第32話 死地からの脱出 オーストラリアンミストの献身(3)
「道を空けろ!」
「ボッツ様のご降臨である!」
そんな声がする。先ほどの縮れ毛猫モネ…猫種はラムキンという珍しい猫だと思う。全身が縮れた小柄な猫だが、目つきが半眼で恐ろしく鋭い。多分、ボッツの側近ということだろう。長くてカールしたシッポを振りながら、家猫軍団を仕切っている。
家猫たちはススッと道を空けるように後ずさりした。
例の毛並みがザワリとする感覚がして、向こうから大きなロシアン・ブルーが姿を現す。
「ボッツ様!」「新しい猫の神!」「ボッツ様!」
家猫たちの目つきが明らかにおかしい。
『狂信者』という言葉が私の頭に浮かぶ。この数ヶ月でボッツは家猫たちの心をつかんだということか。
…猫神様の話からすると、猫たちの信心を集めれば集めるほどその力が強大になるはずだ。だとすると今のボッツの力は前に公園で見た時よりもずっと強くなっている。
ボッツが野良猫たちの前に立つ。乱闘していた猫たち家猫野良猫の両方が息を飲んで魔王を見る。シンとした中でボッツが例によってうなり声をあげる。
「グワアアアアアアアッ!」
その声だけで金縛りにあったように最前列の野良猫たちが硬直した。
先頭の猫が泡を吹いて倒れる。そこをボッツは構わず進み、下も見ないで乱暴に踏みつけた。
野良猫だけでなく周囲の飼い猫さえもゴクリと喉を鳴らして動かない。
「グエエッ」
踏まれた猫の口から血が出てきた。明らかに大怪我だ。
私は見ていられず、ポンタの背中に隠れる。ポンタも私をかばうように身体の位置を変えた。
「ボッツ、お前は猫の世界の大切な掟を破った」
いつのまにか駆けつけた野良猫のボス、ドブがボッツの前に青い顔で立ち塞がる。さすがの度胸だ。
ボッツはドブを前にしても、その言葉を聞いてもまったくの無表情だ。さすがに家猫たちも引き気味になっている。縮れ毛モネを中心とした狂信者猫集団以外は。
「シャッ!」
ボッツは一声発するとドブに向かい、右の前足を上から下へ袈裟斬りに振った。
「うおっ!」
ドブは避けようとして避けられず、胸から腹にかけて大きく傷をつけられた。血しぶきが舞う。
「ウググ、やはりお前はこの世にいちゃあいけねえ猫だ。お前だけは許さん!」
そう呻くと体格にまかせてボッツに突進した。
「ドブ、よせ!」
ガンツが叫んだが、ドブはそのままボッツに体当たりをする。
ボッツも初めて立ち上がってそれを受け止めた。
家猫と野良猫のボス同士が正面から衝突したが、ボッツは一歩も後ろへ下がらない。
一瞬止まった2匹。しかしドブがそのままズルリと前へ崩れ、頭から地面に倒れた。
ドブの耳からドクドクと大量の血が流れている。
「ドブ!」
もっとも仲の良かったトンカツが走り寄って、ボッツの前に立ちはだかろうとする。しかしボッツがさらに前足を一閃すると、トンカツも口から血を吐いて後ろに吹っ飛んだ。
どの猫も顔色をなくしていたが、モネが大声で褒め称えた。
「ボッツ様!新しい猫神様だ!見よ!これが新しい猫の神様の姿だ!」
「黙れええええっ!」
初めてボッツが言葉を発し、モネに裏拳を当てた。モネが一発で鼻血を出して昏倒する。
どういうことだろう。ボッツはすでに見境いなく周りの猫をすべて傷つけている。
ボッツ自身も壊れかけているかのようだ。
立ち上がったモネが鼻血をダラダラと流しながらも、さらに魔王ボッツを後ろから追い、声をかける。
「ボッツ様に道を空けよ。猫神様のお通りである!道を空けよ!」
ボッツがどこに向かっているかというと…やっぱり私のところらしい。表情のない緑色の目がこちらを真っ直ぐ捉えている。
距離はまだ数メートルあるが、私は初めてボッツの正面に立った。
何故だろう。確かに怖いが意外なことに不思議な懐かしさを感じるのだ。
(ボッツは私の一部だ。私もボッツの一部だ…)
フラフラとボッツの側に近づきそうになる自分を必死で制する。その時誰かの声が心の中に響いた。
(助けて…フール…助けて)
私は声の主を探して周りをキョロキョロと見回す。…わかった。
声は目の前にいるボッツだ。ボッツが私に助けを求めている。
何か私の様子がおかしくなっているのにガンツが気づいた。
「ポンタ!フールをここから逃がせ!早く!」
すぐさまポンタが私を背中に抱えて北側に全速力で走る。
抱えられつつ振り向くと、ボッツの前にはガンツが立ち塞がっている。
何かボーッとしていた私は初めてガンツの身に考えが及ぶ。
ガンツが、父さんが危ない!
「ガンツーッ!」
いかにガンツでも相手が悪すぎる。猫を滅ぼす力を持った魔王ボッツは多分無敵の存在だ。
「ポンタ!駄目だよ!ガンツが死んじゃう!」
私の叫びにポンタは失踪しながら答える。
「お前を助けるためにガンツは来たんだ。戻ったら無駄になる!」
だがすぐにポンタが急ブレーキをかけてそこで止まる。
「…ポンタ?」
「ちぇっ、今夜はどうも家猫総動員らしいな」
ポンタが道の真ん中に立って周りを見渡した。行き先のあちこちの路地から家猫たちが2匹、3匹と出てくる。
「前は家猫の集団、戻るとボッツか。まだこいつらと戦う方がマシかな」
ポンタがブロック塀を背後にして私をかばう姿勢をとった。
どうしたら…シッポが使えなきゃ私はホントの足手まといなんだ。泣けてくる。
「ポンタ、チビはもらってくぜ」
家猫たちが包囲の輪を狭めてポンタににじり寄った。
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