第2話 草原の覇者

 沈黙が場を支配している。国王陛下は罪悪感に満ちた悲壮な顔を俯かせ、父上は逆に愉しく楽しくて仕方がなさそうな無邪気な笑みを浮かべている。


「いくつかお聞きしてもよろしいでしょうか?国王陛下」


 私がそう呼び掛けた時、国王陛下は少し体を震わせたように見えた。間違いなく怯えている。それ一体何に対してなのか。わかっている。タイクーン。騎竜の王に恐れているのだ。


「なにかな。なんでも答えるとも!ああ!君がこの結婚に納得できるように十分説明するとも!」


 説明責任以前に打診するとかできなかったんだろうか?いや、父上の様子を見るに、私の意思を尊重する気なんてないのだろう。まだ説明する気があるだけ国王陛下の方が誠実に見える。


「もしかしなくても我が国はもしかして存亡の危機にあるという認識でよろしいでしょうか?」


 私の問いに国王陛下は頷いた。


「もうガエウから聞いていると思うが、先に行われた北の国境での戦争は我が方の大敗だった。緘口令を布いているが、もしまたタイクーンの軍勢がこちらに攻めてきたら我が国の軍勢はろくに抵抗もできずに負けるだろう。国土のすべてを彼らの蹂躙されるのは火を見るよりも明らかだ」


 だからこその条約なのだろう。それを裏付けるためにこちらから人質兼嫁を出して相手に恭順の意を示す。


「ならばこそ疑問なのですが、なぜわたくしなのですか?たかが公爵家の娘ですよ?」


「だがナシメント家は王家の血を引いている。王位の継承権も遠いが持っている。家格は十分だ」


 国王陛下は必死に理を説いている。だけどそれは私には屁理屈にしか聞こえなかった。


「陛下にはわたくしと同い年くらいの娘がおられますよね?王女を輿入れさせる方がよいと素人ながらに愚考しますが?」


 普通こういうときって王族から嫁を出すものだと思うのだが。それが常識というものだろう。


「いやそれは…その…。そう!我が娘たちよりもペピータ!君の方が美しいからだ!国を代表する姫にふさわしいのは君しかいない!」


「くだらない世辞はいらないので、本音を言っていただけませんか?」


 私は意図して声を冷たくした。国王はうっと唸って俯く。


「できなかったのだ。すまない。相手が普通の国の王族や貴族相手なら私だって安心して政略結婚させられる。だが相手は騎竜の民の王なのだ。だめだった。父親としてそんなところに娘を送るなんてことは私にはできなかった。許してくれペピータ…」


「お辛いですね国王陛下。わかりますよ。嫁に送る相手を気にする親心。とくに父親にとっては目に入れても痛くない可愛い娘です。ええ、私にもわかりますとも」


 父上が俯いて涙を流す国王陛下の背中を優し気にさすっている。いや、何の茶番ですかこれ?国王陛下の気持ちがわかるというなら、その娘の私をなんでタイクーンのところに嫁に出せるの?父上の考えていることが全然わからない。


「すまないペピータ。国を守れるのはもう君しかいないのだ。恨んでくれてかまわない!だがこの結婚は君にしか務まらない大事な任務なのだ。お国のために嫁に行ってはくれないだろうか…この通りだ」


 国王は椅子から降りて、床に土下座し始める。その光景にドン引きだった。一国の王が私のような小娘にこのように頭を下げなきゃいけないような状況にある。この国はもう存亡の瀬戸際にいるのだ。


「ペピータ。不本意だろうが、このように男が国を守るため民を守るために頭を下げているのだ。私は男のプライドを傷つけ侮辱するような女にお前を育てた覚えはないぞ。さあ潔く覚悟を決めろ」


 父上は土下座している国王を見ながらニチャニチャと笑みを浮かべている。この男の考えていることがよくわからない。だけど一つだけわかることがある。この結婚を断るという選択肢は私にはないということだ。


「一つだけお願いがあるのですが」


「何でも言ってくれ!希望には何なりと応えるとも」


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃな国王が顔をあげた。私が結婚を受け入れたから安どの笑みを浮かべている。


「タイクーンのところへ行っても博物学は続けたいので、そのように取り計らってください」


「わかった!そのように取り計らう!他にはなにかあるかね?!」


 国王の必死さが痛い。これ以上この人と話したくなかった。


「いえ。それ以外は特に。はぁ…政略結婚くらい覚悟してたのに、なんなんですかこれは…もう…」


 私にはもうため息を吐く以外に出来ることはなかった。そして私は草原の王に輿入れすることが決まってしまったのである。












 それからしばらくして様々な嫁入り準備を行う慌ただしい日々が過ぎて行った。私の準備がすべて整った後、私は自分の書斎で一人思い出を反芻していた。書斎には虫や植物の標本が飾られている。机には論文や専門書が山積みになっている。私はここでずっと学問を楽しんでいた。それは孤独な時間だったかもしれないけど、虚しいものではなくむしろとても豊かな時間だったのだ。


「さようなら。わたくしはあなたたちのお陰で幸せでした」


 書斎に向かってそう言って、私は部屋を出てドアを閉めた。


「ううぅっ…あぁ…」


 私はドアに額をつけて涙を流す。もうここには帰れない。その事実が否応なく私を打ちのめした。そして輿入れのために私は北の草原に向かって旅立ったのだ。 







 本来なら輿入れするときはそれなりに色々な儀式をこなしていくものだろう。両家が顔を合わせたり、教会で式をあげたり、披露宴をしたり、姑に嫌味を言われたり。etcetc。だけど今回はそういうもののスケジュールが全く決まっていなかった。父上曰く。『アドリブ』。だそうだ。なぜならばまずは条約の調印から行うからだ。条約の締結後に私はタイクーンに引き渡される予定になっている。結婚式だとか披露宴だとかは向こうが仕切ることになるというのが父上の見立てだった。軍の護衛の下、北の草原に向かう途中で馬車の中からとある村をみた。そこは国境から近い丘陵地帯にある村だった。草原とは地続きであり何の障害物となる地形はない。だからこそ。


「これはひどいですね…」


 私は口にハンカチを当てて馬車の中から村の様子を見た。そこにはまさに地獄と呼ぶにふさわしい惨状が広がっている。戦って殺されたであろう男たちの死体。慰みものにされて惨殺された女たちの死体。そしてろくに抵抗もできずに斬り捨てられた子供たちの死体。それだけではない。村の穀物庫は空っぽになっているし、家々も略奪にあったような痕跡が残されている。


「私たちにとっては彼らとの戦いは戦争だ。だが彼らにとっては、そうだな、例えるならば狩りや収穫の感覚なのだろうな」


 私の目の前に座る父はこの惨状の光景の中でも顔色一つ変えていなかった。


「この村がこのように滅ぼされたのは王国が彼らに負けたからだ。そう。これがお前がタイクーンに嫁入りしなかったときの王国の未来そのものだよ」


「わざわざそんなことを言わなくてもわかっていますよ。ええ、男の父上たちが戦に負けてしまったから女のわたくしが尻拭いして差し上げろということでしょう?」


「ほう。言うじゃないか。くくく」


 父上は楽しそうに笑っている。この人の考えていることが全く分からない。世間的に見ればこの人は娘には甘い父親だったと思う。私のヘンテコな趣味を許容してくれていたし、嫌な顔せずに私の博物学の話も聞いてくれていた。いや、今更気がついた。私は娘としてこの人に甘えるだけで、その中身をまるで見てはいなかったのだ。だから何を考えているのか今更になって全く分からない。私が嫁に行ってわんわんと泣くような人ならよかったのに。父はそんな普通の幸せをきっと見ていない。そう確信してしまった。








 条約の調印場所は草原と丘陵地帯のちょうど間だった。そこらへんにちょっと大きめの岩がゴロゴロしている。


「ここが先に行われた戦争の戦場でね。一応岩を並べて騎竜の突撃を防げるか試したんだけど、だめだったんだよねぇ」


 父上がのほほんとそう解説してくれた。とにもかくにも強大な敵であることはわかった。


「ナシメント公爵。ちょっとよろしいでしょうか?」


 私たち親子に声をかけてくるものがいた。それは王太子だった。煌びやかな鎧姿でどこか神妙な顔をしている。この間のヘラヘラした様子とは全く違う。


「何だい王太子殿下?」


「ペピータと二人で話をさせていただきたい」


 王太子は私のことをとても真剣な瞳で見つめている。それには昔の凛々しさを少しだけ感じた。


「ふーん。まあいいけど。でもね。はぁ。わざわざ父親の許可を取るだなんてねぇ。ダサいなぁ」


 父上はどこか失望したよな顔で、私を置いて離れていった。この場には私と王太子ループレヒトだけが残された。


「そのドレスよく似合っている。…今まで見た中で今日のお前が一番美しく見えるよペピータ」


「…ありがとうございます殿下」


 褒められて嬉しくないと言えば噓になる。だけどこんなタイミングでなぜそんなことを言ってくるのだろう。


「今回の結婚お前はどう思っている?」


 何もかもが。


「それをわたくしに聞きますか?このわたくしに?」


 もう遅いのだ。


「俺は納得いっていない。確かに戦争には負けたが、たかが局地戦の一回だ!次にやれば今度は勝てるはずだ!」


「そうですか。殿下は諦めてはいないのですね」


 私はとうの昔に諦めた。


「ああ、今は態勢を立て直すべき時だ。しかるのちに奴らに俺は反撃してみせる!」


 足掻こうとする意志は否定しない。だけど。


「だからペピータ。俺を選べ」


 私を巻き込むのだけはやめて欲しい。


「選べ?選べですって?ふっは!ははは!あははははは!」


 私はその言葉の傲慢さに思わず笑ってしまった。


「何が可笑しいんだペピータ。やっぱり本当はこの結婚が怖いんのか?だから様子がおかしいんだな」


「違います。可笑しいから笑っているんです。だってここに来ることをわたくしは別に選んでいないのです」


「そうだろう?お前の意に反した結婚だ。だから俺の手を取るんだ。こんな結婚は俺がぶち壊して見せる!」


 壊せるものなら壊すがいい。そうしたら私はあなたのものになってもいい。


「ですがね殿下。わたくしはあなたのことだって別に選んでなどいないのですよ。わたくしは何も選んでいません。なにも。なにもです」


 運命は私を選んだようだが、私は何も選んではいないのだ。


「だからわたくしに選べなどといまさら言うな!押しつけるな。あなたは本当はタイクーンが怖いからわたくしを巻き込みたいだけでしょう?」


 私は何も選ぶ気はない。今はただ運命の行く先だけを見てみたい。何かを選ぶのは義務を果たしてからだ。


「あなたはわたくしが選んであげなければ、ご自分の屈辱への報復も成せない腰抜けの情けない男です。わたくしはそんな男の手を握ることは決してないのです」


 私はありったけの憎悪を込めてループレヒトを睨む。彼はたじろぐ。私が誰かを睨むところなんて彼は想像さえもしたことがなかっただろうから。


「わたくしは嫁入り前の身です。他所の殿方と同じところにいてよくない噂を立てられるのはごめんこうむります。我が貞操はタイクーン・アーキスの者です。お引き取りを」


 私はその場でカーテシーする。ループレヒトはしばらく唸っていたが、肩を落として背を向けて私から離れていった。そしてしばらくして大地が揺れる音がした。


『『『GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!GOOOOOOAOOOO!!』』』


 とても大きな咆哮が草原の向こうから聞こえてくる。そして地平線の向こうから竜の軍勢が現れた。


「どうだいペピータ。私が言った通りだろう?」


 いつの間にか父上がそばにやってきていた。


「獰猛で勇敢でなによりも麗しき騎竜の軍勢」


 竜の軍勢は私たちの近くまで来て停止する。一部の兵士たちが下りてきてこちら側にやってくる。兵士たちみんなが赤い髪の毛に赤い瞳、そして雪のように白い肌をしていた。おそらくそれが騎竜の民の人種的特徴なのだろう。煌びやかな鎧を着た一人の男がこちらに近づいてきた。精鍛な顔つきでどこかインテリのような雰囲気がある。


「私はタイクーン・アーキスの第一の臣!ニコラオスの第三子であるフィロメロス!!」


「これはこれは!よくぞお越しいただきました!私は此度の条約締結会議の全権特命大使のガエウ・ナシメントです!どうぞよろしくお願いいたします」


 父上はフィロメロスと名乗った男の前に立ち、手を差し出す。フィロメロスは差し出された手を最初怪訝そうな目で見ていた。だが彼も手を出して、父上と握手を交わした。そして父上が後ろの王国の使節団に合図を送る。するとこちらの兵士たちが大きな円卓と椅子を運んできた。


「本来ならばプロトコール外交儀礼をすり合わせたかったのですが、時間がなかったので、今回の会議はこれに座って話し合うということでよろしいでしょうか?」


「ええ、そうですね。まあ我々とあなた方では文化も慣例も違いすぎます。構いませんよ。我らのタイクーンはあまり格式ばったものはお好きではありませんしね。ではこちらはタイクーンをお呼びいたします。しばしお待ちを」


 フィロメロスは近くの側近に話しかけた。おそらくは伝令だろう。そして伝令が軍勢に戻ってからすぐに一体の竜が円卓に向かって走ってきた。それはとても美しい竜だった。他の竜は緑っぽい地味な色なのに、その竜は白銀の鱗に覆われており日の光を淡く反射して輝いて見えたのだ。そして白銀の竜は円卓の傍に停まり、その背中から男が下りてきた。白銀の鎧を纏った男は兜を脱いだ。その時少し驚いた。その男の髪は赤くなかった。艶やかで長い白銀の髪の毛だった。だけど瞳は赤い。そしてその容貌は今まで見たことがない程美しかった。どこか繊細そうな面影に神秘的な雰囲気を纏っている。初めてだ。男の顔を見てため息を吐いてしまったのは。男は円卓に着いた。それに続いてフィロメロスも白銀の男の隣に座った。


「はじめまして。俺がタイクーン。諱はアーキス。よろしく」


 簡素な挨拶なのに、すさまじい圧を感じる。同時に酔ってしまいそうなカリスマもだった。彼こそが草原の覇者。タイクーン・アーキス!!私にはこの時、歴史の歯車がかちりと廻った音が聞こえたような気がしたのだ。




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