第4話

 それが、私の考える月光だった。おそらく、私のこの信条が、コンクールでの入賞を邪魔しているのだろうということは分かっていた。私が月光に出会ったのは、いつ頃だったろう。


 彼とは、小学3年以降も、コンクールで同じ土俵に上がることが何回かあった。結果は散々だったけど。彼はコンクールに出るたびに入賞を繰り返した。きっと、ベートーヴェンに寄り添ったピアノだからなのだと思う。


 月光だけではない。モーツァルトのアイネクライネ・ナハトムジークも、ショパンの子犬のワルツも、彼の手によって弾かれるピアノは、まるで当時の作曲者たちが現代に甦ったようだと評判だった。


 対して私は、ベートーヴェンの楽譜を見て、自分なりに月光について考え、あるひとつの可能性を見出した。それが、「希望」だ。


 当然、審査員は私の演奏を快く思わなかっただろう。だけど私は、自分が一番信じられるその可能性を、無視できなかった。だから自分の演奏に、その感情をぶつけた。


 中学生になっても私は、月光に限らず独自の解釈で曲を演奏するあまり、コンクールでは全く入賞を果たさなかった。そんな時、父が私に言った。


「お前のピアノは、コンクールには似合わないんじゃないか?」


 父が勧めたのは、動画投稿サイトだった。私は、ものは試しだ、という気持ちで、自分が弾いた月光をそのサイトに投稿した。


 反響は凄まじかった。


『こんな月光聞いたことない!』


『不思議と、暗い気持ちがなくなっていく』


『明日を生きる勇気が湧いてくる』


 コメントと高評価の通知が鳴り止まず、一時期通知機能を完全に沈黙させたほどだ。そして彼からも、反応をもらった。


『音粒ははっきりしているのに、どこまでも繊細で、それでいて鮮烈な、光の中にいるような。“月光”は短調の曲のはずなのに、彼女のピアノは、どうしてこんなにも、軽やかな音を放つのだろう』


 そのコメントを見て、私は嬉しくなった。彼は私の演奏だと、すぐに分かったはずだ。それでいて、わざわざ投稿した動画に直接コメントを寄せた。なんだか気恥ずかしかった。




 その3年後のコンクールで、彼は最優秀賞、私は奨励賞を獲得した。やっと私のピアノが、として認められはじめたんだと、思った。


 早く彼に伝えたかった。私のピアノが評価されたことが嬉しくて、彼と喜びを共有したかった。だけど、コンクールが終わって彼の姿を探しても、どこにも見当たらなかった。


 そしてそのコンクールが終わった日の、満月の夜。彼が、自宅のレッスンルームにて、首を吊って死んでいるのが発見された。

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