第31話 死地からの脱出 オーストラリアンミストの献身(2)

「ボッツが来た」


 私の声はたぶん震えていただろう。


「仕方ないな」

 ポンタが思い切りよく立ち上がり、周りの野良猫たちに声をかける。

「まずいぞ。イチかバチか、北側へ逃げよう!」


 トンカツも呼応する。

「よし、わかった。俺たちが援護する、お前はフールを守れ」


 どうやらみんなで私を守ってくれる態勢のようだ。申し訳ない。

 私たち7匹の猫が一斉に茂みから出て、北側に走った。


 そこにはレオの一群10数匹が待ち伏せしていて、森の出口に立ち塞がった。

 昼間私たちを路地で襲ったあの黒猫…たぶんボンベイという猫種だと思われるが、あいつも一緒だ。


「ポンタ、そこにチビを置いてお前達は帰れ」


 レオが忠告をするが、ポンタはギッと睨んだ。

「そう言われて、その通りにすると思ってんのか」


「…そりゃそうだ。ちっ、嫌な仕事だな」


 レオが何かをブツブツ言っている。

 家猫と野良猫合わせて20匹が睨み合う。

 私はガタガタ震えながら、ポンタの背中にしがみついていた。


 トンカツがレオに声をかける。

「何だ、レオ。家猫一の猛者もさと言われたお前が『チビ猫攫い』か。堕ちるところまで堕ちたな」


 レオがゆっくりとトンカツに目を向けて、本当に嫌そうな表情を浮かべた。

「同感だ。トンカツ」


 ハアと息を吐き、身体の力を緩めた。

「俺は止めた」

 そう言ってレオは茂みの横に座り、道を空けた。


 黒猫が目を丸くしてレオを咎める。

「レオさん、何してんですか。ボッツ様の命令ですよ」


「ふん。知らんよ。チビ猫攫いを命令する神様がいるもんか」


 レオが言い放ち、周りの家猫たちがどうしたものかと動揺する。


「レオさん、まずいですって」


「いいから、やりたい奴だけでやれ。俺は子猫の誘拐なんてやらん」


「レオさん!」


「うるせえぞ、カラ。俺に指図するな」


 『カラ』と呼ばれた黒猫ボンベイが一度私たちを見てから、レオをキッと睨む。

「レオさん、いいんですね。野良猫側に寝返ったということで」


「ふむ、そういうことならそれでもいいな。だがな、俺は野良猫の味方じゃねえ。チビ猫攫いの敵だ」


 そう言うやいなや、前足を一閃する。


「フギャア!」

 カラが顔を押さえて倒れ込んだ。


 固唾を飲んで成り行きを見ている間に、森の奥から大勢の猫がやってくる気配がした。


「くそっ!後ろからも来たな」

 トンカツが振り向く。


 後方からまず5匹の家猫が走って現れた。数からいって先発隊だろう。


「レオさん。いや、レオ。どういうことですかね」


 その場の様子を見て、グループの中心にいる縮れた長毛の猫が声を出した。この猫たちは…


 今までの家猫の殺気とは違う。本気で私たちを殺そうとしているかのような殺伐とした雰囲気だ。今までの夜の公園の戦いが、のどかに感じられるレベルといっていい。


 レオがしらけた顔でその縮れ毛猫を見る。

「モネ、お前らのその雰囲気も気にくわねえな。この街の猫はおかしくなってるぞ」


 レオの言葉の通りだ。何かに洗脳されているかのようなイッた目の猫達がこちらを見ている。


「ポンタ…」

 私は恐怖で手足をすくませながらポンタにきつくしがみつく。


「フール、安心しろ。お前だけは俺が死んでも守ってやる」


 ポンタは私は人間だった年月を含めても、一番勇敢で誠実な男の子だ。


 「…!」


 私だって頑張るよ!私はあまり調子が良くないシッポをパタパタ振って、後方の家猫たちに送る。


(あっち行け・あっち行け・どっかに行け…)


 どういうことだろう。まったくといって手応えがない。光が浮いてくる気配さえない。


「ウフフフフ。ボッツ様の仰ったとおりですぞ。見なさい、あのチビ猫のシッポ。満月の夜には何の力もないです」


 縮れ毛猫モネが勝ち誇って周りの猫たちに言った。


 …そうだったのか。うかつだった。私とボッツの力は『愚者』と『賢者』。癒やしの力と滅びの力、ボッツが太陽に弱いのなら、私の力は月の光で弱まるのだ。気がつかなかった。猫神様からはヒントをもらっていたのに。


 ボッツは気がついていたんだ。今夜が満月の夜だということも。

 その間にもさらに家猫たちの数が増え、私たちは取り囲まれている。


「ごめん、ポンタ。これはいよいよ最悪の状況かも」


 私の声にポンタは前方をにらみながら、応える。

「あきらめるな、フール。俺には聞こえるぞ」


 何が聞こえるのか。私も耳を澄ます。

「聞こえる!ガンツ達の声だ!」


 縮れ毛モネたちも顔を上げ、声のする方を見た。 


 そこにガンツが叫びが聞こえる。

「フール!フール!今行くぞ!フール!」


 私はこんな状況なのに、うれしい涙が止まらなくなってしまった。

 今ではガンツは本当に私の父親なんだ。私も声の限り叫んだ。

「ガンツーーーッ!助けてーーーーーッ!父さーーーーん!ガンツー!」


 モネがムスッと顔を顰め、レオを睨んだ。

「レオ、あなたがグズグズしてるから、野良猫の応援が来たじゃないですか。このことはボッツ様に報告しますからね」


 縮れ毛モネがレオに向かって言うが、レオはソッポを向いたままだ。


 やがて前方にガンツだけでなく、大勢の野良猫たちが現れる。

「こっちの森は俺たちの縄張りだぞ!」


「やっちまえ!」


 家猫と野良猫総勢50匹を越える大乱戦となった。

 見た目にはどっちが家猫でどっちが野良かわからない。

 野良猫たちが口々に叫んでいる


「お前ら、猫神様の掟を破ったな。どうなるか判ってんのか」


「天罰が下るぞ」


「この罰当たりが!」


  乱戦の中、ひときわ大柄な猫が敵をかき分けて私に近づく。

 ガンツだ!ずっと私を近くで守って奮戦していたポンタの肩の力が抜けていくのが判った。


「ガンツーーーッ!」


 私が叫ぶとガンツが援軍の到着でひるむ黒猫をバシッと前足ではたき、道を空けさせた。

 私は一目散にガンツのところへ駆け寄る。ガンツも全力で私に近寄って思い切り抱き寄せた。


「ガンツ!父さん!怖かった」


「よかった、フール」


 ポンタもホッとした表情で私とガンツの横に立った。

 家猫たちがそのガンツの勢いにたじろいで顔を見合わせている。


 だが私たちはまだ判っていなかった。

 家猫たちの包囲網はもうひとつ外側に広がっており、東側からボッツがゆっくりと近づいていたのだった。

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