第14話 逆回りする時計 恍惚のノルウェージャン・フォレストキャット(1)

「ねえ、ポンタ」


 私とポンタはガンツから許可が出た(多分)安全な野良猫のテリトリー、公園の南側河川敷から県道沿いを散歩している。


「ちょっと今さらの疑問をぶつけてもいいかしら」


「何だよ」


「あのさ、何で猫たちはみんなで公園の陣地取りを必死でやってるわけ?」


 ホントに何を今さら、といった呆れた顔でポンタが言う。

「そこからか」


「公園なんか、あんなに命がけで守らなくてもって思ったんだけど」


「…猫神様の話からかな」


「猫神様?」

 初めて聞くその名前。猫たちにも信仰とか宗教があるのだろうか。


「俺だって会ったことはないけど…でも霊感の強い猫は会えるとか会えないとか」


 ポンタの適当な答えに私は笑うが、本人は真剣そのものだ。


「いや、いるんだ。ホントにいるってみんな信じてるし、俺もそう思う」


「飼い猫たちも?」


「ああ、飼い猫と俺たちだって、いっつもケンカばっかりしてるわけじゃない。時には助け合ったりもしてるんだ」


 これはビックリだ。出会えばいさかいばかり起こしていると思っていた飼い猫と野良猫だが、必ずしもそうではないらしい。


「だから猫神様から何かゴセンタクっていうらしいけれど」


「お洗濯?」

 

「そうそう、そのオセンタクがあって」

 私の混ぜっ返しというか、合いの手は洗濯の概念がない野良猫には通じない。宣託だね、ポンタ。わかってる、うん。


「これは猫神様が決めたことなんだ。まず第一に昼間のうちの争いは禁止」


 そういえば、以前ルノーに砂場で因縁をつけられた時、セージが『昼間の争いは御法度ごはっと』みたいなこと言ってたね。


「フンフン、それから?」


「第二に夜の公園での陣地取りも相手の命をとるようなことはしないこと」


 そういえば、大怪我したとか消えない傷跡が残ったっていうのは聞くけど、猫が猫同士の争いで死んだっていうのは聞かない。


「つまり意外とお互い加減はしてるんだね」


 私の言葉にポンタはちょっと首をひねる。

「まあな、…でもあのボッツはちょっと違うような気もするなあ」


「どいうこと?」


「何かひとつ間違ったら大変なことになるっていうか、ただのケンカじゃ済まないような、そういうことしそうな気がする」


 学校の不良同士のケンカに拳銃をもって現れるようなもんかね。でもそれだったら猫神様がばちを落としそうなものだ。ボッツには信仰心はあるのだろうか。


 私の顔に疑問が浮かんでいたのか、ポンタがそれに答える。


「ボッツなりに手加減してるのか、それともあいつ猫神様なんて関係ないって思ってるのか…。それからここしばらく猫神様の姿が見えないっていう霊感猫や長老猫も多いしな」

 それから少し小さな声でポンタは呟く。

「…あいつのやり方だと、じきに猫殺しが起こりそうだ」


 何それ、怖い。本気でボッツが猫殺しを恐れていないのなら、危険すぎる敵だ。


「そして多分お前が知っていないことで肝心なことがある」


「フンフン」


「そこに防火用水があるだろ」


 ポンタが説明しかけたが、私は喉が渇いてフラフラ近づいた。

「ちょうどいいわ。待ってて。喉渇いた。水飲んでくる」


 私が言うと、ポンタは私の首根っこを押さえてそれを止める。

「ダーメーだっ!」


 私は首の後ろを引っ張られて、仰向けバンザイの格好になり、そのままポンタに質問する。

「な、なんでぇ?」


「まさにちょうど、その話だ。そこは野良猫の縄張り水場じゃない」


「ええっ?この前そこで一緒に水飲んだじゃん」


「あの晩の公園で変わったんだ」


「どういうこと?」


「りんご公園は街のだいたい中心にある。そしてりんごの形のトイレが公園の真ん中、それを囲む形で遊具があるだろ?」


 ポンタの言葉に私は公園の見取り図を頭に浮かべる。

 中央のりんごトイレを囲んで真北に砂場、うんてい、ブランコ、シーソー、滑り台、ジャングルジム、何か名前のよくわからない丸くて回るやつ、鉄棒…ってところか。


「今まで野良猫の陣地だったのは南側の滑り台とジャングルジムだろ。それがこないだの戦いで滑り台を取られた」


「残念なことよね」


「だーかーらっ!」


 ポンタが言うにはその遊具8つの方向でピザのように街を分割し、その方向以外の水飲み場は使えないのだという。


「じゃあ、この防火用水の水は…」


「そう、これから飲んじゃだめ。家猫の水場ということさ」


「家猫たちは帰って家で飲めばいいじゃない!ずるいよっ」


「しょうがないだろ。それが猫神様との取り決めだ」


「誰も見てないじゃん。ダイジョーブじゃない?」


「駄目だ。誰かに見られたら必ず家猫グループに伝わるし、匂いとかコンセキは残るモノなんだ」


 そう言われて、ふと視線を感じる。向かいの家の2階からだ。すっと消えた猫の影がある。角の八百屋の路地にも誰かの耳がチラリチラリと覗いている。

 ゾッとして小声でポンタの耳元で呟く。

「ねえ、掟を破ったら…」


 ポンタがくすぐったがって身じろぎしながら答える。

「ウヒョッ。やめろよ。…破ったことないから知らないけど。この街にいられなくなることは覚悟しておけ…と昔父ちゃんに言われたな」

 ポンタはその昔ホゴセンターに連れて行かれたお父さんの言いつけを守っているということだね。意外と律儀だ、このチビ猫。



 このルールはもともとは家猫と野良猫の無用のいさかいを避けるために決められたことだったらしい。だから昔は街の南側半分が野良猫たちの水飲み場だったのに、ここしばらく公園での戦いが激化して、いつのまにか8分の1にまで減ってしまった。


「北側にいた野良猫たちはだんだんと南側に移動してるよ。水がないのは困るからな」


 このままだと野良猫たちが住める場所がなくなってしまうんじゃないかと心配だ。


「まあ、そうなったら、俺たちも隣の街とかへ引っ越しだな。面倒だけど」


 それにしても『猫神様』という思いもよらない新たな概念が出てきて驚いた。人間のままだったら知るよしもなかっただろう。どこでどういうふうに取り決めがなされて、猫たちにどういうふうにお触れが出ているのか、知りたいものだ。

 まあ、ホントにいるかどうかも怪しいし、私なんかが会えるわけないけどね。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る