第9話 闇の王 ロシアン・ブルー(5)

 EXTRA EPISODE 「フールと出会ってからの俺」


 俺は別に人の世話をするのが大好きってわけじゃないんだ。ふと気がつくと変に手間のかかるのが近くにいるってだけなんだ。


「ガンツはなんでまたあんなチビ猫の世話を始めたんだ」

 周りのやつらから散々聞かれたけど、特別な理由があるわけじゃない。


 それでも自分のねぐらの前で子供猫が死んだら寝覚めが悪いだろうが。

 どうやって捨てられたのか知らんが、資材置き場で息も絶え絶えのフールを拾っちまった。


 フールは不思議な子猫だ。

 短い足と丸っこい身体、柔らかくて薄めの色合いの毛、折れて垂れ下がった小さな耳、丸くて大きな青い眼…もしかしたら血統書付きの猫かもしれないとは思ったが、それより何より中身が変だ。


 たぶん恐ろしく頭はいいんだろう。記憶力がよくて大概のことはすぐに覚える。町並みを散歩しているときなんかは、どこにどんなものがあって何をしたらいけないかこちらが言う前に理解した。まるでニンゲンのことがよくわかってて、しゃべってることや看板なんかにかいてあることを理解しているんじゃないかと思ったほどだ。


 それから、あの公園での出来事…不思議なシッポの光でダビを追い払い、ポンタの傷を治した。ただのチビ猫じゃないかもとは思っていたが。


 …まあ、どんなことがあってもフールはフールで俺は奴の親代わりだけどな、面倒だけど。



 俺がフールを拾ったのはポンチョが出て行って半年した頃だ。フールからしつこく訊かれたけど、ポンチョについてはホントに大して言うことがないんだ。


 数ヶ月一緒に暮らした。気が合うメス猫だと思ったからだが、それは俺の一方的な思いだったんだろう。ちゃんと気を配って接したつもりだったが、いつの間にかポンチョの心が離れた。出会ったときの俺と何も変わらなかったんだが、それが駄目だったのかもしれないな。


「あの頃は荒れてたなあ」

 セージが言ったけど、そんなこともないんだ。ポンチョが出て行って夜寒かったんで、少しだけ酒屋のビンの残り酒を飲んだだけだ。公園や近所の巡回も面倒くさくてしばらく休んだけどな。

 …まあ、あれが荒れてたっていうんなら、そういうことなんだろう。


 フールが来てから忙しくなった。しょうがないじゃねえか。放っておくと、どこにでも顔を突っ込んで危ない眼にあうし、ドン臭いから逃げ足も遅いし、言わなくてもいいこと言って事態を悪化させるし。

 仕方がないから独り立ちできるまで、俺が親代わりになるって決めたんだ。

 親の姿を見て子供は育つっていうし、だから巡回も再開したし、餌探しにも精を出すさ。ホントに面倒くさいよ。


 ポンタに昼のうちは任せることができるようになったのは最近だ。あいつは真っ直ぐで裏表がないからフールをきちんと守ってくれるだろう。「フールに手を出したらただじゃおかんぞ」って言ったら不満そうな顔をしてたな。




 まずまず俺にしては穏やかな日々が続いていたと思ったんだが、まあ、そうはいかんな。

 公園への救援を頼まれたのは赤い満月の夜だった。こういう夜は嫌なことが起こりやすい。勘だけどな。

 フールをポンタに預けて、俺はセージと公園に急いだ。


「セージ、大変なことってどのくらい大変だ」


 セージが走りながら何を今さら、と言う顔で俺を見る。

「私たちの水飲み場がなくなるかもしれません。滑り台どころかジャングルジムも危ないです」


「ふうむ。ボッツか?」


 セージは首を振った。

「違います。ボッツが来たのなら、今頃はみんな逃げているでしょう。何故か今夜はミケとルノー、レオの3匹が揃ってるんです」


「ふん。三人衆そろい踏みか」


「ドブはまだ本調子じゃないようでして」


 ミケ・ルノー・レオの三匹はどいつも強力な超能力猫だ。ルノーは目が合った猫の動きを縛るし、ミケは変な鳴き声で聴いた猫を眠らせる。そしてレオは強力な猫パンチでなぜか離れた相手にもダメージを与える。厄介なやつらだ。


 俺たち野良猫側のボス『ドブ』は百戦錬磨の戦闘猫だが、少し前に怪我をして本調子ではないようだし、何しろもう歳だ。

 そりゃ苦戦するわけだな。俺が出て行ってもなかなか厳しいかもしれないが、やるしかない。何しろ猫神様との契約で水飲み場が懸かってる。



 ジャングルジムの裏手の茂みから公園に入る。よかった、まだここは野良猫の陣地のようだ。


「遅いぞ!ガンツ!」

 トンカツがひっくり返って後ろ足の傷を舐めながら叫んだ。


「悪かったな。で、滑り台は?」


「もう駄目かもしれん。ドブもサシミもベロベロも頑張っちゃいるが、旗色が悪い」


「ふん。年寄りとデブと酔っ払いか。当てにならんな、うちの幹部は」


 トンカツが顔を赤くして怒鳴る。

「シャーッ!デブとは何だ!コンニャロー!」


 俺はニヤリと笑ってやった。

「お前のことなんて言ってないだろ」


「…ンニャア」


「撤退して全員でジャングルジムを守った方がいいかもしれんな」


 公園を見渡す。数の上ではまだ互角かもしれないが、形勢は完全に飼い猫が押している。

 あちこちでミャアミャアシャーシャーひっかきあいと押し合いぶつかり合いをしているが、このジャングルジムの手前と滑り台付近に特に集中している。

 数十匹の飼い猫と同数ほどの野良猫が手を出し合ったり、睨み合ったりだ。

 超能力猫のうち雌猫のミケが公園の中央、独特の声で野良猫を気絶させている。

 ルノーは乱戦が苦手なので、敵の陣地の手前で防御の構え。

 強力猫パンチのレオが滑り台に襲いかかっている。


 トンカツも公園を見渡し劣勢を認めて頷く。

「うむ。水飲み場がなくなったら、一大事だからな」


 俺が200カツブシほど離れた滑り台に走り出すと、砂場の奥の方からザワリとした気配がした。不吉な雰囲気だ。まさか…


 嫌な予感を一旦胸に納めて、俺はドブに声をかける。

「待たせたな。おい、ドブ。一度引いてジャングルジムに立てこもった方がよくないか」


「遅いぞ、ガンツ。ううむ、仕方ないが、悔しいな」

 ドブが突っ込んできた三毛猫を右の猫パンチで張り飛ばしながら呻いた。


 俺も前に出ていって苦戦中のベロベロを助け、超能力猫レオにパンチを出す。


「グハハハハ、ガンツじゃんか。久しぶりだな。ほれ、あいさつじゃい!」


 レオが空中に前足を一閃すると、ブンと空気の固まりのようなものが飛び出した。


「うわっ」「やべえっ!」

「ニャッ!やられたニャ!」


 俺とベロベロはギリギリ避けたが、若いブチ猫が胸の辺りから血を出して倒れた。


「チェッ、避けられたか」

 レオがまた歯をむき出してグハグハ笑った。


「ドブ、撤収だ。このままだと怪我猫が増えるだけで、ジャングルジムまで取られるぞ」


 ドブが「くそう!撤退撤退!!」と叫ぶと公園中の野良猫が少しずつジャングルジム周辺に移動を始めた。怪我をした猫をくわえて連れてくる奴も多い。


「ドブ、明け方まで粘れば、飼い猫たちは家に戻ってく。夜明け前の一瞬が勝負だ」


 ドブが頷く。

「うむ。少なくとも滑り台だけは取り戻す」


 夜が明けたら抗争はしない約束だ。その直前に奪われた場所を取り戻して踏みとどまる。

 ギリギリ自陣を守って、何とか元に戻す。最近はこの繰り返しだ。このままだとジリ貧だな…。


 また俺の背中の毛がザワリとした。砂場の奥から妙な気配を感じる。やっぱりあいつが来たか…。


「ボッツ様だ!」


「ボッツ様!」

 飼い猫の歓声。


 出てきやがった。敵の魔王『ボッツ』、本名はボッティチェッリだそうだ。大層なお名前だこと。

 巨大でしなやかな体躯、全身ブルーの短毛と冷たい顔つき、深緑の瞳…ゆっくりと茂みから歩み出てきた。


 「ガアアアアアアアア」

 闇に魔王ボッツの咆哮が響いた。悪い夢のような夜の始まりだった。


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