第28話 迷いの森とオシキャットの憤怒(4)

 山田家で私は蕗の両親に会うことはしなかった。もし顔を見たら私はあの家から離れられなくなるような気がしたからだ。


 蕗は「またね。猫ちゃんたち!」と脳天気に言って、窓から飛び出て去って行く私たちを見送ったけれど、もう一度会うことができるかな。


 何らかの形でしっかり心臓の疾患のことを伝えたい気持ちはあるけれど、猫の話を信じる娘はいるだろうか。そして猫の言葉を信じる娘の言葉のままに病院へ行く親がいるだろうか。期待薄だ。

 これでは何をしに蕗に会いに行ったのかわからないけれど、出来るだけのことはしたという自己満足で構わない。手がかりは置いてきた。難しすぎるけれど…




 猫狩りの件、蕗の病気の件、どうしたもんかと考え込んでいたら、なかなか寝つけなくて今日は寝不足だ。寝不足なんて猫になってからは初めてのことだ。


 お昼過ぎに起きて、ボンヤリしながらガンツの取ってきてくれた工場こうばの残飯をモソモソ食べる。それからもさらにダラダラと日向ぼっこしているところへポンタがやってくる。


「おい、フール。南の森に行って虫取りの練習するぞ」


 ポンタの言葉にガンツがジロリと目を向けた。

「それはいいが、チャイムまでには帰ってこい」


 『チャイム』というのはこの近くの小学校の終業合図だ。午後5時に鳴るので、猫たちは夕方の合図として使っている。

 私のこの間のような『放浪癖』をガンツはすごく気にしているみたいだ。


「大丈夫だよ、ガンツ。今日は街から一歩も出ないよ。約束する」


 私がガンツの顔をみながら言っても、ガンツは首を振った。

「駄目だ。しばらくはチャイムが門限だ」


「ハア、過保護だなあ」


 私がため息をつくと、ガンツが怒鳴る。

「誰のせいだと思ってんだ!コラ!」


 私とポンタはねぐらを飛び出た。





「ねえ、ポンちゃん。私はあの女の子に伝えられたらって思ってることがあるんだ。この前はどうしても出来なかったけど」


 南の森への道々、私が言うとポンタは目を見開いた。

「おい、もうやめとけよ。昨日どれだけ怒られたと思ってるんだ」


「だよねえ」


「お前、ホントに懲りないなあ」

 ポンタが苦笑交じりに言った。




 この前の蕗との別れの場面を私はもう一度思い出す。

 どうやら蕗は私が猫神様と対面した後、本当に全く私たちのことを忘れてしまったようだった。


「あれ?何?この猫ちゃんたちは?何でここに猫ちゃんが?」


 要するに私たち猫の秘密は人間に伝わらないようになっているらしい。

 私たちは玄関から聞こえてきた他の人間の気配に窓から飛び出し、逃げた。


 私は蕗の部屋の窓から外へ飛び出る前に、例のアルファベット表に傷をつけておいた。大急ぎだったし、何しろ文字数がたくさん使えないので、判りにくいだろうけれど。


(A・E・I・K・N・n・O・S・s・Z)


 たぶん無理だろうなあ。SINZO(心臓)KENSA(検査)の2語だ。NとSは2回使うから小文字もひっかいておいた。


 蕗はこの頃ミステリーやSFを読みあさっていたし、アナグラムもよく遊びでやっていたから、もしかしたら…と思うけど、いくら何でもこれで蕗が心臓の精密検査を受けるようだったら、それは奇跡だよね。


 


 などとまたしても考え込みながらテコテコ歩いていたら、ポンタが緊張した声を出した。

「フール、まだ明るいのに様子がおかしい。後ろから家猫が何匹かつけてくるぞ」


「偶然じゃないの?家猫だって、たまには南の森を歩くでしょ」


「馬鹿、そうじゃない嫌な感じがプンプン匂ってくる」


 ポンタの顔を見なくても声の調子で冗談ではないことが判る。


「南の森は野良猫のテリトリーのはずでしょ。しかもチャイム前の時間だし」

 私は動揺を隠して、落ち着いた口調のつもりでポンタに言った。


「止まれ。南の森の方も気配がおかしい」



 その時、南の森の中から一匹の猫がヨロヨロと出てきた。

 野良猫のトンカツだが、様子がおかしい。傷だらけだ。

 そのトンカツが道を挟んだ向こうから私たちに呼びかけた。


「ポンタ、フール…逃げろ」


「逃げるぞ!フール!」


 ポンタが後ろから近づく家猫たちをチラリと見ながら路地に私を押し込み、自分も飛び込んだ。

 ここから2軒先の家と家の間を通り、次の路地をしばらく真っ直ぐ駆ければ、セージのねぐらに近づく。


 だが、その2軒先の隙間から出てきたのは、またも3匹のチンピラ家猫だった。


「何だ、お前ら。昼間の喧嘩は禁止だろう!」


 ポンタの言葉にチンピラ家猫のリーダー格らしい真っ黒で大柄なボンベイがせせら笑う。

「知らないのか。猫神様はもういない。変わってボッツ様が生きた猫神様になったんだ」


「バーカバーカ。猫神様はちゃんといるもんね。この前会ったもんね!」

 ポンタの後ろで私はアッカンベーをしながら叫んだ。


 家猫たちが顔を見合わせるが、すぐにこちらに向き直る。

「ポンタ、その生意気なチビをこっちに渡せ。そしたらお前は助けてやるぞ」


 ポンタがキッと黒猫を睨みつけた。

「誰が渡すか!フールは俺が守る!」


 わお。惚れそうだよ、ポンタ。まあ、中身が人間の私だからちょっと彼氏には無理かもね。


 …などと暢気なことを考えていると、後ろからもさっき私たちをつけてきた飼い猫軍団…5匹くらいか、が路地に入ってきた。前後から8匹…と思っていたら、さらに正面からもまた3匹、全部で11匹の猫が私たちのまわりを取り囲んだ。


 猫が11匹のドラマが昔あったような気がしたけど、でもそれはこの危機には関係ない。


 黒猫が再びポンタと私をギロリと見る。

「ポンタ、お前に用はねえ。見逃してやるから帰れ」


 ポンタが私を後ろに隠しながら、戦闘態勢に入った。

「ふざけるな!」


 私はポンタにささやく。

「ポンちゃん、後ろの猫たちを動けなくするから、私をかついで森へ逃げ込める?」


「判った。できるんだな?」


 ただ頷くことで答えて、私は後方に向かってシッポを振る。ポンタが前を威嚇してくれている。

(後ろの奴らフラフラ・フラ~リフラリ・酔っ払ったようにフラフラフラ~り)


 、私のシッポから紫色の光が出る。


「今だよ!ポンタ!」


 私の合図でポンタが私を背中にかつぎ、Uターンして一目散にかけ始めた。


 後方の5匹はいきなり自分たちに向かって突進してくるポンタに面食らったようだが、すぐに戦闘態勢を整える。


 そこへ私の紫色の光が降り注いだ。


「ンニャ?何だ。いい気持ちだニャ」「ンニャニャニャ、何にゃ?身体が言うこときかない」


「フラフラする。気持ちがいいニャア」「ハラヒレハラホレニャラホレ」


 フラフラの千鳥足になった5匹が路地でお互いぶつかったり、壁に頭を当てたりし始めた。


 その間隙を私をかついだポンタが見事に走り抜けた。


 背中の方で黒猫の叫び声が聞こえる。


「おい!逃がすな、森の方だ!」


 それからもう一声、嫌な余裕たっぷりの声が追いかけた。

「いいんニャ。ボッツ様の作戦通りだ」



 近くの学校のチャイムが鳴った。







 私たちが南の森に逃げ込むと、そこには何匹かの傷ついた野良猫がいた。

 私たちに声を掛けてくれたトンカツが左前足から血を流しながら呻く。


「戻ってきたら駄目じゃねえか。この森は囲まれてるぞ」


 どうやら私たちをこの森に追い込むところまでが家猫たちの作戦だったらしい。

 そして…私はシッポパタパタを一回やってみてわかったことがある。今日はあんまり調子よくない…。


 それでも私はいつものように傷ついた猫を癒やし始める。


 シッポパタパタ。(傷なお~れ、なお~れ。元気にな~れ)


 白い光がホワンホワン…


 初めてこの白い光を浴びた野良猫は眼を瞠っている。

「すごい…」「噂には聞いてたけど…」


 しかしどうしたことか、もうひとつ調子があがらない。何とかそこにいた5匹の猫の傷を治したが、その時点で私はフラフラだ。


「ポンタ…どうしよう。今日は調子悪いんだ」


 緊急事態もいいところだ。すでに私は『ポンちゃん』呼びの余裕がない。


「昨日頑張りすぎたせいじゃねえのか。とにかくどこかから脱出しよう」


「ポンタ、森は裏手も東側の出入り口も家猫たちがいるぞ。10匹や20匹じゃすまない感じだ」


 トンカツの忠告に私たちの顔がひきしまる。





 野良猫たちも動けるようになったので、トンカツと打ち合わせて、バラバラに動くことになった。

 トンカツたちは狙いとなっている私たちに脱出のチャンスをくれるつもりかもしれない。

 私とポンタは森の入り口よりも少しだけ奥のところ。機会を見計らって、できたら少しでも明るいうちに包囲網を突破したい。


「ポンタ、どうなってるんだろう。まだ夕方前なのに飼い猫たちがどんどんケンカを売ってくるなんて」


 ポンタも落ち着かない表情だ。

「今までにないことだな。何があったのかわからないが、ボッツの指示だというのは間違いなさそうだ」




 私たちが飛び出てきた路地の方から声が聞こえる

「レオさん、予定通りあのチビ猫は森に追い込みました」


「ふん。チビ猫一匹捕まえるのに、これだけの家猫をかり出すとはな」


 レオというのは聞き覚えがある。公園で強力な猫パンチを振るっていたシナモン色の斑点猫だ。たぶんオシキャットといわれる猫種だろう。


 森の入り口にたぶんレオを中心とする複数の猫の影、裏手にも、そして茂みの奥からも気配がする。これは相当たくさんの猫がこの森で私を捕獲しようとしているようだ。


 私はあらためて危機の深刻さを認識し、恐怖した。

「こわいよ、ポンタ」


「大丈夫だ。フールは必ず俺が守る」

 ポンタは震える声でもキッパリと言った。

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