第16話 逆回りする時計 恍惚のノルウェージャン・フォレストキャット(3)

 私は自分が猫として生まれ変わった世界が自分の死ぬ前、4年前だったことに気がついた。このタイムリープが何を意味するのか、よくわからない。

 ただ、確かめなくてはならない。この姿になる4年前の私…つまり中学1年生の私がこの世界にいるのか、いないのか。


 私は初めて「地図」を意識した。この町は日本のどこにあり、私が以前住んでいた町とはどれだけ離れているのか。


 …考え始めてまた、ウーンとうなる。

 とはいえ…わかったところでどうなるものか。


 例えば中学1年生の私「山田蕗やまだふき」が存在したとして、それは私が元いた世界の山田蕗と同じ人間なのだろうか。もし、同じ歴史をたどるとするならば、その「私」は2年後の体育の時間にグランドで倒れる。


 そして入退院を繰り返して今から4年後、高校2年生で死ぬことになるのだ。


 私が山田蕗の所在を確認し彼女に出会うことが出来たとして…私に何ができるだろう。病気のことが早めに判明すればこの世界の蕗は助かるのかもしれない。

 けれど…


 父さん母さんが泣くところは見たくないが、猫の私にできることは限られている。苦労して会いに行くだけの価値があるだろうか。むしろ何もできず、ただ自分が弱っていくところを見るくらいなら関わらない方がいいのではないか。


「ふーん、○○県○○市か。隣町だね…」


 交通標識や街の案内を読む私の独り言にポンタが不審の目を向ける。

「なあ、フール。こないだからお前変だぜ。ニンゲンの家とか看板とか見ながらブツブツブツブツ」


 私は慌てて言い訳をする。

「方向オンチだから、そういうところをしっかり覚えなくちゃね」


 ポンタが曖昧に頷いて、笑う。

「クククッ、あんまり、猫でそういう奴知らないけどな」


「ねえ、ポンタ」


 急に私が真剣な眼でポンタを見たので、ポンタはあたふたする。

「な、なんだよ。方向オンチって言われて怒ったのか?悪かったよ。でもホントだろ」


「そんなこと怒ってないよ」


「ん?じゃ、なんだよ」


「どうしても確かめたいことがあるから隣の街へ行ってみたいんだけど…」


 ポンタが難しい顔をする。

「うーん。余所の街かあ。縄張りのこととか、面倒だぞ」


「行けなくはないよね?」


「行けなくはないけどなあ。この街の家猫の縄張りはともかく。他の街の猫の縄張りに踏み込むのは、そっちのボスも知らないわけだしキビシーな」


 生前猫好きだった私の知識では野良猫の行動範囲は広くて500メートルくらい、理由があって(例えば餌場がなくなって)遠くへ行くのでも1㎞ちょいで、大概縄張りの中から動くことはないはずだ。難しいかもしれない。


「何とかならないかな」


「うーん」

 ポンタが考え込むが、いい考えは浮かばないようだ。


「どっちの街だ?」


「えっと」

 人間時代から方向オンチの私が懸命に地図を思い浮かべる。

「西側。…公園ではブランコの方向になるのかな?」


「完全に家猫の縄張りだなあ。例えばその西のはずれに知り合いの猫でもいれば、隣町の縄張りのことはわかるんじゃないかな」


「なるほど。ポンタはいない…よね?」


「何で最初から決めつけるんだ、フール。俺はこう見えてもこの辺じゃちょっと有名な韋駄天いだてんポンタ様だぞ」


「初めて聞いた。じゃあ、顔も広いと」


「西側はたまたま、いない」


「…ガッカリだよ、ポンタ」


 ポンタが口をとがらせた。

「だいたいお前、何で隣町に行ってみたいんだよ。理由次第ではつきあってやる」


「へえ、ポンタも興味あるの?」


「違う。この先、ホントに公園のジャングルジムが取られちゃったら、隣町へ行くことも考えなくちゃ…だからだ」


 そうだった。家猫にとっては大したことなくても、野良には水場がなくなるのは大問題だ。


「私の理由か…」


 ちょっと言えないよね。その街に『元の私』がいるかも、なんて。ましてやその子の命を救うために何かできるかなんてのはチビ猫の考えることじゃない。


「自分が捨てられる前の記憶が戻りそうなんだよ」


「へえ…お前が飼い猫だった頃のことか」


「わかんないけど、多分」


 嘘は言っていない。ここで拾われる前の人間としての記憶といっても間違いではないよね?


「行ってみたいな。行ってみたいなあ♡ニャニャニャン、ポンタ♡?」


「うっ」

 ポンタが顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。

「当てがなくはない」


 私はそっぽを向いたポンタの顔の方にクルリと回り込んで、下から猫のように媚びた。(猫ですけど)

「わああ、頼もしい。ポンタさん♡」


「お前…ホント、何ていうか、いつか友達無くすからな」


 なぜかポンタが悔しそうに言ったが、私はニッコリと笑った。

「今のところ、友達というのはポンタだけだよ、ポンタ・だけ」


「くそう」


 何が悔しくて『くそう』なのか、ポンタは歯ぎしりをして私に怒鳴る。

「帰るぞ!ホントは『うるせえっ!』って叫んで、走り去るところだけどガンツにお守り頼まれてるから置き去りに出来ないから、ホントは嫌だけど、その、お前、ホントうるさいけど、えっと、帰るぞったら、帰るじょ!」


「ポンタ、何言ってるかわからないよ。特に最後の『帰るじょ』って何よ」


「ううう…疲れた。帰るぞ」


 私とポンタは雨がサラサラ降る街を裏路地に入り、ガンツの待つ大工の工場裏に向かった。

 道々ポンタは「俺の男心をもてあそんで」とか「悪魔のようだ、ボッツより性質たちが悪い」などとブツブツ言っていて、あまりに可愛かったのでお別れに顔をペロリとなめてやった。


「今日はありがと。おやすみ、ポンタ」


 ポンタは私に顔を舐められた瞬間硬直し、それからブルブル震えたかと思ったら、何やら叫びながら走り去った。

「うるせえっ、バカフール!また明日なっ!おやすみっ!バーカバーカ」


 ポンタ…可愛いなあ。それにしても『バカフール』って「馬鹿の二乗」だよ…。

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