香るカカオ
「制服暑くないの?」
見ているのも暑いと言わんばかりに横目でこちらを見る。
「暑くない訳ないじゃないですか。」
暑い。シャツの襟に汗が滲むのを感じる。先輩はTシャツの首元を仰いでは空気を通していた。相手に好印象を持たせる正装だが、暑苦しそうに見えては本末転倒ではないだろうか。定時制の私服が羨ましい。暑さが思考までもを揺らがせてしまう。私達に一切の手加減をしない夏の夜。横で暑い暑いと唸る先輩の声は蝉の鳴き声に重なった。
「夜なら涼しいだろうと思ったけど安直だったなぁ。」
「まぁ、こうしてアイスを食べれてるんで私はいいんですけど。」
「それもそうか。」
アイス一つで静かになる先輩は大人っぽいはずなのに、どこか素直な子供の面影がある。暑苦しいこの気温も、うるさい程の蝉の鳴き声も、全部今だけ。そう思えば、夏も悪くないと思えてしまう。
「この蝉の鳴き声も一週間後には違う蝉になってるんだよな。」
暑さのせいか、感情移入のせいか、先輩はどこか物惜しそうな表情だった。並木道に沿って置かれた幾つかのベンチ。私達が座っているベンチの前を一人のサラリーマンが通り過ぎる。先輩はその人を目で追うと、ふぅっと軽く息を吐いて視線を戻した。過去を思い返すようなその仕草。サラリーマンの人をよく見れば、耳元にはイヤホンがあった。
「…俺がおかしいのにな。」
あまりにも先輩が自分自身に呆れたように言うから、思わず言葉が漏れる。
「あの! 私も、そう思っちゃう時、あるし、人それぞれなので!」
先輩がおかしいわけじゃない。先輩が自分自身を否定しなきゃいけないわけじゃない。そう、伝えなきゃいけないと、本能的に感じた。言葉は途切れ途切れで、焦りからかやけに声を張ってしまった。顔もきっと変な表情になっているだろう。ちゃんと伝えられてるか不安が過ぎる。でも、先輩は驚いたようにこちらを見ると、くしゃっと笑ってくれた。
「ありがとう。」
返ってきたのはその一言。とても優しく、丁寧に伝えられた一言。なんだかすごく、安心した。ほっと息を吐くと、空いた部分に何か満ちていくような、心地いい安心。“どういたしまして“なんて大層に言うつもりはない。私も先輩のようにくしゃっと笑って見せた。溶けたアイスの水滴が地面に落ちる。その小さな変化でさえも、視界の端で鮮明に映る。夏の夜は少しの暑さを私にくれた。
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