Track4 ソフトリ―、アズ・イン・ア・モーニング・サンライズ

 おれは、とつぜん眼が覚めた。


枕もとのONKYOのオーディオアンプを見る。デジタルで「05:03」と表示されていた。1月の窓の外は、まだ暗い。


ジャズバーでのライブが終わって家に帰って寝たのは、確か……午前三時ごろだった気がする。

つまり2時間ぐらいしか眠れなかったようだ。


 演奏の疲労で体は疲れきっていたが、悪い夢を見てしまった……。


それは世界の底が抜けてどこにも行けず、ただ暗い沼に飲み込まれ、もがき続けるような夢だった。



 昨日のライブはさんざんな出来だった。


鴫田しぎたさんのソロにはついて行けず、マスターのベースに放っていかれ……挙句、3ステージ目ラストの曲では途中で”迷子”になってしまい……演奏を途中で止めてしまった。


 全てのライブが終わった俺はいつもより多くの汗をかいていたが……その大半が冷汗だった。


ドラム演奏中の試行錯誤の表れか……腹と左足の筋肉がキリキリと痛む。


 カウンターの中に入ったマスターは咥えタバコのまま、おれを睨みつける。60歳を超えたマスターの顔は皺が多かったが、しかしその眼の中には確かな闘志がうかがえた。


「2ステージ目までは良かった。

アオイのコンディションは最悪やったけど、ぎりぎり及第点はやれるわ。

せやけど……3ステージ目の”黒いオルフェ”のアレは……なんなんや?」


 嫌な汗で濡れた首回りを、バーのおしぼりで拭く。


「”黒いオルフェ”のアレ……。

16ビートのことすか?」


「そや。テーマの最後にお前がやった16ビートのことや」


(※16ビート=主にロックなどで使われるノリの良いドラムのビート)


「おかしかったすか?」


「アホか。なにボケかましてるねん。

おかしいに決まってるやろ。

 ボサノバの”黒いオルフェ”のアウトロが、なんで急に16ビートになるんや。」


 マスターは咥えタバコを灰皿に押し付けて消し、しかしすぐに2本目に火を付けた。二人の間に両切りピースの煙が充満する。


 俺が”黒いオルフェ”の最後に16ビートを演奏したのには、一応理由はあった。


ボサノバの最後で16ビートになるアメリカのドラマーの演奏を、ビデオで見たことがあったからだ。


まあでもあの映像の曲は……暗めな雰囲気の”黒いオルフェ”では無く、ノリの良いアップテンポの”ブルー・ボッサ”だったけど……。


 ここで、おれの横でロックグラスを煽っていた鴫田しぎたさんが、会話に割って入る。


「まあ……俺も『アオイはマジでアホだな』って笑いそうになるぐらいだった」


 そう言いながら鴫田さんは、ごわごわした顎髭を触りながらも肩を揺らして笑う。そしてひとりごとを付け加える。「笑いを堪えて演奏するのマジで大変だったな」


 その所為でマスターの顔がさらに不機嫌になった。


「笑ってる場合ちゃうやろ、鴫田。不調のアオイを、ピアノで変に焚きつけるな」


「それは……アオイがいつに増して辛気臭い顔してるから、燃料を投下してやろうと思ったんだ。

でもそれがまさか……16ビートになっちまうだなんて……ははは」


「『ははは』ちゃうやろ。客がおるんやで。

一応うちは雰囲気重視のバーなんや。急にロックみたいな演奏しやがって……。

 俺の店が潰れたら、どないしてくれる気や」


「でも俺がみるに……前に座っていた30歳ぐらいの客は意外とノッてたように見えたぜ?

なんていうか、最近流行りのJ-popぽかったし……

 ダンスミュージックの……何て言うヤツだったけ……ええっと……

タケダテツヤ?」 


 と言いながら鴫田さんはニヤ付いた顔で俺を見る。


 だから俺は、仕方なく鴫田さんのボケにつっこむ。


「武田鉄矢じゃ無く、”小室哲哉”……じゃないすか?

 ていうか……もう流行ってないんですけど……」


 そんな俺たちの会話を無視して手元のグラスを磨いていたマスターは、「説教は言いたくないんやが……」とつぶやきながら、俺を睨んだ。


「アオイ……お前のドラムはもう、プロレベルや。

まあ……俺のベースにはちょっと及ばんけど……お前がこのシケたバーを出て東京行ったら、一線級のミュージシャンを目指せられるかもしれへん。

 せやけど絶対に忘れたらあかんのが……」


 そこでマスターは言葉をいったん切り、顔を上げる。俺の眼を真正面から睨みつける。


その視線には、殺意のような物が灯っていた。


「アオイ。お前が忘れたらあかんのは……40歳までがミュージシャンの技術のピークってことや。

その後は腕もセンスも落ちる」


 それを聞いた鴫田さんは、表情は笑ったままだったが……黙って俯き、ロックグラスのウイスキーをおもむろに煽った。


 一方でマスターは話を続ける。


「20代ならまだ”勢い”だけで売れるかもしれへんけど……でも年取ったら別や。

 40歳になって今日みたいな場にそぐわない演奏してたら、客が離れる。そうしたら、仕事が無くなる。飯が食えなくなる。

 せやから……お前らの世代の言葉で言うなら……演奏中は必死で『空気読め』って事や。

客、雇い主、セッション相手……すべての『空気』を読めないとあかん。

一流の腕があっても『空気』を読めずにミュージシャンを脱落する奴はよくおるけど、俺らは仕事が無くなった後は、なんの保証も無い。

 だから俺らは、永遠に楽器の腕を磨きながら空気を読み続けないとあかんのや。

空気を読みながら毎日命を削って本気の演奏をし続けることが、ジャズミュージシャンが”音楽家”として生き残る道や」

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