第35話 死地からの脱出 オーストラリアンミストの献身(6)

EXTRA EPISODE 「隠密猫ホクサイの冒険」


 私はホクサイ。飼い主様によれば猫種は『オーストラリアンミスト』。よくわかりませんがこの淡くて細かいキャラメル色の模様が霧のように見えることで『ミスト』の名称をいただいたようです。


 ニンゲンの飼い主様はもちろん大切なのですが、私にはもっと大切なあるじがおります。

 その昔、隣町の猫との抗争で危うく命を失いかけたとき、助けていただいたレオナルドさんです。詳しいことは省きますが、私の命の恩猫なのです。


 そのレオさんですが、本日はまったくの不機嫌です。

「おい、ホクサイ」


「はっ、何でしょうか」


「俺は今夜ガンツのとこのチビを攫ってくる役割だそうだ」


「…」


 私が黙っているとレオさんが嫌そうな顔で言います。

「お前な」


「はい」


「チャイムの頃にガンツに知らせろ。南の森でチビがピンチだってな」


 チャイムというのは夕方の合図のことです。

 予定としては…まあ動けそうです。


 ただしこれはボッツ様の命令からは外れることです。心配ですね。

「レオさん、大丈夫ですか…」


「気に食わんのだ」


 レオさんは誇り高い猫なのです。わかります。しかし私は返事ができませんでした。

「…」


「子猫攫いなんてまっぴらだ」


 そういうなら私もそれについていきましょう。ボッツ様に逆らうことになっても。

「わかりました。伝えてきます」




 私はいったん市庁舎に戻ることに決めました。私が市長の飼い猫だというのはここの所員誰もが知っているので顔パスです。


 飼い主のツボイ市長様が執務室で私を抱き上げてくれました。

「なあ、ホクサイ。どうしたらいい。猫の保護にもっと力を入れたいけれど、なかなかそこまで手が回らないのだ。『殺処分ゼロの街』はまだ遠いなあ」


 何を仰っているのかはよくわかりませんが、大変高邁こうまいな信念をお持ちなことは察せられます。

 こちらの主も悩んでおられるようです。お二人とも高潔なのです。


 …とはいえ飼い主にも恵まれた私であります。志の高い飼い主と人情味のあるボス猫、ツボイ市長とレオさんに仕えられて私は幸せです。




 飼い主に顔を見せた後、私はいよいよ『もうひとつの顔』になります。それは『隠密猫の技を継ぐ者』であります。


 夕闇の中、私は若干じゃっかん身体の色を変化させます。この暗めの体色ならトワイライトの中で動き回っても目立たないでしょう。素早くブロック塀の上に登り、足音と体臭を消しながら駆けていきます。



 数分でガンツのねぐら近くの路地前へ着きました。だいぶ暗くなってきたので体毛の色をもう一段濃いものに変化させます。


 耳を澄ませると微かに南の森の方に喧噪けんそうが聞こえます。そろそろレオさんの嫌いな猫攫い作戦が始まるのでしょう。


 そっとねぐらの方を覗くとガンツとセージがいました。好都合です。


 チャイムと同時に工場の裏からねぐらに回り、声を出します。この声はガンツ達には逆方向から聞こえているように感じるはずです。


「ガンツ、フールがピンチだ」


 ガバッとガンツとセージが身を起こしました。


「誰だ!」


「南の森に行け。できるだけ大勢の猫に助けを求めろ。相手は多勢たぜいだ」


「誰だ!誰なんだ!」

 まるで逆の方向の壁に向かってガンツが怒鳴っています。


「ふーむ。これは…忍法『猫だまし』ですね」

 セージが見抜きました。なかなか手強いですね。


 私は用心のために一度自分の位置を変え、今度は材木の中から声が聞こえてくるように話します。


「ボッツも来る。お前らだけでは助けられない。いいな、数を集めろ。これは罠ではない」


「本当だと証明できるか」


「嘘だと思うならそれでいい。私にお前の娘を助ける理由はない」

 それだけ言うと、素早くその場を離れました。しかし数メートル先でもう一度、塀に向かって声を出します。


「急げよ。時間がない」


 この声はまだ私がそこにとどまっているかのように聞こえるはずです。うまくいっているようですね。ガンツもセージも塀の方を睨みつけたままです。


 後は知りません。私はあるじ、レオナルドのめいを果たしただけです。少しだけサービス過剰になりましたが。


 フールと言いましたか、あのチビ猫。あれは守るべきだと私も思うのです。あの公園で見た不思議な光…。



 まず体毛や目を元の色に戻し、緊張感を身体から抜いて、私はまだ灯りの灯る市庁舎の裏口に回ります。

「ナア~」と鳴きますと、守衛は私を知っていますのでドアを開けて中に入れてくれました。

 市長執務室までヒョイヒョイと駆け、専用の入り口から入室します。


「おお、ホクサイ。どこに行ってたんだ。私もそろそろ退庁しようとしていたところだ」


 やれやれ間に合ったようです。

 ご主人様、ツボイ様はニンゲン界では市長という役柄だそうです。偉大なのです。

 …偉大なのですが、ここのところ何だか元気がないのが気がかりです。体調が優れないのなら、とっとと退庁して休養をとってほしいと思います。うまいことを言いました。


 市長の車に乗り込んで帰宅の途につきました。そっと南の森を振り返ります。耳の機能を強めると猫たちの喧噪が確かに聞こえますね。


 私自身はこの抗争に何の興味もありません。正直ボッツ様にも大して関心はないのです。

 ただただレオナルドさんのため、そして飼い主のツボイ市長のために働きます。


 はっ?『隠密猫の家系』ですか。それについては鎌倉時代から引き継ぐ秘密ですが、いつか語る日もあるでしょう。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る