終
駅に着くまでに晩飯を済ましてしまおうと路地の狭間に佇むたこ焼きの店に入った。店内には中年の男性数人が一組と店主が新しいたこ焼きを返していた。
横から現れたおばさんにお冷とおしぼりを貰い、たこ焼きを注文した。制服が一人入ってきた異様な光景に一瞬おばさんは怪訝な顔をしたが、すぐに戻って注文を伝えた。
固くて嫌に高い椅子に座り直して店内を見渡した。六十手前に見える店主が黙々とたこ焼きを返し、おばさんはガチャガチャと音を立てながら洗い物をしている。客席は狭く、精々一組か二組しか入ることを想定していないようだった。壁に取り付けられたどこのテレビ局かも分からないバラエティを垂れ流し、少し効きすぎた空調はコップに露を作っている。
少し離れた席に座る男性客は時折大きな声で笑い、たこ焼きをツマミに生ビールを煽っていた。その姿を父親に当てはめてみようとしたが、やはり外で飲み騒ぐ父は想像できなかった。
店主のおじさんが舟にたこ焼きを乗せて運んできた。
「これはサービスだ」
そう言ってコップにコーラを注いでくれた。
「どうも。ありがとうございます」
少し面食らったが、両親の教育が行き届いた俺は即座にお礼を伝えた。
湯気が立ち鰹節が踊るたこ焼きは最近の母親が作る料理より遥かに美味そうに見えた。思わず一つ頬張ったが、勿論出来たては馬鹿みたいに熱い。あまり目立たないようハフハフ言いながらコーラを口にする俺を見ておじさんが笑った。
「もっと落ち着いて食いや」
「すんません。ここ最近で一番美味そうな飯だったんで」
肩をすくめて苦笑いしながら答えたが、別にお世辞ではなかった。おじさんの腕もあるのだろうが、両親がいないことが大きかったのかもしれない。
「いくらワシのたこ焼きが美味いからいうてもそんなこと言ったらお母ちゃんが悲しむやろ」
「ええまあ……そっすね……ははは」
おじさんと話しながら俺はたこ焼きをまた口に入れた。一つ目はろくに味わうことも出来なかったが、少し冷めたたこ焼きはフワッと歯が入り、タコの弾力と溶ける生地が混ざり合って本当に美味かった。
「お母ちゃんの飯は美味ないんか。それともなんや、お母ちゃんおらんかったか?」
「母はいますけど、最近夫婦喧嘩してて晩飯がマズいんすよね」
おじさんの本当に母がいなかったらどうするんだというデリカシーのない質問に思わず口元が緩んだ。笑いながら飯を食うことなんていつぶりだろうか。
「喧嘩なあ……お母ちゃんたちにもウチのたこ焼き食べさせたらどうや? ウチのん美味いやろ」
おじさんはそう言いながらガハハと笑った。
「アホなこと言うてんと仕事せえ。ごめんねえウチのアホが」
「いやいや、大丈夫すよ。ありがとうございます」
少し奥からおばさんの怒声が飛んできた。空気が良いところだな。そう、心から思った。
「すまんすまん。じゃあワシも仕事するから。兄ちゃんはゆっくりしてってな」
そう言っておじさんは厨房の奥に戻っていった。いい夫婦だな。眺めながらしみじみと感じた。そして二人に両親の姿を重ねてみたが、やはりどうしても見えては来なかった。
十二個のたこ焼きを食べ終わって満たされながら会計をした。二人にお礼を言って店を出ようとしたが、ふと思い立っておばさんに問いかけてみた。
「持ち帰りってできます?」
突然の俺の言葉におばちゃんは一瞬厨房に目をやって考えていたが、顔をくしゃっとさせて答えてくれた。
「特別やで?」
店の外に出て小さくゲップをした。高いビルの間を抜けて駅に向かった。店に入る前より荷物は増えたのに足取りは軽くなっていた。
時刻は八時を過ぎ、プラットフォームは人で埋め尽くされていた。間隙を縫うように電車に乗りこみ自宅の最寄り駅である道場駅へ向かった。電車の中も混雑していて、四方八方から押されていたが、手に持ったたこ焼きだけは離さないように強く握った。
三十分か四十分経って永遠とも思われた電車から解放された。道場駅はパラパラとサラリーマンがいるくらいで大阪とは打って変わって静かだった。
改札から出てロータリーに出るとバッグからスマホを取りだして電話をかけた。
「もしもし。父さん? 今から帰るから。うん。ごめん。もう晩飯は食った? たこ焼きあるから一緒に食べようって。うん。母さんにも言っておいて」
電話を切って空を見上げると満月には少し足りない月が照っていた。
もう一度話そう。あのたこ焼き屋の二人のようにとは言わなくても、俺の両親があるべき姿はあるはずだ。少なくとも俺は違う姿であって欲しい。
帰ったら二人が答えてくれるまで「ただいま」と言おう。
今日だけは 朱明 @Syumei_442
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