第5話 闇の王 ロシアン・ブルー(1)

 私、フールは1ヶ月前にガンツに拾われたんだけど、しばらくは何がなんだかわかんなかった。


 想像できる?何しろ病院のベッドの上でテレビを見ていて「ああ、昭和が終わって平成かあ」なんてハアハア荒い息をついていたら意識を失って、気がつくとゴツい雄猫ガンツが私の顔を覗のぞきこんでるの。


「ああ、ここが『あの世』か。あの世は猫がいるのね。ウフフ」


「おいおい、大丈夫か。しっかりしろ」


「あの世では猫もしゃべるのね。アハハ」


「おい、セージ。大丈夫か?こいつ様子がおかしいぞ」


「ガンツ、たぶん生死の境から生還したので意識が混濁こんだくしているのでしょう」


 死んだはずなのに感覚は何だかあまりにも生々しい。目の前でしゃべっている猫2匹の姿もハッキリしている。


 私は声を出す。

「ウニャニャニャ…」


 猫の声がする…って自分の声?

 驚愕きょうがくとはこういうことだ。人間であった時にもこんなに驚いたことはない。

 自分の目で自分の手を見る。これは…


「猫じゃん!」


 ゴツい方の猫が私の顔を覗き込んだ。右耳と右目のところに黒い毛、左耳と左目には大きな傷跡、真四角な顔と低い鳴き声。

 普通ならば怖い顔だろうし、この状況は猫好きだってそう簡単に受け入れられない。

 ところが私は…なぜか、なぜだかそのゴツゴツ猫の顔が懐かしくて大好きに思えて、ペロリと舐めてしまったんだ。


「!」

 ゴツ猫は心底ビックリした顔になって、表情と身体をフリーズさせた。


 その後方にいた黒猫が思わず噴き出す。

「ずいぶん馴れ馴れしいというか…猫懐ねこなつっこいというか。ガンツの顔を見ても怖がらない子猫とは」


「…う、うるせえ。おいチビ、気がついたのか」


 私はもちろん今の状況が呑み込めないままだ。だが、少なくともこのゴツい猫に命を助けられたということは理解した。このゴツ猫はいい猫だ。間違いない、多分。

 うむむ、私は混乱している。

「あ、あの、ありがとうございます。あなたは命の恩じ…恩猫おんねこです。…ですよね。…ですか?ここはどこ?私は誰?いったいどうして。何がどうなって。あれ、私何言ってるんでしょう?」


 突然ペラペラしゃべりだした私にゴツ猫はまた言葉を失い、黒猫は口元を押さえてプルプル震える。


 起き上がろうとした私をその黒猫セージが押さえる。

「まだ少しそのまま休みなさい。手足が衰弱していますからね」


 そういえば、まだ身体に力が入らない。

「で、あのつまり黒猫さんも命の恩猫ですよね。ありがとうございます。ゴツ猫さんの顔、何か好きなタイプの顔です。怖い顔でブサイクだけど、それはそれで味があるというか、あ、いや、ブサイクというのはブサイクとかブサイクじゃないとか、そういう意味じゃなくて」


「いいから、落ち着け!」

 ゴツ猫がついに大声を出して私を止めた。


「おチビさん、まず深呼吸、それからゆっくり手足がちゃんと動くか確認しなさい」

 黒猫の方がゆっくりと言い聞かせるように語りかける。


「スーハー、スーハー」


「…」


 落ち着け、私は猫になったのだ…って、えええ、猫に!?

「猫になったんかーい!」


 大声で叫んだ私に2匹がビクッとして後ずさる。


 ゴツ猫は心配そうに私をまた覗き込む。

「やっぱり打ち所が悪かったんだなあ。さっきから挙動不審だ」


 猫に「挙動不審」を疑われるとは、私の人間としての尊厳がだいなしだ。


「あなたはどこから来たのですか?ここに来る前に覚えていることは?実に面白い」

 黒猫は何だか興味深そうにアゴに前足を当ててポリポリした。眼鏡があったらクイッとしていたに違いない。

 ああ、こっちは私を研究対象みたいに見てる。実験動物扱いだ。人間の尊厳が…


 目を泳がせる私を妙に生暖かい目で見て、ゴツ猫は少しだけ涙をにじませ、私の頭を優しく撫でた。

「何かつらいことがあったんだな。よしよし、心配するな。どんなに頭の弱い猫でも猫は猫、助けてやるからな」 


 …いろいろ言いたいことはあったが、こうやって私は猫の生活に入っていった。ちっとも嫌じゃなかった。

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