Track2 ナイト・イン・チュニジア

 私は彼の手元を見て呆れる。


「それ……ウイスキーの水割りでしょ?

 そんなところにリードを突っ込むなんて……マジで信じらんない」


 私が言ったとおり、ぼさぼさロン毛の彼はリード(※サックスの吹き口に装着する葦でできた部品)を、水割りが入ったグラスの中に浮かべていた。


長くて硬い髪の毛をわしゃわしゃとかきむしりながら、さとるは言う。


「水とかじゃなくてさ?

”ニッカ”が一番良いんだよ」


「ニッカ?」


「ニッカウィスキーを吸ったリードが、一番鳴るんだ」


 私はさらに呆れる。


「ニッカウィスキー……って。

さとる……あなた、リードに吸わせるウイスキーの銘柄まで決めてるの?」


「見てみろよ?七緒なお?」


そう言いながらさとるは、ウイスキーが入ったコップの中からリードを取り出す。氷が解けてほぼ無色になった水割りが、リードから滴った。


「リードの先がさ?ニッカを吸ってシュッとして見えるだろ?

こういうリードが一番、鳴るんだ」


 さとるの視線を追ってリードの先を眺めたけれど、彼が言うように「シュッ」としているかどうかは判別がつかなかった。


「気の持ちようじゃない?」とは思ったけれど、さとるの表情があまりに真剣だったので真っ向から否定はしない。


「……言われてみればそんな気もするかな?」


 黒髪の間からでもはっきりと存在感がある大きな瞳でリードを捉えたまま、覚は話を変える。


「今日の一曲目は、“チュニジアの夜“だ。

七緒がピアノで最初に入ってくれ。ルバート(※テンポに縛られない即興演奏)でたのむ」


「チュニジアの夜を……ルバートで?」


 私は思わず、おうむ返しした。


 チェニジアの夜は、ラテンとジャズが組みあわさった曲で、特徴的なリズムの印象とノリが強い曲だ。


ルバートでやるプレイヤーが居ないわけでは無いけど、珍しい。


 私の一瞬のとまどいを察した覚は、リードから目を離さず聞く。


「できないのか?」


「できるけど。でも、どんな感じで?」


「最初は流れるようにスケールを繋いで、ゆっくりと”ラテンの景色“を描く」


「スケールで、景色を……描く」


「そうだ。ブラジルっぽい、カラフルな景色を描く。

 そして徐々にテンポを作る。精巧な……バッハの小フーガとか……そんな感じだ」


「ブラジルのルバートから……バッハ?」


「テンポ130ぐらいで”バッハ“を続ける、そして客がノって来た時に……ブレイク(停止)しろ」


「バッハから……ブレイクしちゃうの?」


「ああ。ブレイクだ。

 ブレイクは……7小節と半分にする」


「7小節と半分も!?

 長くない!?」


 覚はここでにやりと笑う。


「客もそう思うだろ?

 長くないか?ライブが終わったのか?

……ってさ?

 だから良いんだ。

7小節と半分、完全に停止する」


 思わず身を乗り出して私は聞いてしまう。


「それで……その後はどうするの?」


「その後?

ブレイクの後の事か?

 決まってるだろ?……」


 そういった覚は、アルトサックスのストラップを首にかける。


覚のアルトサックスが、薄暗いバーの間接照明を反射して鈍く光った。


「俺のアルトサックスが、客を一気に惹きつける。

『俺はここで叫んでるよ』……って言ってな?」


 



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