第8話 闇の王 ロシアン・ブルー(4)

 冒険と平穏という相反あいはんするものが両立する私の幸せな日常に波乱があったのは、猫になって3ヶ月目のこと。


 夜半に私たちのねぐらを訪ねてきたのは黒猫セージだ。

「ガンツ、公園が大変なことになっています。来れますか?」


 ガンツはものも言わずに立ち上がる。

「フール、行くぞ」


「え、私も行っていいの?」


 ガンツは眼を瞬かせる。

「公園じゃない。ポンタのとこだ」


「ポンタ?」


「朝までポンタのとこで預かってもらう」


「ええええ。ポンタのとこぉー?」


 セージが微笑む。

「公園は危ないです。来ちゃダメですよ」


 ガンツは睨む。

「絶対近寄るな。面白そうとか思ってるだろ」


 私は図星を指されて眼を泳がせた。




 ガンツとセージは公園に行く前にポンタのねぐらに寄った。ポンタは魚屋の裏手に一人で暮らしている。魚屋の裏だなんて猫にとって最高の立地と一瞬思ったが、ポンタに言わせればこれは信頼のたまものだそうだ。


 売り物には絶対手を出さない。夕方捨てられる残飯でも散らかしたりしないで、きれいに漁る。店の前には行かない。…など爺ちゃんの代から言い伝えられている家訓を守って、ようやくこの住居を維持しているのだって。りきんで言ってた。



 私を預けるとガンツが口を開く。

「ポンタ、頼むぞ。…それからフール、いい子でいろよ」


 ポンタが口をとがらせた。

「俺も公園に行きたかったよ、ガンツ」


 セージが優しくポンタの頭を撫でる。

「嫌でももうじきお呼びがかかります。夜の公園のケンカなんて面白いもんじゃないですよ」


 ガンツはポンタの眼を真っ直ぐ見た。

「この前のことで、ルノーがフールを覚えた。危険だ。俺の娘を必ず守れ、ポンタ」


「わかったよ。今回は留守番とお守りで我慢しておくさ」


ポンタが頷くと、ガンツは満足そうに私の頭をポンポンと叩いた。

「じゃあ、行ってくる。ポンタ、フールに手を出すな」


「毎度だけどバカ言ってんなよ。誰がこんなチビ猫」


「失礼だわ。いっつも、いつものその会話。んもう!」

 私はムスーッと頬を膨らませる。


 ガンツが歯をむき出して、ニカーッと笑った。


 セージがガンツを促す

「さあ、急ぎますよ。ガンツ」




 二匹だけになった私はポンタに訊く。

「ねえ、ポンタの父さんや母さんはどこへ行ったの?」


 私は何気なく訊いたつもりだったが、ポンタは普通にこんな返事をする。

「母ちゃんは俺を生んですぐ死んだ。父ちゃんはホゴセンターに連れて行かれた」


「……ごめんね、ポンタ」


「別にいいさ。よくあることだ」


「よくあることなの?」


「うん。さすがに父ちゃんが連れてかれたときはキツかったけどな」


 ポンタは天涯孤独の身だったのだ。まあ、私だってガンツが親代わりをやってくれているけれど、血のつながりのある猫は一匹もいない。野良の世界ではそんなに珍しいことじゃないのかもしれないね。


 保護センターか。動物保護センターの職員の人が悪いわけじゃないってことは、猫には判りにくいかもしれない。猫の世界では仲間や身内を連れ去る恐ろしい組織なんだ。ホントに悪いのは最後までペットの面倒を見られない人間なんだろうけど、元人間の私はそれだっていろいろな事情があると判ってる。




 などとちょっくらヘビーな会話をしていたところへ、飛び込んできた猫がいる。

 ゴンゾという白地に黒のブチ猫だ。


「ポンタ、お前も来いよ。大ピンチだ」


「…ガンツにここにいるよう、言われてるんだ」


「そんな場合じゃないぞ。俺はガンツとドブに言われたんだ、ポンタも呼べって。このままだと滑り台もジャングルジムも全部とられる」


 ピクリとポンタのシッポが動く。

「ガンツが『やっぱり来い』なんてよっぽど劣勢なのかも」


 それから振り返って私を見た。

「フール、ここに隠れてろ。様子を見てくる」


「私も行くよ、ポンタ」


 ゴンゾがポンタを急かす。

「早くしろ。ポンタ」


 ポンタは一瞬迷ったが、口元をギュッと結んで言った。

「やっぱりフールは駄目だ。絶対連れて行けない。お前がいたら気になって動けない」


「そんなに気になる?うぷぷ」

 私はわざと茶化してみた。


 ポンタが呆れ顔で言う。

「バーカ。お前みたいなドンくさいの守りながら戦ったりできないだろ。危ないんだぞ」


「…チェッ。わかったよ、ココニイル。キヲツケテネ、フフーン」


「……おい、フール」

 ポンタが私の顔を覗き込みながら疑いの眼を向ける。

「ぜっっっっったいに、公園に来るな。ここでじっと大人しく隠れてろ」


 完全に後から公園の様子を窺いに行くつもりだった私は薄ら笑いを浮かべて答える。

「…信用ないなあ。ダイジョーブデス」



 チラチラと私を振り返りながら出て行ったポンタが見えなくなったので、私もそっとねぐらの外へ出ようとする。すると近くの道路からヒソヒソと声が聞こえた。


「おい、この辺じゃないのか。ポンタのねぐら」


「シッ静かにしろ。ガンツのとこにいなきゃ、ここだろ」


「おい、ポンタはけっこう厄介だぞ。誰が相手する?」


「ポンタはさっき呼び出しをさせたから、チビだけだ」


「なんでチビ猫一匹に俺たちがかり出されたんだ。ならダビだけでいいじゃねえか」


「ルノーさんの命令なんだよ。絶対しくじるな」


さらってどうすんだ。そんなチビ」


 この前のチンピラ下っ端したっぱ猫、ダビといっただろうか、あいつだ。あいつと仲間数匹が何故か私を猫攫いしようとしている。私を猫質ねこじちにとってガンツを困らせるとか…そういうことだろうか。


 どっちみち危険が迫っている。逃げないと。



 またダビの声だ。

「よし、せーのでいくぞ。あのチビ足はめっちゃ遅いけど、何か変なシッポがあるからそれだけ気をつけろ」


「何だその変なシッポって」


「いいから一斉にいくぞ」



(そういやそんなものがあった)

 変なシッポ…。そういえば私もすっかり忘れてた。この間、ダビの攻撃はそれでかわして、ポンタを助けた。

 えーと、確かシッポを相手に向けて…。

 もしかしたら、という期待をこめてやってみることにした。

 もし失敗した場合には一目散に逃げるという体勢を作りながら、ダビ達がいるだろう路地の方にむけてシッポを振る。


(こっち来るな・こっち来るな・あっち行け・あっち行け)


 フワリフワリと紫色の光がシッポから漏れる。


「イケてる?」


 私はさらにそのまま願いをこめてシッポを振る。

(こっち来るな・あっち行け・お前の母ちゃんデーベーソッ!)



「何だこれは?」


「どうした。この光は?急に。あれれ?ふにゃあ」


「ハンニャアア。身体がおかしい ぞ」


 ゴツン!


「痛てて。にゃあ」


 ドン・ゴン・ゴツン


「おみゃああ は どこに いくんにゃあ?」


「おみゃあ こそ どこ ふえええ にゃああ」


 バキ・ゴン!


「にゃあああ」


「にゃああああ」


「にゃあああああ」


 私の出した紫のビーム?に包まれてダビ達三匹がお互いや路地のあちこちにぶつかりなら、どこかへ去って行く。


 遠くの方でどれか一匹の猫の声が聞こえた。

「ヘソがヘソがああ、何かふくらんできたにゃあああ、母ちゃーん!」


「ふん、ドヤこの威力!」

 私はその威力に自分でも驚きながら、シッポの使い方が判ってきたことに自信を持った。これならガンツやポンタの役に立てるかもしれない。この場所にさっきの連中がもう一度来ることだって考えられる。

 よく考えたらポンタは誰かに(確かゴンゾとかいう奴に)騙されて公園に行ったことになる。

 ここにいるのは逆にいろいろ危ないんじゃないかな。

 要するに私は公園に行く理由を探していた。


 そっと私は魚屋の路地を出て、周囲を伺う。ここにいることが安全でない以上、仲間の猫がいる公園の方が安全なはず…だ、と思う。私は自分に言い聞かせて、夜の道を公園に向かった。


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