第4話 はじまる日常

 タイクーンに連れられてやってきたのは小さな湖のほとりに設けられた彼らの拠点だった。そこは小さな街のようになっていた。騎竜民族は放牧を生業としており、基本的には草原のあちらこちらに点在しているが、タイクーンは草原にいくつかある湖、すなわちオアシスを拠点としているそうだ。やってきてすぐに結婚式が執り行われた。やり方は彼らの流儀に合わせるものだったが、私は実家から持ってきた白のウィディングドレスを着るように言われた。異民族から嫁を迎えたのを視覚的にわかりやすく表現するための政治的演出だったのだと思う。結婚式はとにかく忙しかった。草原の各地からやってきた様々な氏族や部族や有力者たちがいろいろな贈り物をひたすら持ってきてはなんかタイクーンに挨拶していく。タイクーンの左隣に座った私はとりあえずニコニコとするお人形に徹していた。贈り物を送る式が終われば、あとはひたすらどんちゃん騒ぎだった。兵士同士で相撲を取ったり、騎竜兵が流鏑馬やったり、女たちが光の魔法の演出を使いながら舞ってみたり。まあ見世物としては楽しかった。そして問題の夜がやってきたのである。


「お体キレイよーし!髪の毛キレイよーし!お化粧キレイよーし!下着エチチよーし!」


 ちゃんと水の魔法を使って体を綺麗にして、ちゃんとお化粧し、髪も整えて、下着も扇情的なやつに着替えた。その上からバスローブだけを来て、私は与えられた自分のテントのベットの上でその時を待っていた。


「果たしてどれほど痛いのか。それともマッサージの如く痛気持ちいいものなのか。こんなこと考えてるわたくしはバカなのか」


 いくら政略結婚で人質花嫁とは言え、いわゆる夜の営みってやつはあるのだろう。それも花嫁に期待されていることのはず。そしてドアをノックする音が聞こえた。私のテントは精鋭の女戦士たちが守っているので、ドアを叩くとしたらそれはタイクーンだけだ。


「ど、ど、ど、どうぅぞうぁおお!!」


「失礼するよ」


 銀髪赤目の美丈夫であるタイクーン・アーキスが入ってきた。ほんと見惚れるくらいに顔がいい。だけど。


「タイクーン…。その恰好は?」


「何か問題が?」


 タイクーンの首から下はタンクトップに短パンだった。長い髪の毛は後ろで一本に縛っている。例えるならばまるで下町でオラついてる不良のリーダーみたいな格好だ。


「え、いや。とくには。肌寒くはないですか?」


「確かにその通りだ。最近は肌寒くなってきている。この格好ももう少し寒くなるとできなくなるかもしれない。それは少し寂しいものだ」


 てっきり草原の民の伝統的衣装だと信じたかったのに、本人のご趣味らしい。…なんかイメージと違う。さてでも気を取り直して。新婚さんにとって大事なことをやらなければいけない。なにせ初夜である。こういう時の作法は家族から聞いている。まず母上。


『そういうのは殿方に任せるのよ!』


 役に立たねぇアドバイスだった。


『こういう本があるぞ。東方より伝わった性技書だ。四十八手の型を極めることで極上の快楽が約束されるぞ』


 父上はなんかおかしな本をくれた。絡み合う男女の絵がアクロバティックすぎて何の参考にもならなかった。


『おねぇちゃん!まずはとにかく触れ合うことから始めればいいんだよ!そしたら自然と互いを欲しくなってうまくいくからね!』


 妹よ。ふわっとしてるけどまともなアドバイスありがとう。とりあえずそれに倣って私はベットから降りて、タイクーンの傍に近寄る。もう少しでお互いの体が触れ合うくらいの距離だ。ここで思い切り抱き着いてみたりするのがもしかしたらいいのかもしれないが、今日がはじめてなのだ。それは男性からのリードに任せたい。だって私は女の子だし。だけどタイクーンは特に私に手を伸ばしたり、抱きしめようとする様子がなかった。微妙に気まずい空気が流れる。


「何か色々と準備をさせてもらって悪いが、俺は明日朝早くに出征する予定なんだ。お前を抱くつもりはない」


「え?あ、ああ。そうなんですか」


「ああ、エーレンフリート王国が臣従した今がチャンスだ。王国の隣にあるウェントワース公国を叩きたい。かの国の国境周辺は良い鉄や宝石の産地だそうだ。略奪のし甲斐がある」


 男と女二人っきりなのに、話題が物騒過ぎやしませんかね?それともこれが騎竜民族の平常運転なのだろうか?


「何か好きな宝石はあるか?」


「え?いえ。とくに」


 宝石よりもその原石の方が好きだ。分析のし甲斐があって楽しい。


「遠慮しないでも構わない。遠い祖国から嫁いできたのだ。我儘が過ぎなければ、欲しいものくらいはいくらでもくれてやる。女なら宝石を欲しがるものだろう。公国から取ってきてやろう」


 普通の女はそうかもしれない。あれ?もしかしてタイクーンなりに私に気を使ってる?ならなにかおねだりした方が、タイクーンのメンツをつぶさずに済むのか?


「では鉄の原石をお願いします」


「はぁ?なに?原石?」


「はい。原石です」


 タイクーンは首を傾げている。まあ原石が欲しいなんて言う女はまずいないと思う。だけど私にとってはのどから手が出るほど欲しい。


「公国の鉄は良質だと知られているのですが、それは原石レベルで純度の高い鉄を含んでいるからなのだそうです。それをこの目で確かめたくございます」


 王国の鉄の原石はよく観察してるし、家で実際に鉄に製錬したことがある。果たして公国の鉄の原石はどうなっているのか。すごく興味がある。


「そんなことを知ってどうするのだ?」


「楽しいです」


「楽しいのか?」


「はい」


 タイクーンは私のことを不思議そうな目で見詰めていた。


「わかった。持って帰ってこよう」


「ありがとうございます」


 嫁入りして博物学のコレクションは何一つも持ってきていない。でもこれで私の博物学コレクションが増えると思うと嬉しい。笑みが自然と零れる。


「なんだ。お前はお愛想笑い以外もできるのか」


 タイクーンが私を見詰めながら、優し気に微笑んでいた。そして彼は背中を向けてテントを出ていった。恥ずかしながら、こんなのが私とタイクーンの初夜だったのだ。















 朝、タイクーンの出征を見送って、自分のテントに戻ろうと思ったときにフィロメロスに呼び止められた。


「ペピータ様。紹介したいものがおります。アマリア、自己紹介なさい」


 フィロメロスの傍に女の兵士がいた。赤毛を後ろの方でお団子にしてまとめている。顔立ちは美しい。だけど右目を長い前髪で隠しているのがどこか勿体ない。この女性がアマリアらしい。


「アマリア・ニコラオス・ラケスです。よろしくお願いいたします」


 ここに来て知ったが、騎竜の民には苗字の文化はないそうだ。代わりに父と祖父の名前を自身の名前の後ろに続けて名乗るのが一般的らしい。だからファーストネームで呼び合うのが一般的になる。ファーストネームで呼ばれるのが憚れるのはタイクーンくらいらしい。


「この子は私の妹です。アマリアにはペピータ様の護衛兼執事をやってもらおうと思います。ご自由にお使いください」


「そうですか。わかりました。心遣いありがとうございます」


 執事がついてくれるのは助かる。ここの勝手はよくわからないので心強い。だけどそのアマリアという女兵士はさっきからじっととしたどこか敵意を感じさせる目で私を見ているのだ。それが少し不安だ。フィロメロスは紹介が終わると仕事に戻っていってしまった。そして私とアマリアだけがこの場に取り残される。


「その御様子だと昨日は抱かれてはいないようですね」


 アマリアは口元をにちゃりと歪めてそう言った。


「いきなりなんですか?夫婦の性生活に口を挟むのは淑女としてどうかと思いますよ」


「はっ!何が夫婦だ。お前などただの人質花嫁だろう。お前のような女をタイクーンが愛するはずもない」


 それ言われるの二回目なんですよね。すでに本人から言われてるから特にダメージは感じない。


「はぁ。で、それが事実だとして、わたくしがタイクーンに愛されないことであなたに何の得があるんですか?」


「草原の覇者、偉大なるタイクーンの妃にお前のような女は相応しくない」


「あ、わかりました。あなたは言いたいことだけ言いたい人なんですね」


 いるよねこういう人。相手の話をちっとも聞かないし、話したいことしか話さない。


「今までタイクーンは様々な氏族や部族の姫たちの縁談を断ってきた。私だってその一人だ。なのになんで目も髪も赤くなくて、ましてや竜にも乗れないお前ごときが妃なのだ?」


 そりゃ政治ってやつのせいよ。主に私の父のせい。あの人絶対にノリノリで私をタイクーンに押しつけたよね。草原の民の皆様方に置かれましては、私の父上並みの強引さが足りなかったのではないでしょうか。


「なるほど。あなたの不満はわかりました。つまりわたくしが竜に乗れるようになったら、妃にふさわしいということですよね?」


「ちょっとまて!?そんなこといってないぞわたしは!」


 アマリアが動揺し始めた。さっきタイクーンの妃候補だったって言ってたし、草原の民でも貴種の出なのだろう。きっと言葉尻の揚げ足を撮られる経験とかなかったんだろうな。


「言ったようなものですよ。お喋りには気を付けた方がいいですよ。長く喋れば喋るほど難癖と揚げ足を撮られる可能性が増えますからね。ではさっそくですが、竜の乗り方を教えなさい」


「お前私に命令するのか!」


「当たり前でしょう。あなたは執事なんですから。ではよろしくお願いしますね」


 私はテントに戻る。今着ているのは持ってきたドレスなので竜にはのれない。貰った草原の民の服に着替えるのだ。








 草原の民の民族服に着替えた私は竜の乗り方を教わるためにアマリアに連れられて街の外の草原に出た。


「竜に乗るのは難しい。一朝一夕には叶わない。ふっどうせすぐにお前のような女は諦めるのがオチだろうな」


 いちいちディスってくるのがちょっとウザいな。だけどこの子はタイクーンのことが好きなんだろうな。そりゃぽっと出の女が自分の憧れの男の傍にいたらイラつくだろう。わからないでもない。


「まずは竜とコミュニケーションをとることからだ」


 アマリアは竜の頭を撫でる。竜は目を細めて気持ちよさそうにしている。そして彼女はそのまま鞍に足を乗せて竜の背中に乗った。そして手綱を持って、竜を走らせる。


「アラララララララーイ!」


 草原をアマリアが乗った竜が疾走する。そしてアマリアは背中の矢筒から矢を取り出して弓にかけて、それを射た。魔法の強化と竜の加速の乗った矢は近くの岩めがけて飛んで、岩をバラバラに砕いてしまった。


「うわぁ…そりゃ負けますわ…」


 アマリアはドヤ顔を浮かべている。なんか初めて可愛く見えた。だが騎竜の民の恐ろしさを初めて体感できた。竜の高速移動と、強力な弓による射撃。この二つだけでも普通の軍勢はたちまち瓦解するだろう。アマリアは戻ってきて、竜の上から私に言う。


「こんな感じだ。お前もやってみろ」


 連れてきていたもう一頭の竜はのんびりと草を食んでいた。私はその竜に近づく。すると竜は顔を上げて私のことを見てきた。特に敵意は感じない。意外に大人しい生き物なようだ。さっきアマリアがやったように頭を撫でてみる。だけど


『guuuou...』


 竜はいやいやと首を振った。アマリアはそれを見て嫌な顔で笑っていた。


「どうやら嫌われたらしいな。竜に嫌われるような女はやはりタイクーンにはふさわしくない」


 挑発的な言葉だけど、確かにここで竜に嫌われるようではこの先ここでやっていけるはずもない。だから私は考える。竜を懐柔する方法を。たぶん草原の民は生まれたときから竜と一緒にいて慣れているからこそ乗れるのだろう。だけどその竜が人間になれる条件ってそんなに難しいものではないような気がする。昔インコを飼っていた。インコはくちばしの下の顎を撫でてやると、キモいくらいに気持ちよさそうな顔をしてくれたのをよく覚えている。きっと顎への刺激が快感になるのだろう。それとちょっと前に気になる論文を読んだ。化石の調査によると竜を含む爬虫類と鳥は共通の先祖を持つ近縁種なのではないかという仮説が提示されたのだ。もちろん化石の調査段階であり、確実なエビデンスがあるわけではない。だけど私はその説は正しそうだと思っていた。なので。


「よしよし。さあわたくしの言うことを聞いてくださらないかしら?」


『Guuooooooon...guOouN...』


 私は竜の顎を人差し指でなでなでしてあげた。すると竜は気持ちよさそうな声を出して身もだえ始めた。そしてその場で竜はしゃがみこんだのだ。私はしゃがんだ竜の背中に乗る。すると竜は私を振り落とさないくらいに優しい速さで立ち上がってくれた。


「ば、ばかな?!竜を一瞬で手なづけた?!しかも自分からしゃがみこんだ?プライドの高い竜が?!在り得ない?!」


 アマリアは両手で口を押えてひどく驚いていた。私がやったことはなかなか草原の民的にはすごいことらしい。


「お前は一体どんな手品を使った?!まさか竜またたびのようなご禁制品など使っていないよな?!」


「そんなもの使ってません。ですがしいて言うならば、これが博物学の力ですよ。はいよー!!」


 私は手綱を握り竜を走らせる。どこまでも続く地平線と青い空。心地よく吹く風と淡い日の光。とても気持ちがいい。これが騎竜の民の世界なのか!彼らはこんなにも美しい世界を知っているのだ。素晴らしい!一通りの動きをやった後私はアマリアのもとに戻ってきた。


「どうです?わたくしはタイクーンの妃をやれそうですかね?」


「…はい。問題ないと思う。ペピータ様」


 アマリアは悔しそうな。だけど感心したようにも見える顔でそう言った。私のことを認めてくれたらしい。人質花嫁生活の始まりとしてはいい滑り出しかもしれない。そう思えた。





 街に戻って竜の世話の方法を教わる。基本的には草原の放し飼いだが、たまに鱗をブラッシングしてやったり足の蹄鉄の様子を見てやったりする必要があるそうだ。私はメモを取りつつ、同時にスケッチブックでそれらの様子を描きとめていった。


「随分絵が上手いんだな。まるで写真みたいだ」


 アマリアは私のスケッチを見ながら感心している。博物学者としてスケッチすることは有利なスキルの一つだ。私はもともと絵心がないので必死に練習してここまでうまくなった。


「その絵がさっき言っていた博物学とやらなのか?」


「まあそのための資料ですね。新しく見つけた草とか虫とかをこうやってスケッチするんですよ。やっぱり絵が一番わかりやすいですからね」


「なるほど。だが一つ聞きたいのだが」


「なんですか?」


「なんでお前は竜の尻の穴をなんでそんなに熱心に書き写しているんだ?!」


 アマリアは顔を赤くしていた。私は今、竜のお尻をスケッチしていた。肛門や性器などを書き写している。竜も他の動物と変わるところはあまりないようだ。雄雌がいて、オスの方がやや大きい。もっぱら戦闘に駆り出されるのはオスの竜らしい。こういう知見は大事だ。あとで誰かに交配表なんかも見せてもらいたいものだ。


「博物学はすべてを明らかにする学問です。例外はありません」


「なんだこいつ。やばいよ。なんかおかしな女が嫁に来ちゃったよ」


 なんだかんだとアマリアとは上手くやっていけそうな気がしてきた。最初はここに来ることに気乗りはまったくしなかったが、こうしてみるとここには私の知らないことが沢山ある素敵な場所だ。ここに来て私は楽しいと思い始めていた。









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