第10話 世界の掟 嘆きのアメリカン・ショートヘア(1)

 チンピラ猫ダビの襲撃を無事に撃退?した私はソロソロと茂みをかき分け、外から公園を覗き込む。

 公園に来たことが知られたら、ガンツにもポンタにもすごく怒られることがわかりきっているので、慎重になる。


 赤っぽくて不気味な色の満月が出ている。その光に照らされるジャングルジムが手前にあって、多くの猫がそこに集まっている。怪我をしている猫も多いようだ。

 本拠地付近で猫同士の乱闘が多数起こっているところを見ると、これはそうとう野良猫側の劣勢だ。


 ガンツとおぼしき大柄な猫が40メートルくらいむこうにある滑り台で奮戦しているのを見つけた。猫たちはこの距離を「200カツブシ」と言っていた。1カツブシ=20㎝というところだろう。

 ガンツが参戦しても野良猫の劣勢はさほど変わらないようだ。じりじりと家猫軍団が付近に増えてきている。


撤収てっしゅう!ジャングルジムまで撤収!」

 野太いドブの声が聞こえた。


 ドブは野良猫軍団のボスだ。ガンツに勝るとも劣らない巨体と怪力で荒くれ者を率いているが、最近は歳のせいか怪我が多いとセージが言っていた。


 その次の瞬間に私は全身の毛がザワザワと逆立つ感覚を感じ、思わず茂みの中に頭を埋めて身体を隠した。

 そっとまた頭を上げると、公園の猫達のほとんどがその感覚を持ったらしい。視線は砂場の方角に集まっている。


「ボッツ様だ!」


「ボッツ様!」


「ボッツ様の降臨だ!」


 大げさなかけ声での登場だが、それにふさわしい偉容いようのロシアン・ブルーが姿を現した。


 全身を藍色の短い毛で覆った細マッチョ、一際印象的な深緑の鋭い目は月の光に鈍く輝いている。猫としては異様に大柄なサイズに見えるがそれは頭の小ささによる錯覚なのか、それとも本当に大きいのか、ここからではもうひとつ判らない。

 飼い猫のカリスマにふさわしい姿、魔王ボッツの異名が冠せられるのも納得だ。




「何でここにいるんだよ」

 いきなりコソコソっと声をかけられてビックリする。ポンタがジャングルジムから茂みまで後ずさりして、私に話しかけた。


「見つかっちゃった?」

 私はテヘペロして返事をするが、魔王の登場に緊張しているポンタの声は震えている。

「冗談じゃないんだよ。俺がガンツに怒られるし、今出てきたの見えるか?あれがボッツだ。ヤバすぎるぞ」


「大丈夫だよ。ここで隠れてるから」


「俺が先に見つけたから良かったものの…」


 ポンタがグズグズ言っているが、そういえばポンタだって騙されてここにいるはずだ。


「ポンタ、あの後、魚屋の裏路地にダビ達が来たんだよ」


 ポンタが慌てふためいた顔になる。

「え、えっ?どういうことだ。お前逃げてこられたのか」


 私は鼻の穴を膨らませて自慢する。

「フフン、撃退しました!」


「嘘つけ!」


 まあ、信じないか。あ、そんなことより。

「そんなことより」


「どんなことなんだよ」


 私はダビ達のコソコソ話を再現した。ポンタはゴンゾに騙されておびき出されたのだ。つまり…


「狙いはお前ってことか?」

 ポンタが考え込む。

「だけどなあ」


 私をじろじろと眺め回す。やな感じだ。


「何よぉ」


「お前みたいなドンくさチビ猫を攫ってどうすんだろ」


 相変わらずのポンタの言い草に私は膨れる。

「ルノーが命令したみたいだよ。たぶん私の美貌にメロメロなんだよ。違いないね」


「バカじゃねえの。だいたいお前は」


「ガアアアアアアアアッ」


 その時、地獄の底から聞こえるような低い鳴き声が公園に響き、すべての猫が動きを止めた。

 馬鹿な会話をしている間に公園の中央まで歩みを進めた魔王ボッツが一声を出しただけで敵味方の両方が凍り付いている。すさまじいカリスマ猫だ。


「おい、フール。絶対ここから動くな」

 ポンタが公園の猫たちから目隠しをするように、私の前に立つ。気持ちは嬉しいけど、これじゃ前が見えない。様子がわからない。


 できることなら私は自分のシッポの力で野良猫たちを治癒ちゆしたいと思っている。原理は何かよくわかんないけど、シッポに触れるか、そっちに向かって私が『治れ治れ』ってフリフリすると怪我が治るようなそんな感じ、みたいな。


 ジャングルジムの前が騒然となる。


「フギャアアア」「ミャアアア」「ギュワアアアア」


 ボッツが光る眼を浴びせると動けなくなり、「ガアアアッ」と異様な声を出すと気を失う。バタバタと野良猫たちが倒れている。さらにボッツが前進し、前足を一振りした。


「ギャアッ」


 野良猫の中でも精鋭のはずのトンカツやサシミが顔と腕を切り裂かれて、呻きながらそこに倒れる。


 野良ボスのドブとガンツが大声を出す。

「全員退却しろ!逃げろ!ケガ猫をできるだけ運べ!」


 野良猫たちが最後の砦だったジャングルジムを捨てて、公園から逃げ始めた。家猫たちの歓声が公園に響く。


「ボッツ様!万歳!」


「ボッツ様!万歳!」



 ガンツはトンカツとサシミの2匹の他にも気絶している猫をもう1匹抱えて、撤退の態勢だ。

「おい、しっかりしろ!お前も自分の足で逃げろ!」


 だが、それでは魔王ボッツの攻撃をうまくかわすことができない。視線からは逃れたが、鳴き声を浴びてフラつく。さらに『真空猫パンチ』が飛んでくる。

 ギリギリ致命傷を避けているが、傷だらけで出血が激しくなっている。


「ガンツ!」

 我慢できずポンタがガンツに駆け寄り、抱えていたケガ猫を一匹奪って背負った。


 ガンツが眼を剥むいて、ポンタに声を掛ける。

「ポンタ、何でここにいる?!」


「おっちゃん、俺も手伝う!」


「出てくるな!…むん!」

 ガンツはボッツの視線が自分に向けられているのを感じて、ポンタを怪我猫ごと遠くへ突き飛ばした。


「ニャッ」

ポンタと怪我猫が3匹、ゴロゴロと転がった。なんと乱暴な。 


 その時、ボッツの大きな前足の一振り『真空猫パンチ』がガンツに降りかかり、顔と胸を切り裂いた。


「グワアアアアッ!」

 ガンツが血だらけになって膝をつく。


「父さんに何すんのよ!」

 何と私はガンツが倒れると同時に頭に血が上ってしまって、思わずボッツの前に飛び出した。こんな時に限って、私にしては相当機敏な動きで。


「ば、バカな?フール!?逃げろ…」

 ガンツが顔だけあげて、苦しそうに呻いた。


 正面の近い距離で対峙してみるとボッツはさすがに凄い迫力だ。

 …でも、猫たちがみんな凍り付くように動けなくなるってほどでもないと思うんだけどな。

 さあ、私のシッポの威力を見よ!フフンだ。


 ガンツも含めて背後の野良猫たちに向け、全力でシッポを振る。


(ケガ治れ!ケガ治れ!ケガ治れ!)

 灰色のシッポがブワリとふくらんで光る。


 シッポから離れた大きな白い光の固まりが一旦宙空にとどまり、それから光の粒になって私の背後の猫たちに降り注いだ。


「なんニャ?」「これは…?」「おおおおっ!」


 猫たちのどよめきと畏怖いふの声が野良猫側と飼い猫側のどちらにも広がった。

 魔王ボッツも初めて眼を大きく見開く。



「…うーん?」

 ところが私は何か調子が出ない感じに首を傾げる。ドーンと治癒の光を出したつもりなのに、何か思ったほど力が出なかった感覚だ。

「あれ?」


 身体がフワフワ軽くてめまいがする。あれれ?


「何だ?このチビ猫は?」

 飼い猫側のレオが私を睨む。


「またこいつか…」

 後方から出てきたのはアメリカンショートヘアのルノーだ。


其方そなたは…」

 これまで黙ってじっと私を見つめていた魔王ボッツが初めて口を開いた。


「ボッツ様、この間話したチビ猫です」


 ルノーは私のことをボッツに報告していたらしい。


「どういうことだ?傷が治ってる!」「俺もだ。ふさがってる」「俺もだ!」


 後方で野良猫たちの声がする。おかしい。『だいたい治ってる』ってどういうこと?

 でも役に立ったよね。ガンツの『フール!』って声も聞こえる。

 それにしても眠いな…


「フール!さがれ!」


 ガンツの声だ。


 まだ手負いのガンツが飛び出してきて、また私とボッツの間に入る。

 私は眠気でフラつく身体にグッと力を入れた。


「ガンツ、大丈夫だよ!やっつける!」


 私は今度はシッポを飼い猫側に向けて、フラフラ振った。


(あっちに行け・あっちに行け・家に帰れ・バーカ・バーカ)


「気をつけろ!何か変な力があるぞ、あいつ!」

 ルノーの声が響いたが、私のシッポからはフワリとホタルよりも小さな光が出ただけだ。

 シッポから出た小さな光はルノーの頭にポツンと当たった。


「?」


 ルノーは一瞬頭をひねり後ずさったが、ポカンとした顔で私を見た。

「何だか一瞬だけ帰りたくなったけど、どうってことないぞ!」


「ありり?」


 私の間抜けな声にルノーがガクッとコケる。


 ボッツが二本足で立ち上がり、野良猫の群れ全体を睨みつけた。

「グオォォォォ……」


 野良猫どころか、飼い猫まで含めて、その場にいる誰もが恐怖で動けない。


 そんな中、私はあまりの眠さに大あくびをしてしまった。

「ふぁぁぁああ…」


 恐怖で固まった猫たちのど真ん中に響いた私のアクビは、むしろさらに周囲を凍りつかせる。


「何だ?そのチビは?」「ボッツ様の前で、許せん!」「痛い眼にあわせろ!」


 一瞬して何かすごい怖い声があがりはじめたけど、私はもう眠くて立っていられない。

 ガンツが私をかばって立ちはだかる。


「ガンツ、ごめん。眠い…」


「おい、こら!フール!」

 ガンツは大慌てで私を支える。


 そこへポンタが後方から走り出てきて、私を背中に抱える。


「ポンタ、フールを逃がせ!」

 ガンツの声が聞こえた。私は意識を失った。


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