鈴を持てい」


「鈴って、これのこと?」


 突然指名されて驚いた小紅は神楽鈴を取り出した。蘭丸が一つうなずく。


「うむ! 我らの奏でる音に合わせて舞うのじゃ」


「舞うって言ったって……私やったことないし」


 小紅は楽師たちに手を引かれると茂みの中から出て、葉っぱのかけらを払った。


 蓮丸は鼓を抱えてバチを構えた。小紅の方へ振り返ると、目を細めた。


「なに、たやすいことよ。あの御二方を思って舞えばよい」


「そんな簡単に言わないでよ……」


 神楽鈴を持ち上げるとしゃらん、という音と共に鈴が揺れる。


 じっと見つめる征司たちに気づき、小紅は顔を赤くした。口元を引き結ぶと、”舞っている間は見ないで”と念押しして背を向ける。


 小紅は幼い頃に町で旅芸人が巫女の姿をして舞っているのを見たことがある。優雅で神秘的で、幼いながらも美しい、と思った。


(私もあんな風に舞えるのかな……)


 神楽鈴を高く掲げる。青、赤、黄、白、黒の五色の細長い布がついている。空にかざすと、風に吹かれてそよそよと揺らめいた。


 神と山姫は相変わらず二人だけの世界に浸っている。


 彼女が蘭丸と蓮丸に”どうしたらいいか分かんない……”と言いたげに目をやると、彼らはどう受け取ったのか小さくうなずいて音を奏で始めた。


 先ほどの荘厳な曲と比べて甘い響きを持った優雅な曲だ。ゆったりとしていて自然と体を動かしたくなる。


(もう、なるようになれとしか────!)


 彼女は長い布の端をつまんだ。旅芸人が持っていた神楽鈴にも布がついていたことを思い出す。


 小紅は神楽鈴を半回転させた。次は反対側に。そのたびにしゃらんしゃらん、と鈴が鳴り合う。


 布の端をつまみ、鈴を斜め上に動かして自身も体を回転させる。そして鈴を反対の手に持ち替えた。


 我流で音楽に合わせて体と鈴を動かしていると、いつの間にか神社で舞を捧げているような気持ちになってきた。


 舞いながら前をちらと見ると、神と山姫は手を取り合って目を閉じていた。聴こえてくる音に浸っているようだ。


 もしかしてこちらの存在に気づいてくれているのだろうか。耳だけで楽しんでいるのかもしれない。


(私もいつかはあの二人みたいに……)


 小紅は鈴を鳴らし、一回転する間に想い人の顔を盗み見た。


 鈍感で呑気で物事を深く考えないが、人への思いやりが深い人。


 その彼が小紅のことを見つめて口をぽかんと開けている。あれほど見ないでと言ったのに。サスケも見とれているようだ。京弥は相変わらず憎たらしい顔で笑みを浮かべている。


 征司は今、舞を前にして一体どんな気持ちでいるのだろう。彼のことだから単純に”すげー……”としか考えていないような気もする。


 彼が自分のことをこの時だけでも、綺麗だとか美しいと思ってくれてたらいいな。


 小紅は優しく目を伏せ、口元をゆるめた。











 帰りがけに女装神主に挨拶をして鹿子村へ戻ると、神主や老夫婦が心配そうな顔をして出迎えた。


 サスケの聴力が戻ったことを伝えると、彼らは胸をなで下ろしてほほえんだ。


「儂らは待ってることしかできなかったが……こうして無事に帰ってこられて何より」


「ご心配をおかけしてすみませんでした。もう元通りっス!」


「そうかそうか。山の中はどうだったかね? 他とは違っただろう?」


「はい……なんというか、いろんなものがいましたね」


「そうだろう。この村は神々と暮らしているのだよ」


 神主に山での出来事を教えてもそれほど驚きはしなかった。老夫婦も新たな発見と言わんばかりに、興味深そうに耳を傾けている。


「なに、この歳になってから新たに知ることも珍しくない。今まで信じていた伝承がここで覆されてもそこまで驚きはしないさ」


「精霊が楽器を使ってもですか?」


「もちろん。そういう存在がいてこその山だ」


 神主は山を仰いだ。その内橙や赤の衣をまとい始めるだろう。今年も美しい景色を見せてもらえるのが楽しみだ、とほほえんだ。


 征司たちが山を見上げて”お~”と歓声を上げているのを見て、神主や老夫婦たちは顔をほころばせた。若者が少なくなった昨今、こうして若い彼らと談笑するのは久しぶりだった。


「そういえば皆さんは山の中の神社ってご存知ですか?」


「そりゃもう。腕のいい薬師だから時々分けてもらっているよ。変わっててぶっきらぼうなところもあるけどいい子だろ」


「そうっスね……じいちゃんのことすっごく褒めてたし」


「そうだろう。あれは忠之様のことを特に尊敬しているからなぁ……」


 鹿子村に何日か滞在した一行は、老夫婦から聞いた話に興味が湧いて次の行先を早々に決めた。


 神主に頼んだ迎えはもうすぐ来るらしい。


 神社の社務所に入ると、見たことのないからくりが置かれていた。征司とサスケは目を輝かせた。


 サスケは木の箱に薄い硝子がはめこまれたものを物珍しそうに眺た。神主に”自由にさわってもいい”と許可をもらったので、コンコンと手の甲で叩いてみた。


「すっげーや……どこの神社にもこんなのがあるんですか?」


「そうだ。別の村に用がある時に使っておる」


「どうなっているんスかねぇ? こんな箱にとんでもない力があるなんて信じられないっスね……」


「これも忠之様が発明なさったものだ。神貴の力を借りているらしい。儂には理解できなかった仕組みじゃったのう……」


 サスケの隣で征司も硝子の板をのぞきこんだ。神主が画面と呼んだ硝子を人差し指でさわると、明かりが灯るように画面が明るくなった。そこにはこの国の地図が映し出され、地名や赤い点が書かれている。赤い点は神社がある場所だと教えられた。


「神社ってたくさんあるんだな。俺はじいちゃんになんでも教えてもらったようでまだまだ知らないことがあるのか……」


「この世界は広いからな。池の中の蛙、大海を知らず……と言うだろう────お。迎えが来たようだぞ」


 四人で外に出ると牛が鳴くのが聞こえた。


 神社の前にいたのは二頭の黒い牛と大きな屋形やかた。御者台に座っているのは手綱を持った康親だ。


 彼は会釈をし、手綱を持つ手を下ろした。


「しばらくぶりですね、お元気でしたか」


「おう。お迎えありがとう」


「これが私の仕事ですから」


 康親は村で見送った三人の他に、一人の青年が混ざっているのを見つけて目を細めた。


「そちらの彼は……?」


「俺の幼馴染だ。この村で再会して一緒に行くことにしたんだ」


「そうですか。旅は道連れとも言いますしね」


「俺は京弥。よろしく、式神さん」


「よく見たら……見覚えがある気もしますね。少年や忠之が話していたような気がします」


 康親は御者台から下り、屋形の裏側に回った。小さな階段を取り外して地面に置く。


 屋形は屋根を支える柱が六本あるだけで壁はない。解放感のある造りだ。足には大きな車輪が四つ。征司たちは興味深そうに牛車の回りを観察した。


「とりあえず中へどうぞ」


 康親は階段を置いた場所の壁を押した。そこだけ扉のようになっており、征司たちを中へ招き入れた。小紅には手を貸して。


 頭をかがめながら入り、屋形の壁に沿って設置された木の板に腰かける。板の上には座布団が置かれている。長旅になっても尻が痛くなる心配はなさそうだ。


「こりゃあ立派な牛車だ……。式神殿、この子たちをよろしく頼みます」


「えぇ。彼らがお世話になりました」


 神主が頭を下げたのに合わせ、康親も目を閉じて会釈をした。


 彼は颯爽と御者台に座ると手綱を持ち、屋根につるした銀色の鈴を鳴らした。


 それを聴いた牛たちはいななき、ゆっくりと前へ進み始めた。


 征司たちは屋形から身を乗りして神主に向かって手を振った。


「さよならー! ありがとうございました!」


「また来るっス!」


 神主も名残惜しそうに、しかしほほえんで手を振り返していた。


 段々とその姿が、神社が、村が小さくなっていく。


 後ろへ離れていく、というよりは下に小さくなっていくというか。


「お……お? 浮かんでねぇかこの牛車」


「うわ! 本当だ!」


 風が吹き、前髪があおられる。康親が振り向き、首を傾げた。


「空飛ぶ牛車だと言いませんでしたっけ」


「初耳っス!」


「きゃー!? 落ちない!?」


「心配無用です────おや」


 地面から離れていくことに気づいた乗客たちは騒いでいるが、康親は涼しい表情。


 しかし、目の端に追いかけっこをする人の姿が入って思わず凝視した。


 小柄ですばしっこい少年が追いかけられているようだ。後ろでは大人二人が何かを叫びながら走っている。


 彼らの距離がどんどん開いていき、持久力勝負は少年に軍配が上がりそうだ。






 少年は時折後ろを振り返り、追いつかれていないことを確認して不敵に笑んだ。


 前を向こうとして上に視線がいき、口を開けて驚いている。無理もない。牛車が空を飛ぼうとしているのだから。


「────待って!」


 彼は何を思いついたのか牛車に向かって叫ぶとその場から飛び上がった。民家の屋根に飛び移るとさらに跳躍した。


「お、おま────何してんだ!?」


 様子を伺っていた征司だが、少年がこちらへ飛んできたのを見て目を見開いた。


 すると京弥が彼に体当たりし、横にすっ飛ばした。。


「あたた……何すんだよう」


「こっちだ!」


 痛そうに腰をさすっている征司のことを無視し、京弥は身を乗り出す。飛んできた少年を腕で受け止め、屋形の中へ勢いよく引き入れた。その勢いで少年は京弥に覆いかぶさるようにして倒れ込み、身を起こそうとしたが京弥の手によって阻まれた。


「もう離さないぜ……」


「なっ……何をするこの変態!」


 抱きしめる腕をふりほどいた少年は京弥の頬に拳をくらわせた。


 征司たちが引くほどいい音を立て、京弥は拳をモロにくらった。痛みに悶えるどころか片頬を上げ、どこか嬉しそうな様子で床の上で伸びた。

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