第15話 逆回りする時計 恍惚のノルウェージャン・フォレストキャット(2)

「でもさ、フールって何かすげえ難しいこと知ってたり変な知恵とかはあるのに、猫だったら知ってること割と知らないのな」

 変な知恵とは失礼だ。


「だからポンタが家庭教師につけられたんでしょ。しっかり教えなさいよ」


「何で、お前が偉そうなんだよ」


 昼間だったらこうやって無駄話しながらでも路地や河川敷、町中でも歩くのはそんなに危険じゃないらしい。よっぽどの悪さをしなければ、人間からも危害を加えられるようなことはないみたい。(ガンツは『油断は禁物だ』といってたけれど)


 だいたい家猫と野良猫の取り決めも派手なケンカを町中でやったりしたら、人間に駆除される危険が高まるという猫たちの防衛策の側面があるらしい。確かにやたら猫同士でギャーギャーやってたら、すぐ保健所に連絡されそうだからね。

 どっちみち家猫は日中、町中へ単独でフラフラ出てくることないけど。



 私は今のところチビ猫でしかも短足だから目線が非常に低い。街を歩いていても見えるのは地面と地面に近いところだけだ。

 だから人間の眼を意識することは滅多になかったんだ。その日までは。


「おい、雨だな。帰ろうぜ」

 河川敷から町並みに入ったところで、ポンタが声をかけてきた。基本濡れようが汚れようが気にしない野良猫生活だけど、私はまだちょっと慣れないところもある。


「ホントだ。急いで帰ろう。今日はいい残飯あったかな?」


「お前は本当に食い気ばっかりだな」

 ポンタが呆れる。


 雨を見上げる私に街の様子が眼に入る。こんなふうに街を見るのは久しぶりだ。

 そう、ご存じの通り、私は人間の記憶を持ったまま猫になった「頭脳はヒト」の猫なんだ。今まであんまり意識しなかったけど、看板や標識や貼り紙も全部読める。読めるけど役に立たないから気にしなかった。

 そして私は猫になってから何度目かの驚愕の事実を知ることになった。


 サラサラ降る雨を見上げたのは新聞屋さんの軒先だった。人間のニュースなどすっかり興味はないけれど、久しぶりに新聞の一面を覗いた。

 何?『昭和60年』って?その新聞には昭和60年の日付が印刷されていた。

 新聞屋さんの軒先で見つけた日付に私は釘付けになった。


「古新聞…じゃないよね?」


 私は何だか不安になってきてさらに街を見渡す。通りにあった交番を外から覗く。


「おい?フール。やめとけよ。ケーサツも危険な側のニンゲンだぞ」


 ポンタの言葉が聞こえなかった振りをして、交番の中を隅から隅まで見ていく。

 あった!カレンダーみっけ!


「間違いない…今は昭和60年なんだ…」


 私が死んだのは昭和の最後の日だったはずだ。つまりえっと、よくわかんないけど3年か4年か5年くらい時間が戻ってる?!


「ポンタ…」


「?ど、どした?フール、いつも以上におかしいぞ」


「もうちょっと、街巡りにつきあって」


「ええ、デ、デートか?ええ?」


「バカ、何赤くなってのよ、そうじゃないわよ。もう少し歩くわよ」


「何だよ。急に。バカにバカって言われるのはなあ」


 ブツブツ言うポンタと街をしばらく巡る。



 確かに私はバカだ。何で今頃気づいたんだろう。私が人間だった時、最後の入院前にりんご公園は取り潰されてショッピングモールになった。駅前は整備されてあのガチャガチャした駐輪場もなくなったはずだ。道行く人はつまり昭和60年のヒト達だ。私が死んだのがその4年後…


 電気屋さんのテレビを覗き込む。通りからチビ猫がテレビを見ている図は可愛かったかもしれないが、私は必死だ。


 4年くらいではそんなに変わらないかもしれない…何か時間が戻っている証拠を見つけたかったのだけれど、テレビでは4年の違いはそれほどわかるものではない。私自身ニュースとか興味がなかったから、夕方の報道番組を見ても思い当たるものはなかった。


「おい、暗くなる前に帰るぞ。フール」


「そうだね。ごめんね、ポンタ」


 その時プロ野球に画面が切り替わって、私は見つけた。後楽園球場でのジャイアンツ戦が始まったんだ。私が死ぬ前に東京ドームが出来上がって、後楽園球場は無くなっているはずだ。

 確かに時間が戻っている!今が私が死ぬ4年前、昭和60年にだ。

 どういうことだろう。このタイムリープに意味はあるの?


 さらに私は「あること」に思い当たって身体を硬直させた。


「どうした?フール。まったく世話が焼けるなあ」


 じゃあ私はまだ生きてるはずじゃん。人間としての私の方ね。

 私はまだ元気でどこかの中学校に通っているのだろうか。

 もしそうなら、それは私なの?私じゃないの?

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